DDTプロレスリングとは? わかりやすく解説

DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 23:43 UTC 版)

DDTプロレスリング(ディー・ディー・ティー・プロレスリング、: DDT Pro-Wrestling略称: DDT)は、日本プロレス団体。DDTは旧称である「ドラマチック・ドリーム・チームDramatic Dream Team)」の略。




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DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:08 UTC 版)

入江茂弘」の記事における「DDTプロレスリング」の解説

2010年3月よりDDTプロレスリングへ留学という形で参加しておりDDT主戦場としているが、名古屋での興行へも定期的に参戦している。また、12月からはユニオンプロレス移籍した高木三四郎プロデュースしたTKG48メンバーとしてユニオンにもレギュラー参戦するようになった2011年5月8日の「愛プロレス2011」において、タッグマッチではあるが高井勝利入江パートナー三原)し師匠越え果たした。同5月DDTのKO-D無差別級挑戦トーナメント参戦し飯伏幸太を破る大金星挙げた入江もその活躍認められ翌月6月TKG48メンバーである澤宗紀パートナー迎えてKO-Dタッグ王座挑戦王者GENTAROヤス・ウラノ組を破り初のタイトルを手にした。 2012年4月1日後楽園大会ケニー・オメガ保持する世界ジュニアヘビー級王座初挑戦し、入江ファイヤーバードスプラッシュ披露するなど肉薄したが、最後オメガ片翼の天使入江敗れた5月4日には石川修司とのチームBIG"G"BANG」で佐々木義人、忍のBJW認定タッグ王座挑戦奪取成功した2012年秋石井慧介高尾蒼馬ら3人でチーム・ドリーム・フューチャーズ結成2013年よりDDTの正式所属選手となり、チームドリフの3人でKO-D6人タッグ王座戴冠した3月20日オメガの持つKO-D無差別級王座初挑戦して王座奪取成功その後8度防衛成功し、KO-D無差別級最多防衛記録樹立した8月両国国技館大会両国ピーターパン2013」ではHARASHIMAとの防衛戦行ったが、敗れて王座から陥落した8月17日両国国技館大会両国ピーターパン2014」で大槻ケンヂメイクを施し登場2015年11月23日より開幕する全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」に吉江豊とのタッグ出場決定2016年5月25日全日本プロレス社長秋山準要請により「AJレンジャー」のグリーンになる。 7月17日より無期限アメリカ遠征に入る。中西部のWCWO, IWA Mid-South, AAW, Pro Wresting Blitz, Galli Lucha Libre, Freelance Wrestling, Resistance Pro Wrestling, MIAW, UPW, AIW, Grobal Force WrestlingLA地区AWS, Champion Wrestling from Hollywood, 等に出場9月6日のMIAWミルウォーキー大会ではサイラス・ヤングをピンフォールし、同団体ヘビー級ベルト獲得する海外戴冠)。10月5日のWCWOインディアナポリス大会で12参加のワンデートーナメント(決勝3WAY)で優勝果たした11月6日DDTフェスにて一時帰国2017年1月8日を以て再度アメリカ遠征し1月10日から21日までカナダCWE冬季ツアー12大会フル参戦1月28日アメリカ・ウイスコンシン州でのMIAWサウスミルウォーキー大会で25人参加の時間差バトルロイヤル制し空位ヘビー級ベルト獲得し、インイベントではラフ・クロシングを相手初防衛成功8月23日DDT事務所にて入江海外遠征発表された。9月19日名古屋大会終わった海外遠征始め模様で、遅くとも年末には帰国する予定である。25日新宿FACE行われた興業樋口和貞対戦し1158秒でフォール勝ち。記録片エビ固めであった入江放ったコーナー最上段からのキャノンドロップなど、大肉弾戦と呼ぶべき試合であった。この試合は、自分何の相談もなく遠征発表したことや「日本にいても上は目指せる」と納得できない点があったことなどから、男色ディーノに「闘いてわかり合いましょうと言われ決定したものであった2018年3月25日両国国技館大会全試合終了後、自らのKO-D無差別級最多防衛記録更新した竹下幸之介前に現れ挑戦表明4月29日竹下破りKO-D無差別級王座戴冠8月1日海外にてKO-D無差別級3wayマッチサミ・キャラハン(もう1人トレイ・ミゲル)に敗れベルトを失うも、8月8日サミ・キャラハンシングルマッチ勝利しベルト取り返す8月14日新木場1stRING・DDTLIVE!マジ卍内にて、試合終了直後いつでもどこでも挑戦権使用したディーノ敗れ王座から陥落した9月末でDDT退団し海外団体中心に活動していくと発表

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DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:05 UTC 版)

石川修司」の記事における「DDTプロレスリング」の解説

2002年 DDTプロレスリングの入団テスト受験した準備不足祟って不合格。だが当時の社長であった三和亮は社会人経験のある石川信用して練習生のようなポジション石川DDTに置き、会計などの受付業務1年ほど任せた2003年 石川受付係をやっていたため練習個人でしかできなかったが、若手レベルアップということである時JWP道場借りて週2回の合同練習が始まる。先輩たちの怪我退団が相次ぎレスラーの数が足りなくなったことで高木から「お前は馬場さんに似てるから馬場さんのマネをしろ」と言われ6月5日渋谷Club ATOM開催され橋本友彦とのダークマッチプレデビュー6月15日DDT横浜赤レンガ倉庫大会において対スーパー宇宙パワー戦でデビュー。この時については「怖かったことしか覚えてません。自分には馬場さんのマネ以外何にもなかったので」と195cmの長身という武器持ちながらも自分プロレスがどんなものであるのかが見えずしばらくもがき続けた2004年ネオ・レディース社長率いるS-DDTに加担し本隊対立する。S-DDT崩壊後ポイズン澤田JULIE改造され光教団に入信し戦闘員イアント」となる。

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DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:36 UTC 版)

ハードコア・レスリング」の記事における「DDTプロレスリング」の解説

王者ルール決められるDDT EXTREME王座があり、しばしばハードコア試合が行われる。また、DDT所属MIKAMIラダー使った攻防を得意とし、通常ルール試合においても公認凶器として扱われることが多い。その他ではリングのない野外建物内試合する路上プロレス」もよく話題になるが、路上戦を好む飯伏幸太曰く路上ハードコア別物」だという。対戦者が事前に用意した凶器一定時間毎に運び込まれ使用可能になる「ウェポンランブル」もDDT発祥である。

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DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:29 UTC 版)

DRAGON GATE」の記事における「DDTプロレスリング」の解説

2007年4月18日新宿FACEDDTとの合同興行DDG」を開催2008年4月6日後楽園ホールDDTとの合同興行DDG」を開催望月の自主興行武勇伝」などでも交流があり、戸澤アキラ男色ディーノ戦はある意味話題上がった一時期飯伏幸太参戦もあった。その後交流一時途絶えた。しかし、2012年CIMATwitterが縁で高木三四郎初参戦している。2012年6月5日東成区センターDDTとの合同興行DDG」を開催その後諸事情により、交流一時途絶えたDDTレギュラー参戦している、大鷲透計らいより2021年10月10日長野大会神田裕之が、12月18日名古屋大会には、横須賀ススム参戦した。。

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DDTプロレスリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 19:31 UTC 版)

新日本プロレス」の記事における「DDTプロレスリング」の解説

DDTプロレスリングの詳細2002年 6月7日新日本プロレス日本武道館大会ポイズン澤田JULIE佐々木貴MIKAMI蛇影参戦2008年 5月6日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会獣神サンダー・ライガー参戦6月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会獣神サンダー・ライガー内藤哲也参戦2009年 5月5日新日本プロレス後楽園ホール大会飯伏幸太参戦2010年 3月14日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会真壁刀義参戦10月11日新日本プロレス両国国技館大会飯伏幸太ケニー・オメガ参戦11月14日、DDTプロレスリング大阪府立体育会館第2競技場大会田口隆祐プリンス・デヴィット参戦12月26日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会邪道外道参戦2011年 1月4日新日本プロレス東京ドーム大会飯伏幸太参戦1月23日新日本プロレス後楽園ホール大会飯伏幸太男色ディーノ参戦6月18日新日本プロレス大阪府立体育会館第1競技大会飯伏幸太参戦7月24日、DDTプロレスリング両国国技館大会プリンス・デヴィット参戦8月1日新日本プロレス福岡国際センター大会飯伏幸太参戦8月14日新日本プロレス両国国技館大会飯伏幸太参戦2012年 1月21日新日本プロレス後楽園ホール大会男色ディーノ参戦7月29日新日本プロレス後楽園ホール大会飯伏幸太参戦8月18日、DDTプロレスリング日本武道館大会真壁刀義参戦9月7日新日本プロレス後楽園ホール大会飯伏幸太参戦9月23日新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会飯伏幸太参戦10月8日新日本プロレス両国国技館大会飯伏幸太参戦12月23日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会天山広吉小島聡参戦2013年 1月4日新日本プロレス東京ドーム大会飯伏幸太参戦2月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会獣神サンダー・ライガー高橋広夢参戦8月18日、DDTプロレスリング両国国技館大会オカダ・カズチカ参戦10月7日、DDTプロレスリングの飯伏幸太がDDTプロレスリングと新日本プロレスの2団体所属選手になることを発表2014年 8月17日、DDTプロレスリング両国国技館大会棚橋弘至参戦10月3日、DDTプロレスリングのケニー・オメガ10月いっぱい契約終了して新日本プロレス移籍することを発表11月12日、DDTプロレスリング後楽園大会真壁刀義参戦2015年 6月20日シンガポール開催した新日本プロレスシンガポールエキスポ・ホール7大会中澤マイケル参戦8月23日、DDTプロレスリング両国国技館大会棚橋弘至参戦

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