89年シーズンについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:38 UTC 版)
「ウォーレン・クロマティ」の記事における「89年シーズンについて」の解説
1989年、5月18日の時点で打率.470、6月25日の58試合目で.396となったが、8月9日に再び4割超え、8月20日まで打率.401で(96試合目までの打率4割台は64年の南海・広瀬叔功の89試合を抜く日本記録)、クロマティはこの時点ですでに規定打席をクリアし、打率も4割を達成していたものの、クロマティは休まずに出場を続けた。「規定打席に到達した時点で4割を超えていたわけだから、みんなに『もう、試合に出ないほうがいい』と言われたことはよく覚えています。もしこれが残り10試合だったら、僕もそうしていたと思あうけど、シーズンは続いていましたからね」と述べている。
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