2014年8月
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8月9日(射殺事件当日)の夕方、住民らはブラウンが亡くなった場所に花と蝋燭で仮設慰霊碑を作った。マザー・ジョーンズ誌によると、所属不明の警官がそこで警察犬に小便をさせたり、パトカーが仮設慰霊碑に追突したりした。同誌はこれらの事件が、目撃した人々の間の緊張を高めたと報じ、ミズーリ州議員のシャロン・ペースは「このことが群衆の人々を激怒させ、私を激怒させた」と同誌に語った。 8月10日、日中の追悼式は平穏に始まったが、夜のキャンドル・ビジルを終えて一部の人々が直情的になった。現地警察署は暴動鎮圧用装備を着けた警官約150名を招集した。一部の人々が商店を略奪したり車両を破壊するようになり、市街地への交通遮断をしようとする警察官と睨み合いになった。少なくとも12の商店が略奪または破壊され、Quik TripのほかLittle Caesarsなどのコンビニエンスストアとガソリンスタンドが放火された。一部の略奪行為は活動家ウマル・リーによりビデオ撮影されていたため、30人以上の逮捕につながった。逮捕された人達は、暴行、強盗、窃盗の容疑で起訴された。警察は暴動鎮圧装備やヘリコプターなどを活用して、午前2時までに群衆を離散させ、この出来事の最中、警官2名が軽傷を負った。 8月11日、警察は略奪者により昨晩放火されたコンビニの焼け跡で群衆を追い払うため催涙ガスを使用した。報道によると、ファーガソンで発砲があり、5人が逮捕された。一部の抗議者は警察官に岩を投げ、警察は催涙ガスとビーンバッグ弾を発射して抗議者達を対処した。 8月12日、数百人の抗議者が郡庁所在地のクレイトン (ミズーリ州)に集まり、銃撃に関与した警官の刑事訴追を求めた。ファーガソンの抗議者は標語を掲げ、撃たれた瞬間にブラウンが降伏しようとして手を挙げたという目撃証言を模して、多くの人が「撃つな」と叫びながら両手を上に挙げていた。警察によると、一部の抗議者が警官に瓶を投げつけてきたため、群衆を追い払うため催涙ガスの使用もやむなしとされた。その翌日SWAT隊の警官約70名が到着し、その夜に警察は発煙弾、スタングレネード、ゴム弾、催涙ガスを使って群衆を追い払った。現地ラジオ局(KARG Argus Radio)によって記録されたビデオ映像には、ファーガソン警察が住宅街に向けて催涙ガスを発射し、報道記者に記録を中止するよう命じる様子が映っている。 8月12日から13日にかけて、警察官は抗議者や報道記者の列に催涙ガスやゴム弾を発射した。少なくとも7人の抗議者がその晩に逮捕された。8月12日の夜、平和的な抗議者が警察によって頭を撃たれたが死亡には至らなかった。一命をとりとめたミヤ・アーテン=ホワイトは、弁護士がいない状態で警察と話すことを拒否した。市当局は、現在進行中の警察の捜査に関する州法を引用して、弾道報告書ほかの捜査記録を記者に提供することを拒否した。 8月13日の夜、デモ隊が火炎瓶を含む投擲武器を警察に投げつけたため、警察は報復として催涙ガスと発煙弾を発射した。事態収束の間に、ワシントン・ポストやハフィントン・ポストの記者ウェズリー・ロウワーとライアン・J・レイリーが逮捕された。同紙編集主幹のマーティン・バロンは「記者の逮捕に正当理由は全く存在しない」との声明を発表し、警察の行動は「全くの不当であり、ニュースを取材する報道の自由に対する暴挙だ」と語った。その夜、ファーガソンでの抗議行動を取材していたアルジャジーラ・アメリカの特派員達も警察のSWAT隊から催涙ガスやゴム弾で撃たれ、記録機器を分解されてしまった。アルジャジーラ・アメリカも「報道の自由に対する悪質な暴挙だ」との声明を発表した。SWAT隊は翌14日に「メディア報道の妨害を意図したものではない」とする記者発表を行った。 ファーガソン警察署長のトム・ジャクソンはメディア弾圧を否定した。米国大統領バラク・オバマは「警察が平和的な抗議行動に対して過度の武力を行使したり抗議者を収監した理由が修正第1条の合法的な権利行使だというのは弁解にならない。ここアメリカ合衆国では、自分の職務をこなして自らが目撃したものを米国民に伝えようとしている報道記者を、警察が恫喝したり逮捕すべきではない」と語り、修正第1条違反に対処する旨の声明を発表した。 ソーシャルメディア向けに抗議行動を記録していたセントルイス市議会議員のアントニオ・フレンチもファーガソンで警察に逮捕された。違法な集会にいたため逮捕されたとの事だったが、翌14日に釈放され、最終的に彼は起訴されなかった。 報道の自由を目指す記者団委員会 (The Reporters Committee for Freedom of the Press) は、抗議行動を取材する報道記者へのハラスメントに抗議するためファーガソン警察に書簡を送った。 8月14日、クレア・マカスキル上院議員は「警察の軍事化が抗議者の対応をエスカレートさせた」と述べた 。セントルイス警察署長のサム・ドットソンは、発言がなされたような軍隊式の警察執行を自分は採用していない筈だと主張した。署長によれば「自分が目撃したものは都市で行うような軍事戦術にあたらないものであり、私は自分がやらないだろう状況に警官達を決して配備しない、と自分に言い聞かせている」とのことだった。これ以外にも、ドットソンはレイシャル・プロファイリングの懸念からファーガソン市や郡警察との協力に消極的だったとされ、例えば電子メールのやりとりでは「私達は戦術支援を取り止めたので、火曜日と水曜日に戦術資源をファーガソンに送りませんでした。私達の支援は、交通誘導をしたり歩行者と運転手の安全を見守る警官4人だけです」などと記されている。 ミズーリ州知事のジェイ・ニクソンは記者会見で、ミズーリ州ハイウェイ・パトロールがファーガソンでの警察執行をセントルイス郡警察から引き継ぐことになり、同警察は「必要な場合に限り」武力を行使し、一般的に「少し後退することになる」と語った。彼は、ファーガソンの警備がハイウェイパトロール隊長のロナルド・ジョンソン(アフリカ系アメリカ人)よって監督されると語った。セントルイス郡の検察官ロバート・P・マッカロックは「知事にはそれを行う法的権限がなく、郡警察を否定するのは恥ずべきことだ」と 知事の決定を批判した。8月14日の夕方、ジョンソン隊長は一緒に歩いてファーガソンでの大規模な平和行進を導いた。 ブラウン射殺事件から約1週間後となる8月15日の記者会見で、ファーガソン警察署長のトム・ジャクソンが銃撃に関与した警官の名前を発表した。ジャクソンはその前置きとして、銃撃の数分前に現場付近でコンビニエンスストア強盗事件が起こっており、射殺されたブラウンが強盗に関与した被疑者であると説明した。数時間後にあらためて記者会見を開いたジャクソンは、ウィルソンがブラウンを呼び止めた時には強盗犯だと気付いていなかったと述べた。 15日の夜、警察が午後11時頃に到着するまで「ほとんど追悼式のやり方」で抗議行動が続いた。翌未明の1時30分、暴徒がコンビニエンスストア(射殺前にブラウンが強盗を働いたと公表されたFerguson Market & Liquor)および付近の商店に押し入って略奪を行った。その後、押し入られた商店の出入り口近くに集まって更なる略奪行為を防ごうとした抗議者や見物人らの一団もいた。 前夜の略奪と混乱を受けて、8月16日にニクソンは記者会見で非常事態宣言を行い、ファーガソン市内では午前0時から午前5時まで夜間外出禁止令が導入された。法執行官が自らの軍事めいた戦術で暴力を扇動した、と語る一部住民もいた。警察は装甲トラックや催涙ガスで夜間外出禁止を強制するつもりはなく、抗議者と連絡を取って門限前に立ち去る時間と機会を与える予定である、とジョンソンは語った。 8月17日未明、事前の約束にもかかわらず催涙ガスや機動隊が対処に用いられた。抗議者の一人は警察に撃たれて重傷を負った(警察側は発砲していないと主張)。他に7人が逮捕された。その日の朝、ミズーリ州ハイウェイパトロールの広報官は夜間外出禁止が2日間延長されると発表した。 8月18日、夜間外出禁止の時間帯に激しい衝突が発生したことを受けて、ニクソン州知事は州兵に「平和と秩序を回復し、ファーガソンの市民を守る」よう要請する行政命令を出した。ニクソンはまた、8月18日の夜について外出禁止令を実施しないと発表した。アムネスティ・インターナショナルは人権活動家13名を派遣し、当局側との会談を求めるとともに、現地の活動家に非暴力的な抗議方法の訓示を施した。エリック・ホルダー司法長官から事件について説明を受けた後、オバマ大統領はそこでの暴動を監視するためホルダーをファーガソンに派遣した。その夜、数百人の抗議者が(一部は瓶を投げながら)警察による人の壁に突進した後、ドイツ人記者を含む78人が逮捕された。 8月20日、エリック・ホルダー司法長官はファーガソンに出向いて、現地住民やブラウン遺族と面談した。昨晩の逮捕者47人に対し、この日逮捕されたのは6人だけだった。ニクソン州知事は、社会不安の改善を確認した後の8月21日に州兵をファーガソンから撤退させた。 8月23日、抗議行動は平和的な活動を続けたが、さらに3人が逮捕された。同日、「私はダレン・ウィルソン」という警官ウィルソンを支持する50-70人の集会がファーガソンで開催され、8月25日時点で、オンラインのクラウドファンディング活動で支持者から40万ドル近くが集まった。このオンライン活動は人種差別的なコメントを多数呼び寄せてしまい、同ウェブサイトはコメント欄の閉鎖を余儀なくされた。 ブラウンの遺族は、8月25日に予定されている葬儀に弔意を示して抗議を丸1日中断するよう支持者に求めた。「私が明日に望むことは、息子を安らかに横たえる時間の平和だけです。お願いします、それが私の要請する全てです」とブラウンの父親は語った。礼拝には2,500人が式場を埋め尽くすなど数千人が参加し、葬儀では推定2,000人が教会敷地内に参列した。
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