上音威子府駅

かつて日本の北海道中川郡音威子府村にあった北海道旅客鉄道の駅(廃駅)

上音威子府駅(かみおといねっぷえき)は、北海道上川支庁中川郡音威子府村字上音威子府にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号カオ事務管理コードは▲121901[2]

上音威子府駅
戦前の駅舎と手前(駅裏)のストックヤードに山積みされた林材(北海道帝国大学演習林はがきより)
かみおといねっぷ
Kami-Otoineppu
音威子府 (5.4 km)
(10.2 km) 小頓別
所在地 北海道中川郡音威子府村字上音威子府
北緯44度46分27.7秒 東経142度15分15.8秒 / 北緯44.774361度 東経142.254389度 / 44.774361; 142.254389
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 5.4 km(音威子府起点)
電報略号 カオ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1914年大正3年)11月7日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の上音威子府駅と周囲約1km範囲。上が中頓別方面。既に無人駅で棒線化されている。かつては木材が沢山野積みされていた駅裏のストックヤードは、原生状態に戻りつつある。周囲もほとんど民家がない。横に並行して国道275号美深線が走り、左下端の国道脇にこの写真の2年前に閉校した小中学校跡が白く残る。さらに左下隅には、北大の事務棟の赤い屋根が見える。現在この一帯は、全くの無人地帯と化してしまった。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

編集

年表

編集

駅名の由来

編集

音威子府川の上流にあることから「上」を冠した[6]

駅構造

編集

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては千鳥状にずれた単式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、上り方面ホームは残存していた。太平洋戦争以前には、周辺の森林北海道大学演習林)から出荷される木材を積み込むためのヤードを有していた。

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置しホームに接していた。木造板壁[7]で、柱を露出させてその間を縦板で埋めるという遊びの入ったデザインの[8]駅舎であった。

駅周辺

編集

上音威子府集落があり、上音威子府小中学校が存在したが、離農により集落が消滅し、現在は無人地帯となっている。

利用状況

編集

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1954年(昭和29年) 19,398 53 [10]
1958年(昭和33年) 20,660 57
1963年(昭和38年) 22,041 60
1964年(昭和39年) 20,185 55
1971年(昭和46年) 3,006 8
1978年(昭和53年) 4 [11]

駅跡

編集
 
上音威子府駅ホーム跡及び線路跡(2009年)。奥が小頓別方面

1997年(平成9年)時点では駅舎、ホーム、信号機器設備が残存していた[12]。駅舎は廃屋一歩手前の状況ながらも農機材置き場に再利用され[8]、2004年(平成16年)9月頃までは残存していたが、倒壊の危険があるため取り壊された。駅舎があった頃は、当時の椅子などもそのまま残存していた。

2009年(平成21年)秋時点で、国道から駅前広場までの数十メートルの道(未舗装)、駅前広場(未舗装)、石積みのプラットホーム、音威子府方面及び小頓別方面への線路跡が確認できた。ホームや線路跡には草木が生い茂り、貨物扱いなどを行った構内跡も原野化している。ホームは2010年(平成22年)時点でも残存しており[13]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[14]

2014年、開業100年を記念して、音威子府村民有志による「天北線上音威子府機関支区鉄道倶楽部(現:nociw*)」が駅の修復に乗り出した。村の「住民提案型まちづくり補助金制度」による助成を受け、業者によってプラットホームの修復と、国鉄仕様を模したレプリカの駅名標設置が行われた。2015年8月4日、駅名標の除幕式を行った[15][16]。2016年(平成28年)7月時点では草木が刈られており、レプリカの駅名標が引き続き設置されている。

また2011年(平成23年)時点では駅跡から1kmほど南稚内側に嘉平川を渡る橋台跡が残存していた[14]

音威子府村では2020年より、当駅跡地にある線路の敷石を缶詰にした「旧国鉄天北線 線路の石缶詰」をふるさと納税特別返礼品として設定し、村内にあるJR宗谷本線の廃止候補駅3駅(筬島駅咲来駅天塩川温泉駅)の存続支援に充てている[17]

隣の駅

編集
北海道旅客鉄道(JR北海道)
天北線
音威子府駅 - (臨)上音威子府駅 - 小頓別駅
かつて当駅と小頓別駅との間に天北栄仮乗降場(てんぽくざかえかりじょうこうじょう)が存在した(開業年月日不詳(1956年(昭和31年)11月19日には存在していた)、1965年(昭和40年)10月(日付不詳)廃止)。

脚注

編集
  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、904頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ 内閣印刷局, ed (1914-10-30). “鉄道院告示 第95号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1914). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952781/1. 
  4. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  5. ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
  6. ^ 内閣印刷局, ed (1914-10-30). “鉄道院告示 第95号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1914). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952781/1. 
  7. ^ 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)188ページより。
  8. ^ a b 書籍『駅舎再発見』(著:杉崎行恭、JTBパブリッシング2000年12月発行)148ページより。
  9. ^ 『国鉄全線各駅停車1』200ページより。
  10. ^ 音威子府村史 1976年12月発行 P498
  11. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、892頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  12. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング1997年12月発行)23-24ページより。
  13. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)15ページより。
  14. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)242ページより。
  15. ^ 北海道の旧天北線上音威子府駅で駅名板の除幕式…8月4日”. レスポンス(Response.jp) (2015年7月28日). 2022年5月16日閲覧。
  16. ^ 2015.08.04 09:00 上音威子府駅 看板設置 - nociw*
  17. ^ ふるさと納税特別返礼品「旧国鉄天北線 線路の石缶詰」登場!|音威子府村”. www.vill.otoineppu.hokkaido.jp. 2022年9月16日閲覧。

関連項目

編集