41111 - クーペ・ド・ヴィル・バインダー
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「ブガッティ・タイプ41」の記事における「41111 - クーペ・ド・ヴィル・バインダー」の解説
41111はロワイヤル2台目の生産車に当たるが、最初に顧客が見つかった車両でクーペ・ド・ヴィル・バインダーの名称で知られている。 1932年4月にフランスの衣料品メーカー、アルマンド・エスダース(フランス語版)に売却された。 エットーレの長男であるジャン・ブガッティはこの車のために派手でフルボディのウィングとディッキーシート(英語版)を備えた華麗な2シーターのオープンボディを考案したが、ヘッドランプはなかった。 この形式ではロワイヤル・エスダース・ロードスターと呼ばれていた。 フランスの政治家レイモン・パトノートル(フランス語版)によって購入されたこの車は 、コーチビルダーのアンリ・バインダーによってクーペ・ド・ヴィル(英語版)スタイルのボディに乗せ換えられた。この時点からクーペ・ド・ヴィル・バインダーとして知られている。 第二次世界大戦によりルーマニア国王に引き渡される事はなかったが、ナチスから逃れるためパリの衛生下水道(英語版)に隠された。 第二次世界大戦後は短期間イギリスに所在した後、1954年にアメリカのダドリー・C・ウィルソンが購入した。彼が1961年に没すると、アトランタの銀行家ミルズ・B・レーン(英語版)の手を経て1964年にネバダ州リノのハーラー・コレクション(英語版)が 45,000ドルという当時としてはセンセーショナルな価格(新車価格とほぼ同じ)で購入し、収蔵された。 1986年にアメリカの収集家、ホームビルダー、アメリカ空軍予備役のウィリアム・リヨン少将に売却された。彼は1996年のバレット・ジャクソン・オークションに直接売買を条件に出品したが、1100万ドルのオファーを拒否し、即決価格は1500万ドルに設定された。 1999年にブガッティブランドの新オーナーであるフォルクスワーゲングループが2,000万ドルで購入。現在ではブランドのプロモーションカーとして様々な美術館や博物館を巡回している。
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