ミステル・ニエブラ
ミステル・ニエブラ(Mr. Niebla、1973年2月22日 - 2019年12月23日)は、メキシコのプロレスラー。メキシコシティ出身[1]。
ミステル・ニエブラ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ミステル・ニエブラ チャマコ・アウダース エル・プピロ エル・マルケス バットマン シャドウ・ドスミル チコ・ヴェロス |
ニックネーム | 仮面の気楼 |
身長 | 178cm |
体重 | 98kg |
誕生日 | 1973年2月22日 |
死亡日 | 2019年12月23日(46歳没) |
出身地 |
メキシコ メキシコシティ |
所属 | CMLL |
トレーナー |
スカラムーシュ1号 チャパリート |
デビュー | 1990年11月11日 |
来歴
編集1990年11月11日に「チャマコ・アウダース」のリングネームでデビュー。「エル・プピロ」、「エル・マルケス」、「バットマン」、「シャドウ・ドスミル」、「チコ・ヴェロス」などのリングネームの変遷を経て1992年3月24日から現在のリングネーム「ミステル・ニエベス」を用いるようになった。
90年代にCMLL入り。90年代はCMLLのタッグやトリオの王座を奪取。主にテクニコとして活躍。1996年にはIWA・JAPANに来日。1998年にIWRGに在籍したが、1999年のCMLL66周年記念の興行で再び参戦。2003年4月にはマスカラ・アニョ・ドスミルを破りCMLL世界ヘビー級王座を奪取。2004年10月にウニベルソ・ドスミルに敗れるまで5度の防衛をした。
2007年にライバルのAAA入り。「ロス・バイパース」のメンバーでルードとして活躍。
2008年からは再びCMLLに戻り「ラ・ペステ・ネグラ」のメンバー入り。
だが、長年重度のアルコール依存症に悩まされており、何度か重大なミスを犯すようになった。2015年1月18日に後楽園ホールで催された新日本プロレス主催の「ファンタスティカマニア」に無断欠場。ホテルで泥酔状態になっているのが発見され、そのまま入院し、以降のツアーを休業した。新日本プロレスは医療費をCMLLに請求し、激怒したCMLLによって、一旦解雇された[2]。
さらに2018年8月には泥酔状態のままメインイベントに登場し、リングにも登れず転げ落ちる失態を演じた。試合は激怒した対戦相手のボラドール・ジュニアによってマスクを剥がされ反則裁定に終わり、CMLLは謹慎処分を言い渡した。ニエブラはファンに謝罪するとともに、自身の依存症を公表した。2019年3月まで経て長期休業を経て、その年10月まで現役で活動した[3][4]。
だが、10月28日にSNSに右膝の古傷が原因による血液感染症に罹り入院したことが告知。そのまま治癒することなく、12月23日に死去した。46歳没[4][5]。
得意技
編集- 変形の両手両足を固めるジャベ。ミラノコレクションA.T.のパラダイスロックに近い。
獲得タイトル
編集- CMLL世界ヘビー級王座 : 1回
- CMLL世界タッグチーム王座 : 1回
- w / ショッカー
- CMLL世界トリオ王座:2回
- w / アトランティス & リスマルク
- w / アトランティス & ブラック・ウォリアー
- メキシコナショナルトリオ王座 : 1回
- 連邦区ウェルター級王座 : 1回
- 連邦区タッグチーム王座 : 1回
- WFSタッグチーム王座 : 1回
- w / ベルティゴ
脚注
編集- ^ “Mr. Niebla”. Wrestlingdata.com. 2015年12月3日閲覧。
- ^ “ミステル・ニエブラ、CMLL解雇の詳細とその後”. 青空プロレスNEWS. (2015年4月11日) 2019年12月25日閲覧。
- ^ “ミステル・ニエブラが酔った状態でリングイン”. ルチャリブレ馬鹿は今日もプロテインです. (2018年8月30日) 2019年12月25日閲覧。
- ^ a b “【訃報】ミステル・ニエブラが46歳の若さで逝去”. ルチャリブレ馬鹿は今日もプロテインです. (2019年12月24日) 2019年12月25日閲覧。
- ^ “Falleció el luchador Mr. Niebla por una infección en la sangre” (スペイン語). mediotiempo.com. (2019年12月23日) 2019年12月25日閲覧。
外部リンク
編集- Mr. Niebla - Luchawiki