ジークムント・フロイト
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著名な子孫
3人の息子(他はオリヴァー、エルンスト)、3人の娘(他はマティルデ、ゾフィー)がいた。
- 英語圏への移住者が多く、その場合は英語読みで「フロイド」と表記される。
- 長男:マルティン・フロイト(Martin, 1889-1967)
- 1958年に回想『父フロイトとその時代』(藤川芳朗訳、白水社、2007年)を上梓
- 三女:アンナ・フロイト
- 末娘で遊戯療法の基礎を築く
- 孫:ルシアン・フロイド
- 画家
- 孫:クレメント・フロイド
- 著述家・ブロードキャスター・政治家
- 曾孫:エマ・フロイド
- ジャーナリスト
- 曾孫:ベラ・フロイド
- ファッションデザイナー
- 曾孫:マシュー・フロイド
- メディア王のルパート・マードックの娘と結婚。また甥のエドワード・バーネイズは広告産業の生みの親の一人でアメリカの大統領選挙にテレビメディアを活用し、スピン・ドクターのはしりといわれる。
評価と業績
フロイトは、人間の心の『無意識』という世界を発見したことによって、マルクス、ダーウィンとならんで20世紀の思想に大きな影響を与えた人物の一人ともされる[15]。しかし、彼の理論に対しては生前から批判も絶えず[注 5]、彼の業績をどの程度評価するかは未だに議論の対象になっている。また、シュルレアリズム運動を率いた作家たちはその美術運動の理論的基礎をフロイトに求めるなど精神分析の登場は20世紀文化史における一大事件といってもよいだろう。
正常か異常かを問わず人間の心理は共通同一の原理で動いており、人の行動には無意識的な要素が作用していると考えることは、自身の合理性を疑わない19世紀の知識人を驚かせた。フロイトは、催眠状態での暗示によって、被験者が実験者の促した行動をとり、かつなぜその行動をとるのかしばらくわからずにいた事実から、「無意識」の行動における影響について着想を得たのだった。
フロイトは当時得体の知れない流行となっていたヒステリーの治療にあたり、患者[注 6]が「おしゃべり」をすることで症状の軽減が見られることに着目し、こうして「自由連想法」が生まれた[注 7]。
フロイトの「力動論」や「リビドー」の概念はエネルギー保存の法則を元にしているとも言われる。患者の症状は無意識に抑圧された内容の形を変えた表れである、ととらえ、ヒステリー患者たちが身体的な症状部位に関する言葉、関連した(自由連想的)エピソード記憶を想起するに至ってから症状から回復することも確かめられた[注 8]。リビドー(性的エネルギー)の理論には経済的な思考とヴィクトリア時代の道徳が存在している。1人の個人が消費できるエネルギーの量は限定されており、それ以上の消費を行なうと病気や神経衰弱を招く、という観念のもと理論が構築されていたのである。ここから「リビドー保存」の仮説を導き出し、そこから『文化への不満』に著されるように、直接快感をもたらす本能的性行動[注 9]を放棄し、強制的に文明の目的を追求せざるをえなくなっている文明人は不幸である、という意味を引き出したのである[注 10]。
また、戦争帰還兵達との臨床経験や娘の一人の死を通じ、独: Todestriebすなわちデストルドー(死の欲動)あるいはタナトス(死の本能)についても考えるようになった。(参照:生の本能・死の本能)
フロイトがこだわった点、彼の精神分析理論の科学性については疑問がある。たとえばカール・ポパーは実験やデータなどの反例による理論修復の機会を拒否する精神分析論の独善的な姿勢を批判している。フロイトの精神分析は、「無意識の仮説」によって解明されるべき問題行為が、推理的方法を用いる、一人の“客観的証人(分析者)”にとってのみ意味を持ち、“本人”にとって意味を持たないという、正義と才能の確実な保証の無い分析者による独断が行われる危険性を産み出した[注 11][注 12]。
