秋田弁の文法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 08:05 UTC 版)
時制(テンス)と相(アスペクト)
時制(テンス、tense)とは、出来事がいつ起こったのかを発話時を基準として時間的に位置づける形式であり、過去、現在、未来などを表す。また相(アスペクト、aspect)とは出来事の完成度を表す形式であり、完成相と非完成相(継続相)などを表す。
共通語での時制は非過去と過去に二分され、非過去が現在と未来の両方を表す。時制は動詞述語、形容詞述語、形容動詞述語、名詞述語の全てにあり、「書く」「赤い」「静かだ」「山だ」に対して「書いた」「赤かった」「静かだった」「山だった」のような対立をなす。一方、共通語での相には完成相と継続相があるが、相の対立があるのは動詞述語のみであり、形容詞述語、形容動詞述語、名詞述語には相の対立はない。また動詞述語の中でも、「ある」「いる」のような存在動詞は、動作の時間的展開性がないために相の対立を持たない。相の対立がある場合、完成相は非過去で「する」、過去で「した」のように無標で表される一方、継続相は非過去で「している」、過去で「していた」のように音便形(連用形)に「-ている」を接続して表す。
状態述語
相の対立を持たない述語を状態述語という。秋田方言では、状態動詞「エル (居る)」において、現在の時制を表す場合に「ジッチャ エマ エダガ?」(おじいさん、今居るか?)のように「エダ」の形が用いられる場合がある。「エダ」の形は過去の時制にも用いられるが、過去の時制であることを明確にしたい場合は、県北部と中央部では「エデアッタ」、県南部では「エダッタ」が用いられる。また、県南部の一部の地域では、形容詞の過去語尾を用いて「エダガッタ」という地域がある。未来の時制では「ジッチャ アシタ エサ エルガ?」(おじいさん、明日家にいるか?)のように「エル」の形を用いる[66]。また、現在の一時的存在を表す場合には「エダ」が用いられるのに対して、習慣的な存在を表す場合には「ジッチャ エッカダ エサ エル」(おじいさんはいつも家に居る)のように「エル」が用いられる[67]。
同じような現象は可能動詞にも見られ、未来が「ミレル」のように基本形で表される一方、現在形は「ミレダ」のような形になり、過去であることを明示する場合には「ミレデアッタ」や「ミレダッタ」が用いられる。一方で、存在動詞「アル」では、現在においても「アッタ」が用いられることはなく、「アル」で表される。これは、「アッタ」が「-テアッタ」の形で過去であることを明示する機能を持っているためである。過去では「アッタ」の他に「アッテアッタ」(県南部では「アッタッタ」)を用いる。これは「カエデアル」(書いてある)のような補助動詞としての用法でも同様であり、過去には「カエデアッテアッタ」(県南部では「カエデアッタッタ」)の形が見られる。形容動詞述語や名詞述語では非過去が「シンジガンダ」「ヤマンダ」、過去が「シンジガンデアッタ」「ヤマンデアッタ」(県南部では「シンジガンダッタ」「ヤマンダッタ」)のように対立し、形容詞述語では非過去が「アゲァ」、過去が「アゲァガッタ」のように対立し、共通語と類似した体系をなす。状態述語の時制の対立を共通語と対比させながら示すと以下のようになる。これらには相の対立はない[66]。
述語 | 語例 | 未来 | 現在 | 過去 |
---|---|---|---|---|
状態動詞 | 居る | エル いる |
エダ いる |
エダ・エデアッタ(エダッタ) いた |
存在動詞 | 有る | アル ある |
アル ある |
アッタ・アッテアッタ(アッタッタ) あった |
可能動詞 | 書ける | カゲル 書ける |
カゲダ 書ける |
カゲダ・カゲデアッタ(カゲダッタ) 書けた |
名詞述語 | 山だ | ヤマンダ 山だ |
ヤマンダ 山だ |
ヤマンデアッタ(ヤマンダッタ) 山だった |
形容詞述語 | 赤い | アゲァ 赤い |
アゲァ 赤い |
アゲァガッタ 赤かった |
形容動詞述語 | 静かだ | シンジガンダ 静かだ |
シンジガンダ 静かだ |
シンジガンデアッタ(シンジガンダッタ) 静かだった |
未実現の状態(未実現相)を表す「(まだ)-していない」にあたる形式では、全県的に「サネァガッタ」が未実現相現在を表す表現として用いられるほか、特に鹿角地方では「サネァデダ」「サネァデラ」(「しないでいる」に相当)が用いられる[66]。
動態述語
時制の対立に加えて相の対立を持つ述語を動態述語という。動詞の中で状態動詞「エル」と存在動詞「アル」を除いた動態動詞が動態述語である。動態述語の表現には秋田県内で著しい地域差がある。
動態述語では、未来時制の場合、全県的に完成相で「シル」(する)、継続相で「シテル」(している)のような形式が用いられる。現在時制の場合、共通語で「している」で表される継続相では中央部と県南部で「シテダ」(「していた」に相当)が用いられるほか、県北部と県南部では「シテラ」が用いられる。また、過去時制では、共通語で「した」で表される完成相で全県的に「シタ」が用いられるのに加えて、中央部で「シテアッタ」、県南部で「シタッタ」が用いられる。共通語の「していた」にあたる継続相過去では、県北部と中央部で「シテアッタ」が用いられるほか、中央部では「シテエデアッタ」も用いられ、県南部では「シテダッタ」と「シテラッタ」が用いられる。各地域の用法を「する」を語例としてまとめると以下のようになる。なお、県南部の由利地方の体系は中央部の体系と一致する[68]。
時制 | 未来 | 現在 | 過去 | ||
---|---|---|---|---|---|
相 | 完成相 | 継続相 | 継続相 | 完成相 | 継続相 |
共通語 | する | している | している | した | していた |
県北部 | シル | シテル | シテラ | シタ | シテアッタ |
中央部 | シル | シテル | シテダ | シタ・シテアッタ | シテアッタ・シテエデアッタ |
県南部 | シル | シテル | シテダ・シテラ | シタ・シタッタ | シテダッタ・シテラッタ |
県北部では「シテアッタ」が継続相過去に用いられるが、県南部ではその縮約形の「シタッタ」が完成相過去に用いられる。中間の中央部では、「シテアッタ」が継続相過去と完成相過去の両方に用いられるが、中年層以下では継続相過去に限って「シテアッタ」を用いる傾向が強まっている。県北部の体系は北の津軽地方の方言(津軽弁)に連続するものであり、県南部の体系は東の旧南部藩領の方言(広義の南部弁)や南の山形内陸の方言、宮城県の方言に連続するものと見られる。
- ^ a b c d e f 秋田県教委編 (2000)、77-80頁。
- ^ a b c 大石・上村編 (1975)、181-184頁。
- ^ a b c d e 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、290-291頁。
- ^ 国立国語研究所 『方言文法全国地図』 第2集-活用編1- 1991年、第86図。
- ^ 江端義夫編 『朝倉日本語講座10 方言』 朝倉書店、2002年、78頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、172頁。
- ^ a b c d 秋田県教委編 (2000)、81-82頁。
- ^ a b c d e f 大石・上村編 (1975)、185-188頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、291-292頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、909頁。
- ^ 大石・上村編 (1975)、195-197頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第35図、840頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、82-83頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、83-84頁。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、87-89頁。
