四五天安門事件 影響

四五天安門事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 05:35 UTC 版)

影響

事件発生後、四人組のひとり姚文元は『人民日報』に「反革命政治事件」として民衆の反乱とごまかして報道したが、かえって国民の怒りを買い、4月12日には人民日報本社に、「ある現場労働者民兵」の名で、編集長を「ゲッベルス」と揶揄し「驚愕すべきことだ!党の機関紙は堕落した!ファシズムメガホンになり下がった」と書いた抗議文が送りつけられてきた。一方、四人組の江青は事件の報告を受けたのち興奮して、ピーナツ焼き豚とで祝杯をあげ、「私はいつでも棍棒で、反対する奴らをぶちのめしてやるわ。」と高言し周囲の顰蹙を買った。

事件後、鄧小平が責任を問われ全ての党職務を解かれ失脚。四人組が事実を曲げて毛沢東に報告したために、毛沢東は本当に反革命が起こったと勘違いし、その後の弾圧に結びついた。だが、四人組を批判する北京の人々の動きは中国全土に広がり、毛がこの年9月に死去したこともあって四人組は失脚することとなる。

参考文献

  • 呉徳 口述 (2004-4). 朱元石 等访谈 整理. ed. 吴德口述:十年风雨纪事 - 我在北京工作的一些经历. 当代中国口述史. 当代中国出版社. ISBN 7-80170-287-5 

関連文献








固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「四五天安門事件」の関連用語

四五天安門事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



四五天安門事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの四五天安門事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS