23-F
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23-F(Golpe de Estado en España de 1981)は、1981年2月23日にスペインで発生した軍事クーデター未遂事件。名称はクーデターが発生した「2月23日」(スペイン語で「23 de febrero」ベインティトレス・デ・フェブレーロ)から取られた。この事件はテレビ中継中の国会で起きたため、その映像がテレビを通じて全国に流され[1]、今も多くのスペイン人の記憶の中に残っている。
- ^ LA IMAGEN DE TU VIDA - El 23F (1981) (Youtube、TVEで実際に中継されたクーデターの映像)
23-F
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「アントニオ・テヘーロ」の記事における「23-F」の解説
その後、軍部右派が問題視していた状況に変化がなかったことから、陸軍副参謀総長のアルフォンソ・アルマダ・コミンや陸軍大将ミランス・デル・ボッシュがクーデターを画策し、出所したテヘーロを実行部隊の中心に添えることとなった。 1981年2月23日午後6時過ぎ、テヘーロ率いる約200人の治安警備隊員が代議院(下院)に押し入り、同年1月29日に辞任を表明したばかりのスアレスやスペイン共産党書記長のサンティアゴ・カリージョ、スペイン社会労働党書記長のフェリーペ・ゴンサーレスを含む約350人の代議院議員を人質に取った。これに合わせてボッシュ率いる戦車部隊がバレンシア市内に展開した他、マドリードのスペイン国営テレビ局を占拠した。しかし、ファン・カルロス1世の支持が得られなかったことからクーデターは失敗し、テヘーロとコミン、ボッシュは警察に投降し逮捕され、軍法裁判で有罪の判決を受けた 。
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