A・J・バーネット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/18 06:31 UTC 版)
フィラデルフィア・フィリーズ #34 | |
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パイレーツ時代(2012年6月14日)
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アーカンソー州リトルロック |
生年月日 | 1977年1月3日(37歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト8巡目(全体217位)でニューヨーク・メッツから指名 |
初出場 | 1999年8月17日 ロサンゼルス・ドジャース戦 |
年俸 | $16,500,000(2013年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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目次
経歴
フロリダ・マーリンズ
1995年にニューヨーク・メッツから8巡目(全体217位)で指名を受け、入団。その後、1998年2月にアル・ライターと交換トレードでフロリダ・マーリンズへ移籍。1999年8月17日にロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たし、初勝利を記録した。2001年5月12日のサンディエゴ・パドレス戦でノーヒットノーランを達成。球団タイ記録となる9四死球を出しながらのノーヒッターとなった[2]。この時、バーネットは129球を投じたが、ストライクは半分の65球しかなかった[3]。この年初めて規定投球回を上回り、2桁勝利を達成した。
2002年は8月19日から9月13日までの間故障者リスト入りとなったが、12勝9敗・203奪三振(リーグ6位)・5完封(リーグ1位)の成績を残し、ホーム戦では全5完封を記録し、被安打率.190(リーグ3位)の好成績を残した[4]。しかし、2003年に4月29日の登板の後、トミー・ジョン手術を受け、その後全休。チームは球団史上6年ぶり2回目のワールドチャンピオンとなったが、バーネットはその一員になれなかった。2004年6月3日の登板でメジャー復帰を果たし、7勝6敗・防御率3.68の成績を残した。
2005年は、12勝12敗、防御率3.44という成績で終えた。5月31日のピッツバーグで行なわれたパイレーツ戦で先発した際、PNCパークのスピードガンが時速104mph(約167km/h)を記録[5]。これまで世界最速であった、サンフランシスコ・ジャイアンツの元守護神ロブ・ネンやニューヨーク・ヤンキースのランディ・ジョンソンの持つ時速102マイル(約164km/h)を更新したのか、と騒がれた。しかし、球場関係者がスピードガンを調整したところ、時速99マイル(約159km/h)程度に落ち着いたことや、バーネットが前回の先発予定試合を右ヒジの炎症で回避したことから、疑問の声が多く[要出典]、世界最速新記録には認定されていない。一方で対戦打者のフレディ・サンチェスは「ホントにあのボールの速さはこれまで体験したことのないすごいものだった。みんなは彼のスピードに懐疑的だったけど、僕はあの時、本当に104マイル出ていたと信じているよ」と語っている[6]。
トロント・ブルージェイズ
2006年、5年総額5500万ドルという契約でトロント・ブルージェイズに移籍[7]。開幕を故障者リスト入りで迎え、4月15日に故障者リストから復帰を果たし、同日のホワイトソックス戦で先発した[8]。シーズン2試合目の登板となった4月21日のレッドソックス戦で右肩痛により長期離脱を余儀なくされる(ただし、MRIや医師の診断によると、肩の異常は認められていない)[要出典]。2006年後半から復帰し10勝を挙げた。
2007年はDL入りを2回としたものの10勝し、マーリンズ時代から数えて3年連続2桁勝利。奪三振数は投球回数を初めて上回る176を記録した。
7年連続で故障者リスト入りをしていたが、2008年はリスト入りすることなくリーグ最多の34試合に先発。防御率は前年より悪化したが、自己最多の18勝を挙げ、231奪三振で最多奪三振を獲得。バーネットの5年契約には3年目終了時に契約を破棄してFAとなる権利があるため、シーズン途中にシカゴ・カブスやフィラデルフィア・フィリーズへ移籍の噂もあったが、J・P・リッチアーディGMが移籍を否定[9]。結局、移籍せずシーズンを終えた。
11月4日、契約に含まれていた破棄条項を行使し、フリーエージェントになることが決まった[7]。
ニューヨーク・ヤンキース
FAとなったバーネットを巡っては、ブレーブスが4年総額6,000万から6,500万ドル(5年目のオプションを含めると8,000万ドル)の金額を提示したが、ヤンキースがそれを上回る金額を提示[10]。そして、バーネットは12月18日に5年8250万ドルでヤンキースと合意[11]。
ヤンキース1年目は、一度も先発を飛ばすことなく33試合に先発し、207イニングを投げて13勝、防御率4.04を記録。6月20日のフロリダ・マーリンズ戦の3回に、メジャー史上39人目となる「1イニング9球で3奪三振」(immaculate inning)を達成。正捕手ホルヘ・ポサダと相性が悪く、バッテリーを組むことを拒否した[12]。ポストシーズンでは5試合に登板、好不調の波が大きかったが、フィリーズとのワールドシリーズ第2戦で好投するなど、9年ぶりの優勝に貢献した。
2010年は10勝15敗、防御率5.26とフルに稼働したシーズンでは自己最悪の成績となった。9月には右目の周りに大きな痣を作って球場に現れ、様々な憶測を呼んだ[13]。
シーズンの不調から地区シリーズでは先発を外れたが、テキサス・レンジャーズとのリーグ優勝決定戦の第4戦に登板、しかし6回5失点で負け投手となった。
2011年も先発ローテーションを守ったが、11勝11敗、防御率5.15と成績を伸ばすことはできなかった。地区シリーズの第4戦のタイガース戦では他の先発陣が軒並み乱調の中、6回途中1失点と勝利に貢献したが、結局チームは2勝3敗でシリーズを敗退した。
ヤンキースでの3年間は99試合に登板(うち98試合に先発)して34勝35敗、防御率4.79。3年間先発としてフル回転した点で、前後してヤンキースに所属しながら登板することすらままならなかったカール・パバーノや井川慶とは異なるが、後述のように結局年俸負担付きで放出に至ったこともあり、高額な契約には見合わないとの見方が強く、彼らと同様、近年のヤンキースが締結したFA契約の中では代表的な失敗例として挙げられることも多い[14]。
ピッツバーグ・パイレーツ
ヤンキースとの契約期間は2年残っていたものの、チームはトレードによる放出を検討。ロサンゼルス・エンゼルスのボビー・アブレイユとのトレードは東海岸への居住を望む家族の意向でバーネットが拒否したが、2012年2月19日、残りの契約2年3,300万ドルのうち2,000万ドルをヤンキース側が負担する条件のもと、マイナー2選手とのトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍した。