しかし、フロイト自身がこの精神の病理という分野に大きなスポットライトを当てた業績は誰にも否定できないだろう[要出典]。フロイトの時代の医学では精神病理の治療はほとんど進んでおらず、脳内のメカニズムを解明する可能性はほとんど存在しなかった[要出典]。エリック・カンデルは、フロイトは元々は神経学者であり精神分析学は記憶に焦点を当てた学問である以上、将来的には記憶の神経学的解明によって精神分析学と神経学を結び付けることが可能になるであろうと指摘した[16]。
しかし、現代の精神医学においては、フロイトの理論自体が高く評価されているとはいえない。その理由としては、嗜好性の強い独特の性的一元論に代表される、およそ通常の現代人の感覚にそぐわない違和感のある内容という事があげられる。性的一元論は、そもそも彼自身の心の病理からくるとする意見もあるが、当時のヴィクトリア朝時代の抑圧性の非常に強い時代にあっては、まさに紳士を自認する人間たちが性的な領域を否認することに、フロイトは欺瞞を感じたのだった。元々フロイトの診ていた患者は上流階級の女性が多く、性にまつわる情報を遮断された環境で育っていたという事情が指摘される[17]。性理論の形成に関しては、当時の抑圧の強い時代において、フロイトがその観点の強調に革命的意味を持たせていたことを念頭に置く必要がある。また、例えば心的外傷(トラウマ)といった考えは、現代においても通用する。
だが、性理論への偏向自体は、フロイト自身の政治的な立場から自身の主張を一つのものの見方に限ってしまうことになり、科学者としての彼の姿勢に非難があがる結果にもつながった。さらに、それ以後の精神分析や心理学の発展により、フロイトの主張とは異なる新たな見解や方法が生み出されてきた歴史的経緯もあるだろう。
関係者
- アンナ・フロイト
- ルシアン・フロイド
- アルフレッド・アドラー
- ヴィルヘルム・ライヒ
- ヘルベルト・マルクーゼ
- オットー・ランク
- メラニー・クライン
- スネーク・トンプソン
- カール・ユング
- ジャック・ラカン
- フェレンツィ・シャーンドルとハンガリー学派
- エドワード・バーネイズ
- 呉建
- ^ しかし、フロイトはやがて、「不安神経症」の原因として「性的虐待」を除外するようになる。というのも性的虐待を受けたと訴える患者の多くが、実は性的虐待を受けていないことが分かってきたのである。無論、虐待が皆無だったわけではなく、フロイトは少なくとも数件においては性的虐待がほぼ確実だと報告している。フロイトはしかし、他の大部分が事実に反するからといってそれを無視はせず、むしろ「なぜ」患者がそう考えるのかという側面から考察を進めた。いわゆる「客観的事実」としては誤りでも、患者にとって何かしらの「心的現実」があるという考えである。発達心理学者E.H.エリクソンはフロイトの理論を元にして、神経症患者達が性的な側面において損なわれており、患者達が過去において例外なくその発達課題を適切にこなせていなかったことを見いだした。[要出典]
- ^ 後にフロイトは大学教授の職を手に入れた。[要出典]
- ^ その後のナチスによるユダヤ人に対する行動を暗にほのめかしてはいるが、この発言を額面通りに解釈しているユダヤ人歴史学者ピーター・ゲイは著書『Freud: A Life for Our Time』でフロイトの機知を先見性がないと指摘している。なお、フロイトはナチスに殺害されなかったが、6年ほど後に病苦の末にモルヒネで安楽死して火葬式で弔われた。
- ^ 国際心理療法医学会はドイツ精神療法学会を前身としており、ナチスが国際心理療法医学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニフェストが学会誌に掲載されるなど、国際心理療法医学会もナチスから自由ではなかった。[要出典]
- ^ 「ユダヤ人の似非科学」というような揶揄、非難が浴びせられた。また、苗字のFreud(イディッシュ語: פרייַד, פרייד)はヘブライ語: שמחה Śimḥāh(シムハー、"喜び"を意味するユダヤ人女性名)のイディッシュ語訳 פרייַדע Frayde, Fraydel, Fraydl, Fraydes (< ドイツ語: Freude) に由来するが、英語圏では、初期の精神分析学に対する社会的不信から、しばしばFraud(詐欺師)と揶揄された。一方、精神分析的解釈からすると、言葉の錯誤には無意識の働き(コンプレックス等)が読み取れるため、精神分析派はそうした現象を逆に一種の錯誤の結果として解釈するかもしれない。[要出典]
- ^ フロイトは医学畑出身でこの用語を用いた。[要出典]
- ^ フロイトにこの重要な洞察をもたらした聡明な一人目の患者は、やがて有名な社会革命家になった。[要出典]
- ^ 彼は、抑圧された願望自体は消えることなく、無意識の領域に追いやられる、とした。また、意識の注意が和らぐ睡眠中の夢にも、その現れが見られるとし、その例として彼は、南極探検隊が遭難した際、食糧が底をついた彼等が一様に見た夢が、食糧に関するものだった例を挙げている。抑圧される内容の中には、意識にとって受け入れがたい性質のものもあり、本人にとって想起が苦痛となる性質のもある。それらは、忘却の対象となるが、無意識にとどまり、症状が見られる場合は、抑圧された何かしらのエピソードが原因だと考えられた。自由連想法では意図的に本人の批判的意識を和らげるよう促し、抑圧された部分が意識にのぼってくるように工夫し、その解明を図った。[要出典]
- ^ 日本の文化風土と欧米の文化風土は異なるため、ジェンダーに関する考えに差異がみられる、つまり本能的性行動のニュアンスが少々異なる、ということだ。[要出典]日本におけるそれらの差異についての研究としては、土居健郎の『「甘え」の構造』(弘文堂〈増補普及版〉、2007年5月。ISBN 4335651295)が有名である。
- ^ 現代においては、1960年代頃からツイッギーなどの影響で女性の体型が「筋肉質な体」から「痩せている体」に文化的流行が変化した。それによってダイエットをする必要性が生じ、食事制限のために食欲という(代理)本能的欲求を満たすことを放棄しなければならなくなっている。[要出典]
- ^ フロイトは意識から無意識へ抑圧された内容の表れが夢において見られるとしたのだが、普段抑圧されがちな内容が報告されれば、フロイトの理論を支持すると見なし、そうした内容を見なかったという報告があっても、「フロイトが間違っていると言いたい」という患者の願望の歪曲された形だ、といった解釈をした。仮定を支持するような現象にしろ、否定するような現象にしろ、結局は仮定を支持する形で理論に吸収されることになり、それに対する疑問が投げかけられている。[要出典]
- ^ 心理的な現象を説明する際に、本人の主観的報告に基づくデータの科学性を疑問視する声があるが、人の心理には主観的な側面も重要な意味を持つために、平均的な抽象的データのみに重点を置くことは、個々の個別性を無視してしまうことになり、現象の把握としては不十分だと言える。(が、後者は大まかな比較をする際に役に立つ。また、後年アメリカの心理学では、操作的手法を用い、カウンセリングを行った場合と行わなかった場合の結果の違いを明確に示し、主観・客観両面からのアプローチする方法が現れた。)フロイトは客観的には事実でないとしても、本人に真実性をもって迫っている場合を、本人にとっての「心的現実」ととらえた。[要出典]
固有名詞の分類
思想家 |
ジークムント・フロイト ノヴァーリス ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 法然 ジョン・サール |
精神科医 |
マックス・リュッシャー ジークムント・フロイト チェーザレ・ロンブローゾ カール・グスタフ・ユング ゲオルギー・ロザノフ |
性の研究者 |
ジークムント・フロイト 安田義章 エルンスト・グレフェンベルグ 大場正史 代々木忠 |
フロイト派心理学 |
ジークムント・フロイト ヘレーネ・ドイチュ カレン・ホーナイ アルフレッド・アドラー ハインツ・コフート |
オーストリアの心理学者 |
ジークムント・フロイト ヴィクトール・フランクル アルフレッド・アドラー マリー=ルイズ・フォン・フランツ アレクシウス・マイノング |
オーストリアの医学者 |
ジークムント・フロイト ハンス・アスペルガー ヴィクトール・フランクル ユリウス・ワーグナー=ヤウレック アルフレッド・アドラー |
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