二式単座戦闘機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 00:46 UTC 版)
アメリカ軍による評価
TAIC(米海軍航空情報部)では、鹵獲した二式戦二型(キ44-II)の1機を使用し実際に飛行テストと性能調査を行っている。報告書によれば「急降下性能と上昇力が傑出(Excellent)しインターセプターとしてもっとも適切 (suitable) な機体」と論じている。同機関では他にも、三式戦・四式戦・雷電二一型・紫電一一型などの鹵獲機を調査しているが、二式戦はこれらの中で迎撃戦闘機(インターセプター)として最高の評価を得ている[27]。
諸元
制式名称 | 二式戦闘機一型甲 | 二式戦闘機一型乙・丙 | 二式戦闘機二型甲 | 二式戦闘機二型乙 | 二式戦闘機二型丙 |
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試作名称 | キ44-I甲 | キ44-I乙・丙 | キ44-II甲 | キ44-II乙 | キ44-II丙 |
全幅 | 9.45 m | ||||
全長 | 8.9 m | 8.84 m | 8.85 m | ||
全高 | 3.24 m | 3.25 m | |||
翼面積 | 15 m2 | ||||
翼面荷重 | 184.67 kg/m2 | ||||
自重 | 2,095 kg | 2,106 kg | 2,109 kg | ||
正規全備重量 | 2,769 kg | 2,764 kg | |||
発動機 | ハ41(離昇 1,250馬力)1基 | ハ109(離昇 1,450馬力)1基 | |||
最高速度 | 605 km/h (高度 5,200 m) | 615 km/h (高度 5,200 m) | 605 km/h (高度 5,200 m) | ||
上昇力 | 5,000 m まで 4分15秒 | 5,000 m まで 4分26秒 | |||
航続距離 | 1,296 km(落下式増槽装備時) | 1,600 km(落下式増槽装備時) | |||
武装 |
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爆装 | 30 kg〜100 kg爆弾 2発 または 250 kg爆弾 1発 | ||||
生産機数 | (数量不明) | (数量不明) | 353機 (製造番号 1001–1353) |
394機 (製造番号 1356–1749) |
426機 (製造番号 1750以降) |
各種形式
- 一型甲(キ44-I甲)
- ハ41 (1,250 hp) 搭載。12.7 mm 機関砲 2門、7.7 mm 機関銃 2挺 装備。
- 一型乙(キ44-I乙)
- 12.7 mm 機関砲 4門 装備。
- 一型丙(キ44-I丙)
- 車輪カバーの形状を変更。カバーの下側を︵から︶の形へ。
- 二型甲(キ44-II甲)
- ハ109 (1,450 hp) 搭載。翼内に12.7 mm 機関銃2門、機首部分に7.7 mm 機関銃 2挺 装備。
- 二型乙(キ44-II乙)
- 12.7 mm 機関砲 2門、一部の機はホ301 40 mm 機関砲を翼内に 2門 特別装備可能。
- 二型丙(キ44-II丙)
- 12.7 mm 機関銃 4門。光像式照準器(一〇〇式射撃照準器/ひとまるまるしきしゃげきしょうじゅんき)採用。
- 三型甲(キ44-III甲)
- ハ145 (2,000 hp) 搭載。 単排気管、四式戦闘機と同じ主翼(ただこれは試作一号機と同じく19 m2)プロペラを採用している。武装も 20 mm 機関砲×4門に強化。試験飛行を担当した吉沢鶴寿によれば「だいぶ良くなりました。」とのこと[要出典]。しかし、すでに四式戦闘機の採用が決まっていたためこちらは採用はされなかった。1943年(昭和18年)6月に1号機が完成、12月実用審査完了、全備重量 2,886 kgというデータあり。製造されたのは1機のみとのこと。
- 三型乙(キ44-III乙)
- 三型甲の武装をさらに 37 mm 機関砲×2、20 mm 機関砲に強化したバージョン。甲型から改造されてテストされたと考えられている。
- キ63
- 1940年(昭和15年)に構想された重戦闘機。当初は新規設計機として計画されていたが開発が進まず、1941年秋頃にキ44-IIIが実質的にキ63であると解釈する形で計画が立ち消えになった。エンジンはハ45搭載が検討されていたが、確定には至らず終わっている[28]。
注釈
- ^ 当時の内閣総理大臣東條英機陸軍大将から[1]。
- ^ これにはキ45の名が与えられ川崎が開発、キ45改を経て二式複座戦闘機(「屠龍」)として制式化されている。
- ^ 機体重量の低減が求められていた一式戦は1943年6月から生産の二型(キ43-II)途中より13 mm厚の防弾鋼板を装備。なお、戦闘機以外では九九式襲撃機(キ51)が1939年ないし1940年の試作機時点で防弾鋼板を防火タンクとともに装備済みであった。