- ^ a b c d 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、289-290頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、87-88頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第43図、848頁。
- ^ a b c d 秋田県教委編 (2000)、84-86頁。
- ^ a b c d 秋田県教委編 (2000)、128-132頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、86-87頁。
- ^ a b 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、288頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、161頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第13図、818頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、89-90頁。
- ^ a b 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、288-289頁。
- ^ a b c d e 小林編著 (2006)、203-216頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、96-97頁。
- ^ a b c d e f g 秋田県教委編 (2000)、92-93頁。
- ^ a b c d 秋田県教委編 (2000)、102-103頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、293頁。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、93-94頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、94-95頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、91-92頁。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、95頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、95-96頁。
- ^ a b c 大石・上村編 (1975)、192頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、97-98頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、289頁。
- ^ 大石・上村編 (1975)、188-189頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、98-99頁。
- ^ a b c d 秋田県教委編 (2000)、99-100頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 秋田県教委編 (2000)、117-122頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、111-112頁。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、116-117頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、278頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、110-111頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、607-608頁。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、113頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、294-295頁。
- ^ a b 大石・上村編 (1975)、189頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、169頁。
- ^ 大石・上村編 (1975)、114-116頁。
- ^ a b c d e 秋田県教委編 (2000)、123-126頁。
- ^ a b c d e f 大石・上村編 (1975)、170-173頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、153-154、294-295頁。
- ^ a b c 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、153-154頁。
- ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、175頁。
- ^ 国立国語研究所 『方言文法全国地図』 第1集-助詞編- 1989年、第33図。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、127-128頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、101頁。
- ^ a b 秋田県教委編 (2000)、103-104頁。
- ^ 小林編著 (2006)、67-68頁。
- ^ 小林編著 (2006)、48-49頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、105頁。
- ^ a b c 秋田県教委編 (2000)、105-108頁。
- ^ 小林編著 (2006)、105頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、108-109頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、111-113頁。
- ^ 国立国語研究所 『方言文法全国地図』 第5集-表現法編2- 2002年、第208図 (PDF) 、凡例 (PDF) 。
- ^ a b c d e 秋田県教委編 (2000)、115-116頁。
- ^ 小林編著 (2006)、196-198頁。
- ^ 国立国語研究所 『日本言語地図』 第2集、1967年、第73図 (PDF) 。
- ^ a b c d 秋田県教委編 (2000)、114-115頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第72-73図、877-878頁。
- ^ a b c d 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、294頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第74図、879頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第75-77図、880-882頁。
- ^ 秋田県教委編 (2000)、秋田県言語地図第78図、883頁。
- ^ a b c 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、277-278頁。
- 1 秋田弁の文法とは
- 2 秋田弁の文法の概要
- 3 接辞
- 4 助詞
- 5 態(ヴォイス)
- 6 時制(テンス)と相(アスペクト)
- 7 極性(肯定・否定)
- 8 参考文献
- 秋田弁の文法のページへのリンク