四五天安門事件
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影響
事件発生後、四人組のひとり姚文元は『人民日報』に「反革命政治事件」として民衆の反乱とごまかして報道したが、かえって国民の怒りを買い、4月12日には人民日報本社に、「ある現場労働者民兵」の名で、編集長を「ゲッベルス」と揶揄し「驚愕すべきことだ!党の機関紙は堕落した!ファシズムのメガホンになり下がった」と書いた抗議文が送りつけられてきた。一方、四人組の江青は事件の報告を受けたのち興奮して、ピーナツと焼き豚とで祝杯をあげ、「私はいつでも棍棒で、反対する奴らをぶちのめしてやるわ。」と高言し周囲の顰蹙を買った。
事件後、鄧小平が責任を問われ全ての党職務を解かれ失脚。四人組が事実を曲げて毛沢東に報告したために、毛沢東は本当に反革命が起こったと勘違いし、その後の弾圧に結びついた。だが、四人組を批判する北京の人々の動きは中国全土に広がり、毛がこの年9月に死去したこともあって四人組は失脚することとなる。
参考文献
- 呉徳 口述 (2004-4). 朱元石 等访谈 整理. ed. 吴德口述:十年风雨纪事 - 我在北京工作的一些经历. 当代中国口述史. 当代中国出版社. ISBN 7-80170-287-5
関連文献
- 厳家祺、高皋『文化大革命十年史』 上・下、辻康吾 訳、岩波書店、1996年12月20日。ISBN 4-00-002866-9 ISBN 4-00-002867-7 。
- 中嶋嶺雄『北京烈烈』 上(激動する中国)・下(転換する中国)、筑摩書房、1981年8月10日。ISBN 4-480-85162-3 ISBN 4-480-85163-1。
- 中嶋嶺雄『北京烈烈 文化大革命とは何であったか』講談社〈講談社学術文庫1547〉、2002年5月10日。ISBN 4-06-159547-4 。
- 中嶋嶺雄『中国の悲劇』講談社、1989年8月。ISBN 4-06-204578-8。 - 「四-五月革命」関係日誌・現代中国略年表: 285-301頁。
- 中嶋嶺雄『中国革命とは何であったのか』筑摩書房、1990年7月17日。ISBN 4-480-85548-3 。
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