過去ログ玉手箱

戸籍のカテゴリについて

編集

私の編集をいくつかさしもどされていますが、あのカテゴリはどのように使えばいいのでしょうか?作成趣旨をご教授くださいませ。場合によっては、「日本の戸籍」というカテゴリを別に作りますので・・・。--Yamanofudou 2006年10月17日 (火) 23:54 (UTC)返信

もともと戸籍律令制の発祥地中国と元大日本帝国関連の韓国、北朝鮮、台湾などを含めたカテゴリを用意を意図しました。日本の戸籍はあったほうがよいと存じます。Izayohi 2006年10月18日 (水) 12:11 (UTC)返信
つまり右のサイトにあるような[1]、戸籍に関連する用語のいっさいがっさいを含める、という使用をするためのカテゴリではない、というわけですね。それでしたら、別の名称のカテゴリを考えてそれらは戸籍のサブカテゴリとして位置づけた方がよさそうですね。--Yamanofudou 2006年10月18日 (水) 16:53 (UTC)返信
戸籍に関連する用語はカテゴリでなく用語一覧の記事が相当と思います。Izayohi 2006年10月19日 (木) 22:22 (UTC)返信

ジャンヌ・ダルクの記事について

編集

まず、私が無知であることをお詫びします。恥ずかしながら投稿したときに暦についての知識を待たないまま投稿しました。よろしければ暦の換算方法をご教授くださいませ。--sakaki 2006年10月22日 (日) 14:35 (UTC)返信

ウイキぺディア日本版では特定の換算方式は採用されていないようです。日本の歴史関係で、グレゴリオ暦やユリウス暦に換算するのに次の外部リンク[2]を使っている方もおられます。ただジャンヌ・ダルクの時代はグレゴリオ暦が存在しないので海外ではユリウス暦のままにして、現在の月日?に換算しないのが通例という旨読んだことがあります。換算するかどうかは歴史関係執筆者と協議しないといけない事項ではないでしょうか。Izayohi 2006年10月22日 (日) 22:26 (UTC)返信

日付の扱い

編集

気付いたのが遅れたため、数日前のご編集を蒸し返すようで恐縮ですが、カトリーヌ・ド・メディシスにて、日付のリンクを外しておられますね。また、同様の編集を他の記事でも行っておられ、リンクが再び張られたものをリバートすることもなさっておられるようですが、これはどこでの議論に基づくものでしょうか。

現在の日付の記事は、いずれも「○月○日はグレゴリオ暦で年始から○日目に当たり」とは書いていますが、「グレゴリオ暦の○月○日は年始から○日目に当たり」とは書いておりません。ゆえに、年始や年末までの日の基準にグレゴリオ暦を用いているだけで、太陽暦の日付の記事そのものが「グレゴリオ暦の日付」だけのトピックに限定するとは現状では書かれていません。また、同様の書式で書かれている英語版、フランス語版、スペイン語版の日付記事ではユリウス暦のトピックもあわせて記述されています。

ノート:1月1日を見る限りでは、日本語版でも過去の議論では、日付記事にグレゴリオ暦・ユリウス暦のトピックを双方入れることに特に異論は出ていなかったように見えるのですが、その後、どこかで議論がなされたのでしょうか。

西洋旧暦と新暦で日付がずれることぐらいは認識していますが、暦法としてはどちらも太陽暦であり違いは閏年の置き方だけですから、杓子定規にリンクをはずすことには違和感を覚えるのです。他方、どこかで議論がなされているのであれば、(今後も16世紀フランスのトピックを立ち上げることはいくつもあると思いますので)今後の日付の扱いに反映致したいと思います。お手数ですが御教示ください。--Sumaru 2006年11月1日 (水) 11:51 (UTC)返信

