政岡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 06:21 UTC 版)
参考文献
- 勝又胞吉『貞女高尾太夫・烈婦政岡の局・忠臣松前八之助 遺跡を巡りて』、今野印刷所、1959年。
- 金徳淳『烈婦政岡』、政岡婦人会、1931年。
- 斎藤荘次郎『先代萩実話』、金港堂、1970年。初版は1928年。
- 平貞道『伊達騒動』(仙台藩の歴史2)、宝文堂、1970年。
関連項目
- ^ 平重道『伊達騒動』13-14頁。
- ^ 1958年(昭和33年)の映画『水戸黄門漫遊記』に老女となった政岡が徳川光圀に謁してねぎらわれるシーンがある(勝又胞吉『遺跡を巡りて』326-327頁)。これは創作だが、騒動の処分が決まった数日後の4月6日に光圀が綱基(綱村)のもとを訪れ、26日には綱基が光圀のもとを訪れて懇談したことが知られており、両人の交流はあった(平重道『伊達騒動』59-60頁、231頁)。
- ^ 1970年再版の『先代萩実話』に寄せた大池唯雄の文(5頁)に、「江戸末期以来国民の常識」とある。
- ^ 平重道『伊達騒動』12頁、17-18頁。
- ^ 平重道『伊達騒動』114頁。
- ^ 1937年(昭和12年)に鉄道省が編纂した観光ガイドブック『改版日本案内記東北篇』(博文館)は、仙台の名所として「政岡の墓」を紹介し、「初子は伊達綱村の生母即ち伽羅先代萩の政岡で」と記す。
- ^ 斎藤荘次郎『先代萩実話』232頁。勝又胞吉『遺跡を巡りて』所収433頁の中山栄子「先代萩の政岡」。
- ^ 大山勝義『みちのくの菓匠回顧五十年史』117-118頁(東北菓子食料新聞社、1973年)。
- ^ 金徳淳『烈婦政岡』82-84頁。
- ^ 金徳淳『烈婦政岡』84-85頁。
- ^ 金徳淳『烈婦政岡』に寄せた一迫町長菅原義雄の「序」による。
- ^ 勝又胞吉『遺跡を巡りて』156頁。
- ^ 『河北新報』「政岡に扮し観客を魅了」2018年05月06日付ウェブ版。
- ^ 平重道『伊達騒動』114-115頁。
- ^ 平重道『伊達騒動』107-108頁。
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