- ^ エンジンカウル・カウルフラップ・エンジン吸気用カウル開口部の改良[13]。
- ^ ただし空中で重要な前下方の視界はその絞り込んだ機体設計により極めて良好。
- ^ 部隊名は赤穂四十七士にちなむ。
- ^ 糸川は著書にて次のように述べている――『この飛行機のデザインは、妙な動機から生まれた。公園に行って、ぼんやりベンチにすわっていたとき、男の子と女の子がブランコをしていた。同じ鉄棒にブランコが二つぶら下がって、一つに女の子が、もう一つに男の子がのっていたわけである。そのブランコは、長さが全く同じだった。振り方の周期は、だから、女の子も男の子も、両方が同じはずなのだが、見ていると、男の子と女の子のブランコは実際、周期が違う。そこで、私はハッとなった。じつは、隼戦闘機の設計でもさんざん苦労したことなのだが、方向舵を踏んで方向を変えようとすると、かならずローリングといって横の運動が起こる。飛行機は、横の運動と縦の運動がカップルする。その神経を断つことができれば、画期的な戦闘機になると、そのとき、チラッと頭にひらめいたのである。この次の戦闘機は、方向舵の操縦、補助翼の操縦などあらゆる操縦、それらが全部カップルしないような、神経が全部断ち切られたようなものであれば、これはものすごいスピードが出るはずである。同時にまた、ものすごい命中精度と上昇力が出るはずである。というようなことがヒントになり、私は、全知全能をつくして鍾馗戦闘機を設計した。 』――[15][要ページ番号]
- ^ ダウンスラスト。高迎角時など、斜め風を受けるプロペラの左右面推力差の軽減にも有効。
- ^ 1943年10月より改編された独立飛行第47中隊の後身。
- ^ これは主翼上面を登り、左右から盛り上がる流れが胴体上半の流れと押し合って干渉するのを幾分でも吸収し流れをスムーズにする意図だと言える。
- ^ プロペラ面を通る空気は加速され外気より静圧が低くなって周囲から押されるためプロペラ径より小さい収縮流になる。
- ^ なお、翼内装備のホ301は“小粒勇者砲”と呼称されている。
- ^ 作中に登場するものの形状はアメリカのM20 75mm無反動砲に近似しているが、具体的な機種名は不明。
出典
- ^ 取扱法, p. 1.
- ^ 青木 1999, p. 112.
- ^ 青木 1999, p. 104.
- ^ 青木 1999, p. 107.
- ^ 作戦上要望, pp. 3–4.
- ^ 作戦上要望, p. 5.
- ^ 作戦上要望, pp. 6–7.
- ^ 青木 1999, pp. 107–108.
- ^ 青木 1999, p. 124.
- ^ 大木 1984, p. 4.
- ^ a b 青木 1999, pp. 111–112.
- ^ 作戦上要望, p. 6.
- ^ 酣燈社 設計者の証言 下 pp. 109–112[要文献特定詳細情報]
- ^ 青木 1999, pp. 123–124.
- ^ 糸川 1980.
- ^ a b c 内藤子生 『飛行力学の実際』 日本航空技術協会 1977年、 p. 65
- ^ 内藤子生 『飛行力学の実際』 日本航空技術協会 1977年、 p. 66
- ^ 大木 1984, p. 27.
- ^ 取扱法, p. 67.
- ^ 大木 1984, p. 26.
- ^ 碇義朗 『疾風 航空技術の戦い』 p. 78 [要文献特定詳細情報]
- ^ 山名正夫, 中口博 『飛行機設計論』 養賢堂、1968年 p. 182
- ^ 軍用機メカシリーズ③ 光人社 p. 101[要文献特定詳細情報]
- ^ 大木 1984, p. 29.
- ^ 湯浅謙三訳・野沢正監修『第2次大戦戦闘機』鶴書房刊、1970年[要ページ番号]
- ^ 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 大日本絵画、2010年8月、p. 116
- ^ 文林堂編 『世界の傑作機 No.147 特集・陸軍二式戦闘機 鍾馗』 文林堂、1985年[要ページ番号]
- ^ 歴史群像編集部 編『決定版 日本の陸軍機』学研パブリッシング、2011年、54頁。ISBN 978-4-05-606220-5。
- ^ 空自入間基地修武台記念館:特攻機「桜花」実機など公開/埼玉 - 毎日新聞
- ^ a b 「戦翼のシグルドリーヴァ」公式サイト>HERO WINGS ※2020年10月4日閲覧
- ^ 「戦翼のシグルドリーヴァ」公式サイト>戦翼通信 vol.02 世界観設定・設定考証 鈴木貴昭氏によるスペシャルコラム 第2回 キ-44II乙 & He100D-1 ※2020年10月4日閲覧
固有名詞の分類
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