Portal‐ノート:歴史に記事をコピーしました。そちらで議論しましょう。Izayohi 2006年11月2日 (木) 01:14 (UTC)返信
より広い場への議論の提起、ありがとうございました。
以下はIzayohiさん個人へのお願いですので、Portalではなくこちらに書いておきます。
Izayohiさんは現状の365日の記事を「グレゴリオ暦だけの記事」であると限定なさっていますが、その根拠はなんでしょうか。Portalの方にも追記しましたが、過去の日本語版の議論(私が認識している範囲内ですが)も他国語版の記事も、いずれもそうした定義を採用していません。あくまでも「太陽暦の365日」の記事であるから、「ユリウス暦としてのその日付」のトピックも、「グレゴリオ暦としてのその日付」のトピックも、同じ日付の記事で扱う、というスタンスです。Izayohiさんは過去に議論がなされたか不明だと仰いますが、そうであるのなら、一体どのような根拠で現状の365日が「グレゴリオ暦だけを対象とした記事」であると判断なさったのかが私には分からないのです。注文ばかりつけて何ですが、この点は議論の行方にも関わる重要な点であると思いますので、Portalの方のノートで、この点に関する根拠をお示しくださいますようお願い致します。--Sumaru 2006年11月2日 (木) 03:26 (UTC)返信
意見表明なしに足利尊氏高師直でリンク外しを継続なさっているようですが、対話拒否と理解してよろしいのでしょうか。--Sumaru 2006年11月3日 (金) 03:54 (UTC)返信
大変失礼いたしました。うっかりしておりました。申し訳ありませんでした。ところでとりあえず回答をむこうに記述しておきます。Izayohi 2006年11月6日 (月) 13:02 (UTC)返信

高師直の没日欄のリンクについて

編集

メッセージをいただき、感激しております。 私はただ単に日付の記事の「できごと・誕生日・忌日」の欄が近現代の人物・出来事に極端に偏っていて見苦しいので何とかしたい!という一存で編集作業を行っている者であり、高師直も単に日付にリンクしやすい(あるいは後日なにかあった時にに再編集しやすい)ようにするための編集でした。ゆえにIzayohi様の信念により「訳あって」日付リンクを外している行為を失念していたことに対して、深くお詫び申し上げます。先ほど高師直の欄のリンク外しを復旧いたしました。

それと、ひとつ質問がございます。私は前述のとおり「できごと・誕生日・忌日」の加筆を主に行っているのですが、グレゴリオ暦発動前の1581年以前の記述に関しましては、意見の統一が行われるまで自粛したほうがよろしいでしょうか。英語版のwikiの日付欄を見ると、1581年以前の生没年欄にも普通に人物が(日本の有名人すらも)掲載されていたので、グレ暦ユリ暦に関してはこれでよかれと思って加筆作業を行っていたのですが…。個人的には外国人はグレ暦ユリ暦の問題があるので、なるべく日本人を中心に加筆するようにしてはいたのですが…。

最後に、「歴史記事の年月日についてPortal‐ノート:歴史こちらで議論しておりますので、よかったらご意見をお寄せください。」とのことでしたが、考えれば考えるほど予想外に難しい問題であることと、自身があまりにも文才が拙過ぎて火中にガソリンを投下することになる可能性が非常に高いという懸念があることから、投稿にしり込みしているのが現状であります。ご理解いただけましたら幸いです。

それでは今後とも御教授のほどよろしくお願いいたします。何卒、何卒。p.s.仕事柄、夜遅くの投稿になり申し訳ございません。--日本一弱い男 2006年11月7日 (火) 3:03 (UTC)

ご返事ありがとうございました。現在のところはまだどちらにするか決まっていないので結論がでてから編集したほうがよろしいでしょう。ただ私個人は明記されていれば併記、非併記どちらになってもかまわないので、どちらがよいのかそちらの意見表明はされたほうがいいのではないかと存じます。Izayohi 2006年11月6日 (月) 22:49 (UTC)返信

義和団の乱について

編集

こんにちは、はじめまして。Izayohiさんが先日義和団の乱の編集をされたかと思いますが、実はあの記事はもっと古い版がGFDLにひっかかっていたため、全削除の方針が決定していました。もっとも現在の最新版では著作権侵害箇所は残っていないため、全削除後に改めてKabaが再投稿しようかと考えています。つきましては最新版の原著作者のお一人であるIzayohiさんに「使っていいよ」とご了承を頂きたく、お手数ですがこちらにその旨ご署名をお願い致します。お手数をおかけしますがご協力のほどをお願い致します。--Kaba 2006年11月8日 (水) 09:14 (UTC)返信

