アナトール・フィストゥラーリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 演奏家 > イギリスの指揮者 > アナトール・フィストゥラーリの意味・解説 

アナトール・フィストゥラーリ

(Anatole Fistoulari から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 02:53 UTC 版)

アナトール・フィストゥラーリ(Anatole Fistoulari, 1907年8月20日 - 1995年8月21日)は、ウクライナ出身のイギリス指揮者ウクライナ語アナトリー・フィストゥラーリ(Анатолій Фістуларі)。

略歴

ニコライ・リムスキー=コルサコフアントン・ルビンシテインに師事し、指揮者兼作曲家として高名であったグレゴリー・フィストゥラーリを父に、ウクライナキエフに生まれる。アナトールは神童として知られ、7歳にしてチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』を指揮した。ロシア・オペラ・グループを組織し、シャリアピン・オペラ協会、モンテカルロ・ロシア・バレエ団の指揮者を歴任、1943年から1944年まで、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者をつとめた。1948年、イギリス国籍取得。フィストゥラーリはとりわけバレエ音楽の指揮に長け、評論家の宇野功芳は1960年代初頭にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したチャイコフスキーの『白鳥の湖』を屈指の名盤と評価している。

1947年グスタフ・マーラーの次女アンナ・マーラーと結婚したが1956年に離婚し、1957年カール・フレッシュの弟子でヴァイオリン奏者のエリザベス・ロックハート(Elizabeth Lockhart,1921年 - 1999年)と再婚した。なお、エリザベスはかつて弟弟子のヨーゼフ・ハシッドに想いを寄せられ、失恋によって彼のキャリアを終わらせた女性でもある。

先代
トーマス・ビーチャム
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
首席指揮者
1943年 - 1944年
次代
エドゥアルト・ファン・ベイヌム




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アナトール・フィストゥラーリ」の関連用語

アナトール・フィストゥラーリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アナトール・フィストゥラーリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアナトール・フィストゥラーリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS