DDTプロレスリング
DDTプロレスリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:08 UTC 版)
2010年3月よりDDTプロレスリングへ留学という形で参加しておりDDTを主戦場としているが、名古屋での興行へも定期的に参戦している。また、12月からはユニオンプロレスに移籍した高木三四郎のプロデュースしたTKG48のメンバーとしてユニオンにもレギュラー参戦するようになった。 2011年5月8日の「愛プロレス博2011」において、タッグマッチではあるが高井に勝利(入江のパートナーは三原)し師匠越えを果たした。同5月、DDTのKO-D無差別級挑戦権トーナメントに参戦し、飯伏幸太を破る大金星を挙げた。入江もその活躍を認められて翌月の6月、TKG48メンバーである澤宗紀をパートナーに迎えてKO-Dタッグ王座に挑戦、王者GENTARO、ヤス・ウラノ組を破り初のタイトルを手にした。 2012年4月1日後楽園大会、ケニー・オメガが保持する世界ジュニアヘビー級王座に初挑戦し、入江もファイヤーバードスプラッシュを披露するなど肉薄したが、最後はオメガの片翼の天使で入江が敗れた。5月4日には石川修司とのチーム「BIG"G"BANG」で佐々木義人、忍のBJW認定タッグ王座に挑戦、奪取に成功した。 2012年秋、石井慧介・高尾蒼馬ら3人でチーム・ドリーム・フューチャーズを結成。2013年よりDDTの正式所属選手となり、チームドリフの3人でKO-D6人タッグ王座も戴冠した。 3月20日、オメガの持つKO-D無差別級王座に初挑戦して王座奪取に成功。その後、8度の防衛に成功し、KO-D無差別級の最多防衛記録を樹立した。8月の両国国技館大会「両国ピーターパン2013」ではHARASHIMAとの防衛戦を行ったが、敗れて王座から陥落した。 8月17日、両国国技館大会「両国ピーターパン2014」で大槻ケンヂメイクを施し登場。 2015年、11月23日より開幕する全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」に吉江豊とのタッグで出場決定。 2016年5月25日、全日本プロレス社長秋山準の要請により「AJレンジャー」のグリーンになる。 7月17日より無期限アメリカ遠征に入る。中西部のWCWO, IWA Mid-South, AAW, Pro Wresting Blitz, Galli Lucha Libre, Freelance Wrestling, Resistance Pro Wrestling, MIAW, UPW, AIW, Grobal Force Wrestling、LA地区のAWS, Champion Wrestling from Hollywood, 等に出場。9月6日のMIAWミルウォーキー大会ではサイラス・ヤングをピンフォールし、同団体のヘビー級ベルトを獲得する(海外初戴冠)。10月5日のWCWOインディアナポリス大会では12名参加のワンデートーナメント(決勝は3WAY)で優勝を果たした。 11月6日のDDTフェスにて一時帰国。2017年1月8日を以て再度アメリカに遠征し、1月10日から21日までカナダCWEの冬季ツアー12大会にフル参戦。1月28日アメリカ・ウイスコンシン州でのMIAWサウスミルウォーキー大会では25人参加の時間差バトルロイヤルを制し空位のヘビー級ベルトを獲得し、インイベントではラフ・クロシングを相手に初防衛に成功。 8月23日、DDT事務所にて入江の海外遠征が発表された。9月19日の名古屋大会が終わったら海外遠征を始める模様で、遅くとも年末には帰国する予定である。25日、新宿FACEで行われた興業で樋口和貞と対戦し11分58秒でフォール勝ち。記録は片エビ固めであった。入江が放ったコーナー最上段からのキャノンドロップなど、大肉弾戦と呼ぶべき試合であった。この試合は、自分に何の相談もなく遠征を発表したことや「日本にいても上は目指せる」と納得できない点があったことなどから、男色ディーノに「闘いてわかり合いましょう」と言われて決定したものであった。 2018年3月25日、両国国技館大会の全試合終了後、自らのKO-D無差別級の最多防衛記録を更新した竹下幸之介の前に現れ挑戦表明。 4月29日、竹下を破り、KO-D無差別級王座を戴冠。 8月1日、海外にてKO-D無差別級3wayマッチでサミ・キャラハン(もう1人はトレイ・ミゲル)に敗れベルトを失うも、8月8日にサミ・キャラハンにシングルマッチで勝利し、ベルトを取り返す。 8月14日、新木場1stRING・DDTLIVE!マジ卍内にて、試合終了直後にいつでもどこでも挑戦権を使用したディーノに敗れ王座から陥落した。 9月末でDDTを退団し、海外団体を中心に活動していくと発表。
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DDTプロレスリング
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2002年 DDTプロレスリングの入団テストを受験したが準備不足が祟って不合格。だが当時の社長であった三和亮は社会人経験のある石川を信用して仮練習生のようなポジションで石川をDDTに置き、会計などの受付業務を1年ほど任せた。 2003年 石川は受付係をやっていたため練習は個人でしかできなかったが、若手のレベルアップということである時JWPの道場を借りて週2回の合同練習が始まる。先輩たちの怪我や退団が相次ぎ、レスラーの数が足りなくなったことで高木から「お前は馬場さんに似てるから馬場さんのマネをしろ」と言われて6月5日に渋谷Club ATOMで開催された橋本友彦とのダークマッチでプレデビュー。 6月15日、DDT横浜赤レンガ倉庫大会において対スーパー宇宙パワー戦でデビュー。この時については「怖かったことしか覚えてません。自分には馬場さんのマネ以外何にもなかったので」と195cmの長身という武器を持ちながらも自分のプロレスがどんなものであるのかが見えずしばらくもがき続けた。 2004年 元ネオ・レディース 篠社長率いるS-DDTに加担し、本隊と対立する。S-DDT崩壊後はポイズン澤田JULIEに改造されて蛇光教団に入信し、戦闘員「蛇イアント」となる。