強殖装甲ガイバー保護解除に向けて

編集

強殖装甲ガイバーの保護解除に向けてノート:強殖装甲ガイバー#保護解除へ向けての合意形成で議論開始しました。よろしければご参加ください。なお、このメッセージは強殖装甲ガイバーのノート欄に記載があるか、保護直前1ヵ月の間に編集履歴がある方すべてに差し上げております。--DEN助 2007年7月24日 (火) 01:49 (UTC)返信

ソートキーについて

編集

こんにちは。カテゴリの作成とともにソートキーの変更を行っているようですが、カテゴリ名を語幹として除外したものとそうでないものが混在している為に、カテゴリ内が乱雑になっています(例:Category:デオキシリボ核酸)。Wikipedia:ウィキプロジェクト 生物Wikipedia:ウィキプロジェクト 生命科学ではそのような合意が為されていませんので、従来どおりフルネームでソートキーを入力されますようお願いします。カテゴリ数が多い場合には DEFAULTSORT の使用も検討下さい。- NEON 2007年8月15日 (水) 14:07 (UTC)返信

同盟通信社について

編集

トンガリ松さんとの間で編集合戦に発展しつつあります。お二人で話し合って下さい。このままでは完全保護を申し立てざるを得ません。--122.249.100.246 2007年8月28日 (火) 05:17 (UTC)返信

利用者:122.249.100.246さんから、利用者:Izayohiさんとの編集合戦になりつつあるというご指摘がありました。時間をおいて書き直したいと考えます。少なくともWikipedia:検証可能性に拠って、出典のないからと教条主義的に削除する態度はとりません。約束します。
ただし、2007年8月26日 (日) 02:40; Izayohi (会話 | 投稿記録) による版のようにノートで合意のないまま、独自にテンプレートを外す行為はアラシ行為ととられますので(例え、文章を更新したとしても、通常は合意の後で更新するのが筋と考えますが)合意がない状態では二度とテンプレ剥がしはしないようにお願いします。トンガリ松 2007年8月28日 (火) 09:16 (UTC)返信

お願い (技術について)

編集
はじめまして。Kikukikukikukikukikuと申します。
以前に(といってもだいぶ時間が経っておりますが)投稿されました技術のページにつきまして、
参考となる考察をノートに乗せてみましたのでお時間が許すときのご一読願えればと思います。--Kikukikukikukikukiku 2007年9月17日 (月) 03:39 (UTC)返信

フィチーノ訳について

編集

ご無沙汰しております、sumaruです。いつの間にかご活動を再開なさっていたようで何よりです。さて、ノストラダムスエジプト秘儀論ともにフィチーノ訳についてご加筆なさり、特に後者ではノストラダムスが直接引用したかのように書かれていますが、出典を教えていただけないでしょうか。ブランダムールやラメジャラーはともにクリニトゥスからの孫引きという立場です(Brind'Amour [1996], Lemesurier [2003]. ブランダムールはコルネリウス・アグリッパからの孫引きの可能性も指摘していますが)。ここしばらくの研究で、フィチーノ訳を直接参照したとする見解がとっさには思い当たらないため、気になりました。複数の記事に関わるので記事のノートでなく、こちらにお邪魔致しました。お手数ですがよろしくお願い致します。--Sumaru 2007年10月3日 (水) 13:39 (UTC)返信

実はあまり質のよくない出典です。"NOSTRDAMUS TRAHI"(1981) 作者Elisabeth Bellecour 日本語訳『裏切られたノストラダムス 初めて明かされた予言の秘密』エリザベート・ベルクール 長島良三 他訳 リヨン社 昭和57年12月11日のページ78です。でも同書訳が悪いのか私の読み方が悪いのか日本語訳の読み取りにいまいち自信がありません。(苦笑)--Izayohi 2007年10月3日 (水) 13:55 (UTC)返信
早速のご返事ありがとうございます。ベルクールの本はしばらく前に1568年版を立ち上げる時に使った後に、そこらにほっぽらかしにしていたせいで、見つけるのに手間取りました(苦笑)。そのためすぐにお返事いただいたというのに、昨晩中にコメントできませんでした。申し訳ありません。
さて、端的に申しますとベルクールの説はいわば「旧説」で、現在は否定されています(上で「ここしばらくの研究で」と断ったのはそのためです)。この点については、ベルクールを真に受けた加治木氏の本や、(別系統ですが)金森誠也氏、飛鳥昭雄氏などの本、雑誌記事にも旧説が出てくるので、今後も同様の加筆を行う方が出てくるかもしれないと考えました。ですので、予防的観点から、より詳しくは今晩ノート:ノストラダムスに書かせて頂きます。異論がなければ、すみませんが当該箇所は削らせていただきたいと思います。
エジプト秘儀論についてですが、フィチーノ訳の話自体はあってよい(むしろあったほうが良い)と思います。英語版から訳した後にその辺りの加筆をしなかったのは、明らかに私の配慮不足によるものです。ただ、影響をノストラダムスに限定する必然性がないため、これも今晩あたりに少々加筆させていただきます(ガリカの書誌なんかを見直している限りではページ名の移動を伴う可能性もありますが)。--Sumaru 2007年10月4日 (木) 04:19 (UTC)返信
なにぶん素人なものでより詳細に論じてくださるのであれば何の異存もございません。なおマルシリオ・フィチーノによる該当翻訳書は042 イアンブリコス 『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』、プロクロス 『プラトン「アルキビアデス」註解』他 (或いは、マルシリオ・フィチーノ(ラテン語訳) 『新プラトン主義者著作集』) (ヴェネツィア、アルドゥス・マヌティウス、1497年9月)のようです。こちらイタリアのインキュナブラにもあります。ご参考まで。--Izayohi 2007年10月4日 (木) 10:33 (UTC)返信
とりあえず、予告した作業をしておきました。正直申し上げまして日本語で『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』と訳出している例があると思っていなかったので、驚きました。自分の訳が間違いでなかったと確認する上で役に立ちました。御礼申し上げます。なお、記事名移動については悩みましたが、いくつかの理由から見送りました(理由は長くなるので省きます)。取り急ぎお礼と報告まで--Sumaru 2007年10月4日 (木) 13:25 (UTC)返信

マルグリット

編集

アンリ2世の妹のマルグリットと貴方が仰っているアンリ3世の妹は別人です。--Sumaru 2007年10月14日 (日) 06:27 (UTC)返信

申し訳ありません。間違いでした。--Izayohi 2007年10月14日 (日) 06:31 (UTC)返信
アンリ2世についてですが、どちらも「マルグリット」だということくらい分かりきっています。あなたがマルグリット・ド・ヴァロワにリンクを貼っていたから問題視したのです。ついでに細かいことをいえば、マルグリット・ド・ヴァロワ_(曖昧さ回避)に訳出してあるように、アンリ2世の妹に「ド・ヴァロワ」を冠するのは正確さの点でいささか難があったのです(王妃マルゴの方は人口に膾炙してしまっているので仕方ない部分がありますが)。--Sumaru 2007年10月14日 (日) 07:14 (UTC)返信
それでは私のようなものがでないよう該当記事作成をしてください。--Izayohi 2007年10月14日 (日) 07:17 (UTC)返信
(競合したがそのまま)とか何とかいってるうちに「ド・ヴァロワ」に戻してしまったんですね。数日内に仏語版(fr:Marguerite de France_(1523-1574))からの翻訳でマルグリット・ド・フランス_(1523年-1574年)でも立てた上で直そうと思います。--Sumaru 2007年10月14日 (日) 07:22 (UTC)返信
(競合した後へのコメント)始末を人任せにするような無責任な加筆なら最初からなさらないで下さい。--Sumaru 2007年10月14日 (日) 07:22 (UTC)返信
再度申し訳ありませんでした、以後はしません。--Izayohi 2007年10月14日 (日) 08:29 (UTC)返信

僭越ながら

編集

マルグリット・ド・フランス_(1523-1574)を立てておきました。

追い討ちをかけるようなことを書くべきか迷いましたが、「以後はしません」というごく短い表明ではご自身の問題点を自覚なさっているか不明でしたので、非礼は承知の上であえて書くことにします。

貴方の問題点を端的に述べるなら「視野がせますぎる」ということに尽きると思います。百科事典は「知っていること」や「書きたいこと」を文脈や全体像も考えずに書き散らせばいいというものではないはずです。

  • アンリ2世の例で言えば、「娘特別のため生存年追加」とありますが、何が「特別」なのでしょうか。同じ名前がいるから区別のためにということでしょうけれど、そんなものはフランソワマドレーヌシャルルも同じです。兄弟の記述は多分クロード・ド・フランスあたりから何も考えずに引っ張ってきたのだろうと思いますが、他の兄弟に肩書きがついているのは、同名の人物と区別するためのはずです。マルグリットだけ生没年にするのは統一性を欠いています。
    • そもそもマルグリット・ド・ヴァロワ_(曖昧さ回避)すら読まずにマルグリットが一人だけと思い込み、それが不適切だと指摘されると、マルグリットは「特別」だと早合点して余計な編集をし、それも不正確だと指摘されると、「じゃあ勘違いしないようにお前が新記事を作っとけ」とは、随分と短絡的に過ぎませんか。
    • あなたにしてみれば他の人が自分と同じ勘違いしないように書いてあげたのに、というお気持ちがあったのでしょうが、ほんの数分前までご自分が知らなかったことを、ろくな追加調査もやらずに書き飛ばすのは、「誤りがネットに蔓延しないよう修正する」という貴方の方針にも反するはずです(現に間違っていたわけですし)。
  • ノストラダムスのこの差分もそうですね。この時点では文脈を理解せずに、書きたいことだけ書こうとしたことが明らかです。
  • 予言集のこの差分もそうです。(これに関してはギリシャ神話とローマ神話を混同したバカな私にも大いに反省すべき点はありますし、直していただいたことには感謝します。しかし)ノストラダムスの記事で「神話詳細」を語る必然性がどこにあるのでしょうか。「詳細」はリンク先を見るべきで、さしあたって「その記事にとって必要な情報」が書かれていれば十分なはずです(パレやウェサリウスへの言及を削ったのも同じ理由です)。

ご自身の利用者ページには「何も知らない事、何も知りえない事を自覚する。」とありますが、私には「自分の知っていることが全て」というスタンスで執筆なさっているようにしか思えません。個人的な例を挙げますが

  • マルグリット・ド・フランス_(1523-1574)は1559年(と多分1561年)にノストラダムスと会って、占ってもらっています。このネタは結構有名ですが、今回マルグリットを立てるにあたっては書きませんでした。現状の記述量でそういう細かいネタを入れると全体のバランスが崩れるからです。

ウィキペディアの編集者は、程度の差はあれ、こんな風に「書くこと」と「書かないこと」の吟味をして、文脈上不適切だと思えばあえて書かないといったことをしているのではないかと思いますが、貴方の加筆には余りそういう吟味をした形跡が見受けられません。

古い話をほじくり返すようで恐縮ですが、貴方がかつて無意味なカテゴリを複数作って削除されたことや、新暦・旧暦の問題で独善的な修正をしたことも、「全体像を考えずに目先だけ見て突っ走った」という点で根は同じ問題だと思います。加筆なさる場合には、「その記述はその記事にとって必要か」「必要だとしても、その場所にその形で埋め込むことが適切か」といったことをよく吟味なさってください(この言葉には自戒も含めています)。

ついでですが、経験の長いユーザーさんなのですからプレビュー機能はきちんとお使いください。--Sumaru 2007年10月15日 (月) 13:58 (UTC)返信

一括投稿のお願い

編集

こんにちは。Izayohiさんが同じ記事に対して節ごとに分けて連続して投稿されているようでしたので、一括投稿のお願いに参りました。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるとおり、同じ記事への連続投稿はウィキペディアのサーバに負荷がかかるうえ、履歴の見通しが悪くなるなど、さまざまな面で支障をきたすおそれがあります。細かい節がたくさんある場合は、節ごとに細かく投稿をするのではなく、上位の節または項目全体の編集を行い、一括して投稿していただきますようにお願いいたします。

 
1の部分がプレビューを実行できるボタンです。

その際に細かいところでミスを起こすのではないかと心配な場合は、「投稿する」ボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします(画面右側の図を参照)。投稿される前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、

などをあらかじめチェックし、修正した上で記事を投稿することができますので、是非ともご活用ください。

また、編集競合を避けたい場合は、Template:工事中をお使いください。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Baioextra 2008年1月31日 (木) 22:25 (UTC)返信

孫文の出自(客家)について

編集

以前の編集で孫文を客家の出自とされていますが、出典を教えていただけないでしょうか。 中文版では家族のルーツについて論争有りとしつつも、客家とは言及されていないようです。--Kobattt 2008年2月27日 (水) 10:20 (UTC)返信

客家人の一覧からです。当時は厳密に出典記載せずに申し訳ありませんでした。なお客家人の一覧の初稿は2004-04-21T15:06:31版で利用者名211.128.71.202氏の編集時にすでに記載あります。--Izayohi 2008年2月27日 (水) 11:59 (UTC)返信

太安万侶の関連項目について

編集

Izayohiさんは、太安万侶の記事の2006年4月16日 (日) 22:55(UTC)の編集において、関連項目に稽古を加えられています。「太安万侶」と「稽古」の間にいかなる関連があるのか、現状では分かりません。本文中でご説明下さい。--Qrsk075 2008年3月13日 (木) 05:02 (UTC)返信

復旧ありがとうございました

編集

こんにちは、Izayohiさん。うちの子 (R28Bot) がご迷惑をおかけしております。復旧に手を割いていただき、ありがとうございました。次はマニュアル(半自動)でやりますので、何卒ご容赦いただきたく存じます。--Tatsujin28 2008年4月7日 (月) 13:53 (UTC)返信

了解しました。--Izayohi 2008年4月7日 (月) 13:56 (UTC)返信

一卵性双生児

編集

こんにちは、はじめまして。Janus01と申します。ノート:日本のことわざではお名前を拝見しておりました。

さて、遺伝子プール2007年10月14日 (日) 06:00のご投稿において、要約欄に「一卵性双生児でも遺伝子は完全には一致しない」と書いていらっしゃいますね。不思議に思いましたので、一卵性双生児双子研究エピジェネティクスなどを参照いたしました。ウィキペディア記事を信頼することには危険が伴いますけれど、この三種類の記事内容を見ると「一卵性双生児の(胚発生時の)遺伝子型は完全に一致し、成長するにつれて表現型が後天的に違ってくる」と解釈いたしました。もちろん、例外的には免疫系細胞(詳細は覚えていません^^;)と生殖系列細胞の場合、一卵性双生児でも遺伝子の構成に違いがあるとは思います。

以上、前振りが長くなってしまいましたが、「一卵性双生児でも遺伝子は完全には一致しない」その理由をご教示いただけませんでしょうか(元の記述が復帰している理由について、IzayohiさんとYu-kuboさんとお話し合いのログがどこかにあるのでしたら、的外れなお願いと存じますが^^;)。 最後に、突然押しかけてのお願いで不躾なこと、お詫び申し上げます。--Janus01 2008年5月9日 (金) 09:00 (UTC) 誤植訂正--Janus01 2008年5月9日 (金) 09:07 (UTC)返信

最近物忘れがひどく推測するとDNAの表現型が異なっているというつもりで書いてしまったようです。今現在ネットで検索すると
同一ではない一卵性双生児の遺伝子(ニューヨークタイムス 08/03/11 The Claim: Identical Twins Have Identical DNA (N)The American Journal of Human Geneticsに掲載された University of Alabama at Birmingham とスエーデンおよびオランダの大学研究者による研究。"THE BOTTOM LINE: Identical twins apparently do not have identical DNA."
http://ameblo.jp/nlcblog/entry-10075026950.html 双子のコピー数多型プロフィールは異なる The American Journal of Human Geneticsに掲載されたPhenotypically Concordant and Discordant Monozygotic Twins Display Different DNA Copy-Number-Variation Profiles
と2論文がありDNAのコピー回数によりDNAが異なるのではないかということのようです。なお当方は専門でないので深入り編集はしなかったと記憶しております。--Izayohi 2008年5月9日 (金) 13:14 (UTC)返信
早速ご返事いただきましてありがとうございます。教えていただいた資料に目を通しました。大変興味深い内容でしたが 、やはり一卵性双生児は先天的には同一の遺伝子型と捉えてよいと思います。これら文献の例は、後天的な違いが生じていますが、エピジェネティクス的な例か、例外的な体細胞突然変異的なもの(これを突然変異と呼ぶには頻度が高いとは思いますが)だと存じます。これらの例についても考慮に入れて、遺伝子プールの記事の編集に取り組みたいと考えております。大変興味深いご教示を頂きましたこと、深くお礼申し上げます。
なお、このお返事を書き込もうとすると外部サイトのスパムフィルタによって書き込めなくなりましたので、当該URLをコメントアウトをかけましたこと、ご了解くだされば幸いです。--Janus01 2008年5月10日 (土) 05:47 (UTC)返信
リンク解除しコメントアウトも解除しておきます。--Izayohi 2008年5月10日 (土) 07:58 (UTC)返信

ウィーダについて

編集

こんにちは、ウィーダおよびその関連項目から来ました。記事を一部の書体を変えたみたいですけどこれはいかなる主旨によるものでしょうか。どうも原著を示す文字にそうされたみたいですけどかえって読みづらくなった印象がありましてこれはちょっとどうかなあと考えたわけです。紙媒体の事典ならそうした傾向が確かにありますがネットのものとなるとやや勝手が違うわけですね。記事自体を改変する事につきましてはどの記事でももとより常時行われている事ですので何とも言う事はありませんが、他の方々が読んだ場合を考慮に入れてあの書体を差し挟むのはちょっとどうかと思いました。まあ、全くつまらない用件ですけどすいません。当方も色々とデータの寄せ集めを細々と書いていただけなので意見するのもどうかと思いましたけど…--東京大仏 2008年9月11日 (木) 10:41 (UTC)返信

ネモ船長に関して

編集

今日は。(直接的には多分)はじめまして。いつもご苦労様です。よろしければ貴方のネモ船長に対する2005年の編集について伺いたいことがあるので、当該項目のノートをお時間のある時にでもご覧頂けますか?--Five-toed-sloth 2008年10月9日 (木) 21:55 (UTC)返信

バックブリーカー

編集

バックブリーカー関連のリンク修正ありがとうございます。--オクラ煎餅 2009年7月7日 (火) 14:01 (UTC)返信

どういたしまして。--Izayohi 2009年7月7日 (火) 14:03 (UTC)返信

ちゃんばら映画 / 剣戟映画

編集
  • 初めまして、kmrtと申します。チャンバラあるいは剣戟映画関連のご編集を拝見いたしました。ありがとうございます。ご編集において、剣戟映画に関して、日本のものに関して、ことごとく「剣戟」あるいは「剣戟映画」の語を排し、俗語である「ちゃんばら映画」する編集をなさっています。「剣戟映画」の語については、東京国立近代美術館#フィルムセンターの公式サイト等でご覧になるのがいちばん簡単かと存じますのでご案内いたします。Izayohiさんが俗称の「ちゃんばら映画」に修正されたような作品は「剣戟映画」と日本語で呼ばれております。ウィキペディア日本語版においても、俗称ではなく「剣戟映画」と表記されるべきではないでしょうか。もちろん俗称をことごとく排す考えではないことは、そのことを本文中に明記してあるつもりです。
  • 項目「剣戟映画」に関しては、ほかにもJdateテンプレートを作品一覧にまで付す編集をしていらっしゃいました。作品一覧には和暦を付さないのがWikipedia:ウィキプロジェクト 映画では通例になっているからで、本文中に関しては、そもそも誤りのない西暦・和暦併記であったものであり、Template:Jdateにも、誤りのないものまでもことごとくテンプレートに置換すべきというようなガイドラインもないように見受けられました。そこで同項目についてはリバート致しましたことをご報告いたします。ご理解いただければと存じます。
  • 俗称の「ちゃんばら映画」に関しては、日本語においては、ハリウッド剣戟であっても、フランス剣戟であっても、また香港剣戟(武侠映画)であっても、日本の俗称に倣い、「ちゃんばら映画」と呼ばれることがしばしばあります。この事実に関しては、チャンバラ剣戟映画双方に記述する必要はあると考えておりました。リダイレクトの2項目チャンバラ映画‎ちゃんばら映画のリダイレクト先をIzayohiさんのご編集のように、剣戟映画#日本とすることも検討いたしましたが、「剣戟映画」全体に向けたのは、そのような事実を加味したものでした。
  • 以上、Izayohiさんがちゃんばらないしは剣戟映画に関してお考えがおありと考え、意見交換ができればと存じまして、ご報告かたがた参りました。よろしくお願いいたします。--Kmrt 2009年11月1日 (日) 05:25 (UTC)返信
当方は素人であるにもかかわらず、報告ありがとうございます。とりあえずのお返事は以下のとおりです。--Izayohi 2009年11月3日 (火) 14:46 (UTC)返信
  • 剣戟映画が正式名称という出典を加筆願います。東京国立近代美術館#フィルムセンター公式サイトをのぞかせてもらいましたが剣戟映画が公式の名称であるという出典について発見できませんでした。ちなみに剣戟映画を検索するとCiNii - NII論文情報ナビゲータでは1件、Google Scholarでは1件(剣戟映画俳優が該当)・Googleでは2,250件、ちゃんばら映画ではCiNii - NII論文情報ナビゲータでは該当なし、Google Scholarも該当なし・Google 3,010 件、チャンバラ映画ではCiNii - NII論文情報ナビゲータでは29件、Google Scholarでは31件・Google では14,200件でした。
  • Template:Jdate適用については記事容量減少のために適用しています。なお当方(及び年配の人)は西暦では実感がわきませんので和暦併記のほうがわかりやすいのですが。
  • 日本語の「ちゃんばら映画」の範囲についても出典を加筆願います。

