ジェームズ・フライ
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来歴
作家になる前は、シカゴ周辺で働いていた。その後、カリフォルニア州ロサンゼルスに引っ越し、脚本家、映画監督、映画プロデューサーとして活動を始める。1996年の春から、「ア・ミリオン・リトル・ピーシーズ」(原題「A Million Little Pieces」)という本の執筆を始める。本の内容は、かつてミネソタ州のリハビリ施設で薬物依存症とアルコール依存症の治療を受けていた頃の体験を綴ったものだった。しかし、フライ自身は薬物やアルコールの依存症に陥ったことも、交通事故を起こしたことも、リハビリ施設に入ったこともなかった。
この本は、2003年4月に「ノンフィクション」の自伝小説として出版された。この本は通販サイトAmazon.comのレビューの書き手が選ぶ2003年度の本に選ばれた。
2004年には「マイ・フレンド・レナード」(原題「My Friend Leonard」)の執筆を開始し、この本は2005年6月に出版した。この本もまたAmazon.comで高く評価され、2005年度の本の中で5位にランクされた。
2005年9月に放送された「オプラ・ウィンフリー・ショー」において、オプラズ・ブック・クラブという本を紹介する企画の中で、オプラ・ウィンフリーから紹介された。オプラ・ウィンフリー・ショーはアメリカでは極めて知名度が高い番組であり、この番組で紹介された本の多くはベストセラーになっている。
2006年1月8日にThe Smoking Gunというサイトにおいて、「A Million Little Lies: Exposing James Frey's Fiction Addiction」という記事が投稿され、「ア・ミリオン・リトル・ピーシーズ」の内容が、警察などの記録と大きく違うと報道された。
同年1月26日に、本を紹介したオプラ・ウィンフリーに彼女の番組に招かれ、事実を問いただされた。こうした説明に対し、事実を多少変更して書いたことは認めた。
2007年に「ブライト・シャイニー・モーニング」(原題「Bright Shiny Morning」)の執筆を開始し、この本は2008年5月に出版された。
作品
著作
原題 | 原典出版年 | 原典出版社 |
---|---|---|
A Million Little Pieces | 2003年4月15日 | ダブルデイ |
My Friend Leonard | 2005年6月16日 | Riverhead Books |
Bright Shiny Morning | 2008年5月13日 | ハーパーコリンズ |
脚本
作品名 | 放映年 |
---|---|
Sugar: The Fall of the West[1] | 1998年 |
Kissing a Fool | 1998年2月27日 |
出典
- 町山智浩 「サラ、いつわりのいつわり ベストセラー自叔伝に次々とウソが発覚」『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか 超大国の悪夢と夢』太田出版、2009年1月19日、ISBN 978-4778311520、216頁。
- 2006年3月14日放送「コラムの花道」『ストリーム』、TBSラジオ。
- IPSO FACTO もしも彼女が大統領選挙に出たら
- ^ 監督も務めた
- 1 ジェームズ・フライとは
- 2 ジェームズ・フライの概要
- 3 外部リンク
固有名詞の分類
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