660年代
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660年代(ろっぴゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)660年から669年までの10年間を指す十年紀。
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660年代
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詳細は「660年代」を参照 660年新羅と唐の連合軍(唐・新羅の同盟)が百済を滅ぼす。 唐で「皇帝」と「皇后」をそれぞれ「天皇」と「天后」に改名。 661年カリフのアリーがハワーリジュ派に暗殺される。シリア総督のムアーウィヤがカリフとなり、ダマスクスを都とするウマイヤ朝が成立。 百済復興支援のため斉明天皇が九州に出兵、百済王子豊璋らと日本軍が渡海。筑紫国朝倉橘広庭宮にて斉明天皇が死去。中大兄皇子は皇太子のまま称制を継続。 モン族のハリプンチャイ王国が成立する。 663年白村江の戦いで、日本が唐・新羅連合軍に大敗する。 吐蕃の宰相ガル・トンツェンが吐谷渾を征服する。 東ローマ皇帝コンスタンス2世がローマに赴き教皇ウィタリアヌスと会見。コンスタンス2世は南イタリアからシチリア島に向かい、シラクサに宮廷を置く。 664年ウィットビー教会会議が開かれ、ローマ式典礼がケルト式典礼より優位に立つ。 甲子の宣により、冠位二十六階を制定し、氏上・民部・家部を定める。 665年頃 - クブラト・ハン(英語版)が死去し大ブルガリアの部族連合が崩壊する。北方のヴォルガ川中流域にはヴォルガ・ブルガール人、西方のバルカン半島にはドナウ・ブルガール人が拡大する。 666年 - 唐の高宗が武后とともに泰山にて封禅を行う。 667年 - 中大兄皇子が近江国近江宮(大津宮)へ遷都( - 672年)。 668年東ローマ皇帝コンスタンス2世が滞在中のシチリア島で暗殺される。 唐が高句麗を滅ぼし、平壌に安東都護府を設置する(唐の高句麗出兵)。 中大兄皇子が即位し、第38代天智天皇となる。 尾張国の熱田社(熱田神宮)から新羅僧の道行が草薙剣を奪取する(草薙剣盗難事件)。 669年内大臣中臣鎌足が大織冠を授けられて、「藤原」の姓を賜わり、翌日に死去。 藤原鎌足の発願で山城国山階寺(興福寺の前身)が創建される。
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