2012年3月1日、打撃練習中にバントの自打球を頬に当てて骨折[15]。開幕を故障者リストで迎え、4月21日に復帰した。5月2日のセントルイス・カージナルス戦では2回2/3を12失点と大炎上してしまったものの[16]、それ以外はエース格としてフル回転し、2008年に次いで2番目に多い16勝を挙げた。
2013年4月17日のカージナルス戦で史上68人目、現役では4人目となる通算2,000奪三振を達成。7月に故障者リスト入りしたものの30試合に先発し、防御率は自己最高の3.30、奪三振率(K/9)はリーグ1位の9.85を記録。チームの21年ぶりの勝ち越し・ポストシーズン進出に貢献した。
10月31日にFAとなった。
フィリーズ時代
2014年2月12日にフィラデルフィア・フィリーズと1600万ドルの1年契約(2015年のオプション・トレード拒否権付き)で合意したことが報道され[17]、2月16日に球団が発表した[18]。 2014年5月20日、マイアミ・マーリンズ戦に勝利し、メジャー全30球団勝利を達成した。
選手としての特徴
最多奪三振(2008年)、最高奪三振率[K/9](2008年、2013年)、最多与四球(2009年)、最多暴投(2009年、2011年)、最多与死球(2010年)を相次いで記録していることが示すように、制球難の課題を抱えつつも、空振りを奪える威力のある球種を投げ分ける。軸となる91-94マイルの速球(4シーム、高速シンカー)の他、ナックルカーブ、チェンジアップが主な持ち球である。スライダーのように大きく変化するカーブは44%と高い空振り率を誇り、チェンジアップで多くのゴロを奪っている[19]。
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- ^ “New York Yankees 2011 Player Salaries and Team Payroll” (英語). ESPN.com. 2011年3月10日閲覧。
- ^ “A.J. Burnett 2001 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ “May 12, 2001 Florida Marlins at San Diego Padres Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ “A.J. Burnett 2002 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
- ^ 世界最速投球167キロの謎鉄矢多美子『Field of Dreams』、2005年08月16日。
- ^ 首位打者は無名戦士鉄矢多美子『Field of Dreams』、2006年06月30日。
- ^ a b Bastian, Jordan (2008年11月4日). “Burnett plans to opt out of Jays deal” (英語). MLB.com. 2010年1月9日閲覧。
- ^ Bastian, Jordan (2006年4月15日). “Burnett comes up short in Jays debut” (英語). MLB.com. 2010年1月9日閲覧。
- ^ 岡田弘太郎「MLB30球団レポート&全選手個人成績 トロント・ブルージェイズ/TOR この夏こそ一番の売り時だったという声も」『スラッガー』2008年10月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-7、76頁
- ^ Crasnick, Jerry (2008年12月12日). “Source: Yanks offer Burnett 5-year deal” (英語). ESPN.com. 2010年1月9日閲覧。
- ^ Hoch, Bryan (2008年12月18日). “Burnett ready for Big Apple circus” (英語). MLB.com. 2010年1月9日閲覧。
- ^ 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャー・リーグ完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、34ページ。
- ^ Wallace Matthews(2010-09-18), A-Rod backs up black-eyed Burnett, ESPN New York(英語), 2010年12月17日閲覧
- ^ (2012-02-18)A.J. Burnett and 10 of the Worst New York Yankee Free-Agent Signings,International Business Times,2012年8月15日閲覧
- ^ A.J. Burnett’s fractured face would still be OK if National League used a DH | Big League Stew Yahoo! Sports
- ^ Pittsburgh Pirates vs. St. Louis Cardinals - Recap - May 02, 2012 ESPN
- ^ Todd Zolecki (2014年2月12日). “Source: Burnett agrees to one-year deal with Phils”. MLB.com. 2014年2月13日閲覧。
- ^ “Phillies Sign Burnett”. MLB.com Phillies Press Release (2014年2月16日). 2014年2月17日閲覧。
- ^ “Brooks Baseball · Home of the PitchFX Tool - Player Card: A.J. Burnett”. Brooks Baseball. 2012年8月15日閲覧。
- ^ Baseball Prospectus | Overthinking It: Why Nobody Gets Caught Stealing
- 1 A・J・バーネットとは
- 2 A・J・バーネットの概要
- 3 年度別投手成績
- 4 外部リンク
A.J.バーネット
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の野球選手 |
ブライアン・スウィーニー ダグ・ドレイベック A.J.バーネット ニック・マーケイキス チャド・フォックス |
ニューヨーク・ヤンキースの選手 |
ジャック・チェスブロ ダグ・ドレイベック A.J.バーネット ダニー・ウォルトン ティム・レインズ |
トロント・ブルージェイズの選手 |
トレバー・ミラー アル・ライター A.J.バーネット コーリー・コスキー B.J.ライアン |
フロリダ・マーリンズの選手 |
アル・ライター A.J.バーネット チャド・フォックス ジョン・バーケット グレッグ・ゾーン |
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