Izayohi氏の編集をリバート

編集

記事 眉村卓 においてあなたが行った愚劣な編集をリバートし、以下のようなメッセージをノートに記しておきましたが、念のために、ここにも同文を載せます。記事を劣化させるような愚劣な編集は行わないこと、自分の知らないことには容喙しないこと、こう言ったことを自覚して頂きたいとお願いします。--千億の夜 2011年1月28日 (金) 23:35 (UTC)返信

Izayohi氏というユーザーの編集をリバートしました。箇条書きにして一体何の意味があるのか、単に可読性を著しく損ねる結果しかもたらしていません。元は、記事の文章として連続した流れがあって読みやすかったものが、箇条書き化によって、可読性がなくなってしまっています。Izayohi氏はかような編集は今後一切なさらないように願いたく思います。こういう行為は、記事を劣化させる行為であり、他人の修正の手が必要になります。また色々な記事を編集されているようだが、「知らないこと」には手を出さないように願いたいものです。(転記 --千億の夜 2011年1月28日 (金) 23:35 (UTC)返信

「解離性同一性障害」の「解離の資質」について

編集

始めまして。ktmchiと申します。さっそくですが、Izayohiさんは「解離性同一性障害」の「解離の資質」を「解離の性格傾向」に変更されましたが、どのような意図によるものでしょうか。当方の今時点の意見はノート:解離性同一性障害に書きましたので、そちらにご回答頂ければ幸いです。---Ktmchi 2011年12月6日 (火) 11:07 (UTC)返信

「ドルイド」の項目について

編集

はじめまして。ドルイドの項目を更新しようとしているものです。 Izayoshiさんが過去に行った更新[3]についてお尋ねしたいことがあります。 この「はじめは一人で全ての役目を果たしていたが、後に次の3つに専門化した。」という部分について出典をご存知でしたら教えていただけないでしょうか。 ドルイドに関する本を数冊読んだのですがどうも自分にはそのようには思えなかったのです。なお私は素人でかつ以後の発言は一次資料にあたっていない孫引きであることを予めお断りしておきます。誤り等ございましたらご容赦ください。
まずストラボンの『地理書』の中に以下の記述があります。「特別な尊敬を集めている三つの階級がある。バード、ウァティス、ドルイドがそれだ。」 またシケリアのディオドロスも著書の中でバードが既に存在していたことを述べています。 ローマ側のドルイドを記した物の中では最古の部類にあたるこれらの文献で既に三階級についての言及があることになります。 これより以前のドルイドについて触れた文献となると相当限られていて、(私が調べた限りでは)ギリシアのティマエオスかポセイドニオスによる物かしか残っていないようです。
もう10年も前に更新された内容ですから今更こんな質問をされてもご迷惑かもしれませんが、宜しければお願いします。--雲霞会話2015年9月26日 (土) 15:27 (UTC)返信

失礼しました。お訊ねしておいて何なのですが自分で発見しました。1722年の"History of the druids"だそうです。--雲霞会話2015年9月27日 (日) 15:14 (UTC)返信
ありがとうございました。なにぶん昔の編集なので自由に直してくださいまし。--Izayohi@mototchen会話2015年9月28日 (月) 03:37 (UTC)返信
 

You have been a medical translators within Wikipedia. We have recently relaunched our efforts and invite you to join the new process. Let me know if you have questions. Best Doc James (talk · contribs · email) 12:34, 13 August 2023 (UTC)