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DDTプロレスリング
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「ハードコア・レスリング」の記事における「DDTプロレスリング」の解説
王者がルールを決められるDDT EXTREME王座があり、しばしばハードコアな試合が行われる。また、DDT所属のMIKAMIはラダーを使った攻防を得意とし、通常ルールの試合においても公認凶器として扱われることが多い。その他ではリングのない野外や建物内で試合する「路上プロレス」もよく話題になるが、路上戦を好む飯伏幸太曰く「路上とハードコアは別物」だという。対戦者が事前に用意した凶器が一定時間毎に運び込まれて使用可能になる「ウェポンランブル」もDDT発祥である。
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DDTプロレスリング
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「DRAGON GATE」の記事における「DDTプロレスリング」の解説
2007年4月18日に新宿FACEでDDTとの合同興行「DDG」を開催。2008年4月6日に後楽園ホールでDDTとの合同興行「DDG」を開催。望月の自主興行「武勇伝」などでも交流があり、戸澤アキラ対男色ディーノ戦はある意味話題に上がった。一時期、飯伏幸太の参戦もあった。その後、交流が一時途絶えた。しかし、2012年にCIMAのTwitterが縁で高木三四郎が初参戦している。2012年6月5日に東成区民センターでDDTとの合同興行「DDG」を開催。その後は諸事情により、交流が一時途絶えたがDDTにレギュラー参戦している、大鷲透の計らいより2021年10月10日の長野大会に神田裕之が、12月18日の名古屋大会には、横須賀ススムが参戦した。。
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DDTプロレスリング
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「新日本プロレス」の記事における「DDTプロレスリング」の解説
DDTプロレスリングの詳細2002年 6月7日、新日本プロレス日本武道館大会にポイズン澤田JULIE、佐々木貴、MIKAMI、蛇影が参戦。 2008年 5月6日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。 6月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、内藤哲也が参戦。 2009年 5月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。 2010年 3月14日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に真壁刀義が参戦。 10月11日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太、ケニー・オメガが参戦。 11月14日、DDTプロレスリング大阪府立体育会館第2競技場大会に田口隆祐、プリンス・デヴィットが参戦。 12月26日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に邪道、外道が参戦。 2011年 1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。 1月23日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太、男色ディーノが参戦。 6月18日、新日本プロレス大阪府立体育会館第1競技場大会に飯伏幸太が参戦。 7月24日、DDTプロレスリング両国国技館大会にプリンス・デヴィットが参戦。 8月1日、新日本プロレス福岡国際センター大会に飯伏幸太が参戦。 8月14日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。 2012年 1月21日、新日本プロレス後楽園ホール大会に男色ディーノが参戦。 7月29日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。 8月18日、DDTプロレスリング日本武道館大会に真壁刀義が参戦。 9月7日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。 9月23日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に飯伏幸太が参戦。 10月8日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。 12月23日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に天山広吉、小島聡が参戦。 2013年 1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。 2月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、高橋広夢が参戦。 8月18日、DDTプロレスリング両国国技館大会にオカダ・カズチカが参戦。 10月7日、DDTプロレスリングの飯伏幸太がDDTプロレスリングと新日本プロレスの2団体所属選手になることを発表。 2014年 8月17日、DDTプロレスリング両国国技館大会に棚橋弘至が参戦。 10月3日、DDTプロレスリングのケニー・オメガが10月いっぱいで契約を終了して新日本プロレスに移籍することを発表。 11月12日、DDTプロレスリング後楽園大会に真壁刀義が参戦。 2015年 6月20日、シンガポールで開催した新日本プロレスシンガポールエキスポ・ホール7大会に中澤マイケルが参戦。 8月23日、DDTプロレスリング両国国技館大会に棚橋弘至が参戦。
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