シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 09:16 UTC 版)
シャーロット Charlotte | |
---|---|
イギリス王妃 | |
1781年、トマス・ゲインズバラ画 | |
在位 | 1761年9月8日 - 1818年11月17日 |
戴冠式 | 1761年9月22日 |
別称号 |
アイルランド王妃 ハノーファー選帝侯妃 ハノーファー王妃 |
全名 |
Sophia Charlotte ソフィア・シャーロット |
出生 |
1744年5月19日 神聖ローマ帝国、メクレンブルク=シュトレーリッツ、ミロー |
死去 |
1818年11月17日(74歳没) イギリス イングランド、キュー、キュー宮殿 |
埋葬 |
1818年12月2日 イギリス イングランド、ウィンザー、ウィンザー城内聖ジョージ礼拝堂 |
配偶者 |
ジョージ3世 (1761年結婚) |
子女 | |
家名 | メクレンブルク=シュトレーリッツ家 |
父親 | カール・ルートヴィヒ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ |
母親 | エリーザベト・アルベルティーネ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン |
宗教 | プロテスタント |
メクレンブルク=シュトレーリッツ公子カール・ルートヴィヒの末娘で、ドイツ語名はゾフィー・シャルロッテ・ツー・メクレンブルク=シュトレーリッツ(Sophie Charlotte zu Mecklenburg-Strelitz)。
兄にメクレンブルク=シュトレーリッツ公(のち大公)アドルフ・フリードリヒ4世、カール2世がいる。
生涯
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2023年9月) |
ジョージ3世は母后オーガスタと首相ビュート伯から王妃選びで度重なる干渉を受けていたが、これを嫌った王は独自に侍従武官グレアム大佐をドイツへ派遣し、王妃にふさわしい女性を見つけてくるよう命じた。グレアム大佐が推薦したのが、当時17歳の公女シャルロッテであった。
1761年9月8日に挙式、その14日後の9月22日に戴冠式を行った。ジョージ3世は王妃とともに戴冠するつもりで、即位後1年あまりも戴冠式を延期していたという。
王との家庭生活は円満で、ジョージ4世、ヨーク公フレデリック、ウィリアム4世、ケント公エドワード(ヴィクトリア女王の父)、ハノーファー王エルンスト・アウグストら9男6女の母となり、夫の女性関係では苦労することも全くなかった。政治に口を出すことなく、宮廷行事でも出しゃばることがなかった。しかし、子供たちの不品行には夫とともに心の安まる時がなかった。たびたび精神異常を引き起こした夫を献身的に介護し、ロンドンを出てウィンザー城で共に暮らした。
ヨハン・クリスティアン・バッハ(有名な大バッハの息子の一人)、モーツァルトの後援者であったことが知られている。また、ロンドンのキューガーデンの設立にも協力したほど植物を愛していた。このほか、ウェッジウッドの陶磁器を購入し、「クイーンズウェア」の称号を許可している。
1818年11月17日に死去、74歳没。ウィンザー城内のセント・ジョージズ・チャペルに埋葬された。
子女
- ジョージ4世(1762年 - 1830年) イギリス王、ハノーファー王
- フレデリック(1763年 - 1827年) ヨーク・オールバニ公
- ウィリアム4世(1765年 - 1837年) イギリス王、ハノーファー王
- シャーロット(1766年 - 1828年) ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の2度目の妃
- エドワード(1767年 - 1820年) ケント・ストラサーン公、ヴィクトリア女王の父。
- オーガスタ(1768年 - 1840年)
- エリザベス(1770年 - 1840年) ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ6世妃
- アーネスト(1771年 - 1851年) ハノーファー王、カンバーランド公
- オーガスタス(1773年 - 1843年) サセックス公
- アドルファス(1774年 - 1850年) ケンブリッジ公
- メアリー(1776年 - 1857年) グロスター公妃
- ソフィア(1777年 - 1848年)
- オクタヴィアス(1779年 - 1783年)
- アルフレッド(1780年 - 1782年)
- アミーリア(1783年 - 1810年)
- ^ Charlotte queen of England Encyclopædia Britannica
- ^ “メーガン妃は初の「黒人のプリンセス」? | いえいえ、英王室には昔から黒人の血が流れています。”. クーリエ・ジャポン (2017年12月2日). 2020年4月27日閲覧。
- ^ Deneen Brown, "Prince Harry and Meghan Markle wedding: Will the bride really be our first mixed-race royal?" The Independent, 28 November 2017.
- ^ a b Linge, Mary (13 November 2021). "Real-life queen of 'Bridgerton' wasn't biracial – but she was a badass". New York Post (英語). 2022年3月15日閲覧。
- ^ a b Hilton, Lisa (28 January 2020). "The "mulatto" Queen Lisa Hilton Debunks a Growing Myth About a Monarch's Consort". TheCritic.co.uk (英語). TheCritic. 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b Jill Sudbury (20 September 2018). "Royalty, Race and the Curious Case of Queen Charlotte". Acacia Tree Books (英語). 2020年9月22日閲覧。
- ^ a b Stuart Jeffries, "Was this Britain's first black queen?" The Guardian, 12 March 2009.
- ^ Blackmore, Josiah (2009). Moorings: Portuguese Expansion and the Writing of Africa. U of Minnesota Press. p. xvi, 18. ISBN 978-0-8166-4832-0.
- ^ Menocal, María Rosa (2002). Ornament of the World: How Muslims, Jews and Christians Created a Culture of Tolerance in Medieval Spain. Little, Brown, & Co. ISBN 0-316-16871-8, p. 241
- ^ "Primeira parte das Chronicas dos reis de Portvgal". purl.pt (英語). 2019年9月14日閲覧。
- ^ Braamcamp Freire, Anselmo (14 September 1921). "Brasões da Sala de Sintra" (英語). Coimbra : Imprensa da Universidade. Internet Archiveより2019年9月14日閲覧。
- ^ Felgueiras Gayo & Carvalhos de Basto, Nobiliário das Famílias de Portugal, Braga, 1989
- ^ Pizarro, José Augusto de Sotto Mayor, Linhagens Medievais Portuguesas, 3 vols., Porto, Universidade Moderna, 1999.
- 1 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツとは
- 2 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツの概要
- 3 血筋
- 4 登場する作品
固有名詞の分類
連合王国の王妃 |
アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン メアリー・オブ・テック シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ キャロライン・オブ・アーンズバック アレクサンドラ・オブ・デンマーク |
メクレンブルク=シュトレーリッツ家 |
カール・ミヒャエル・ツー・メクレンブルク ユッタ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ フリーデリケ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ |
ハノーファーの后妃 |
ゾフィー・フォン・デア・プファルツ アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ キャロライン・オブ・アーンズバック フリーデリケ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ |
- シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツのページへのリンク