増田裕司
増田 裕司(ますだ ゆうじ、1971年2月7日 - )は、将棋棋士。奈良県御所市出身。森信雄門下。棋士番号は225。
増田裕司 七段 | |
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名前 | 増田裕司 |
生年月日 | 1971年2月7日(53歳) |
プロ入り年月日 | 1997年10月1日(26歳) |
棋士番号 | 225 |
出身地 | 奈良県御所市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 森信雄七段 |
弟子 | 柵木幹太 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 増田裕司 |
2024年4月4日現在 |
人物
編集小学校6年のとき、柔道の奈良県大会で3位となった[1]。しかし、その後、将棋にのめり込むようになる。
「村山聖の師匠」としても知られる森信雄の二番目の弟子である。2009年の澤田真吾、大石直嗣の同時プロ入りもあって森一門は大所帯となった。一番弟子村山の死去により、増田は一門における筆頭格の弟子となっている。
棋歴
編集奨励会入りは14歳、三段リーグ入りは21歳と遅かった。三段リーグには11期・5年半在籍したが、成績が芳しくない状態が続いた。年齢制限となる満26歳の誕生日を迎えて四段昇段を達成できなかったものの、1996年度後期リーグを勝ち越し退会を回避。翌1997年度前期リーグでは最後に3連敗したものの12勝6敗の成績を収め、26歳で四段昇段(プロ入り)をする。
増田の成績にはあまりムラがないがために、活躍が目立っていない。順位戦での成績は三段リーグ時代の低調さから一変し、初参加からの10年間で61勝39敗と安定した成績を残し、次点も2回あった。しかし、C級1組昇級にはあと一歩届かなかった。
第57回NHK杯テレビ将棋トーナメント(2007年度)で、森下卓九段、中原誠十六世名人らに勝ち、ベスト8進出。準々決勝で渡辺明竜王(当時)に敗退。
竜王戦では、2005年(第18期)に5組優勝。2008年(第21期)には4組優勝して3組まで上がった。なお、組の優勝者として、それぞれ本戦トーナメントに進出したが、いずれも初戦で敗退している。その相手は奇しくも、2名とも弟弟子であった(第18期で片上大輔、第21期では糸谷哲郎に敗退)。
2009年9月11日、五段昇段後120勝を挙げ、六段に昇段(第51期王位戦、対・畠山鎮戦)[2]。
2008年度の第67期順位戦で、11年目にして初の降級点を喫してしまうと、その後は順位戦で苦戦する。 2010年、第69期順位戦C級2組で3勝7敗に終わり2度目となる降級点を喫する。翌2011年は、7勝3敗で降級点を1に減らす。2012年は3勝7敗に終わるも、順位差でかろうじて降級点を逃れる。2013年、3勝7敗に終わり降級点2となる。続く2014年、第73期順位戦C級2組で3勝7敗に終わり、降級点3となりフリークラスに編入となった。
棋風
編集基本的には居飛車党であり、相矢倉と角換わりといった本格的な居飛車戦法を指すことが多いが、中飛車、四間飛車といった振り飛車戦法も指す。
序盤の定跡や棋理にこだわらない棋風であり、先手番で自分から角交換にいく角換わりを指したり、陽動居飛車(飛車を振って、相手が飛車先の歩を突いた後、また飛車を定位置に戻し、相居飛車にする)や角頭歩戦法も得意[3]。
勝負どころの局面になると一手一手の駒音が高くなるという、気合い重視型の棋士でもある。
弟子
編集棋士となった弟子
編集名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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柵木幹太 | 2023年4月1日 | 四段 |
(2023年4月1日現在)
昇段履歴
編集昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
編集在籍クラス
編集開始 年度 |
順位戦 出典[8]
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竜王戦 出典[9]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1997 | 56 | 昇段前 | 11 | 6組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C245 | 12 | 6組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C219 | 13 | 6組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | C202 | 14 | 6組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | C202 | 15 | 6組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | C215 | 16 | 6組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | C226 | 17 | 6組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | C222 | 18 | 5組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | C218 | 19 | 4組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | C214 | 20 | 4組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | C204 | 21 | 4組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | C210 | 22 | 3組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | C237 | 23 | 3組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | C235 | 24 | 3組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | C236 | 25 | 4組 | -- | |||||||||||||
2012 | 71 | C208 | 26 | 4組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | C236 | 27 | 4組 | -- | |||||||||||||
2014 | 73 | C241 | 28 | 4組 | -- | |||||||||||||
2015 | 74 | F編 | 29 | 4組 | -- | |||||||||||||
2016 | 75 | F編 | 30 | 4組 | -- | |||||||||||||
2017 | 76 | F編 | 31 | 4組 | -- | |||||||||||||
2018 | 77 | F編 | 32 | 5組 | -- | |||||||||||||
2019 | 78 | F編 | 33 | 6組 | -- | |||||||||||||
2020 | 79 | F編 | 34 | 6組 | -- | |||||||||||||
2021 | 80 | F編 | 35 | 6組 | -- | |||||||||||||
2022 | 81 | F編 | 36 | 6組 | -- | |||||||||||||
2023 | 82 | F編 | 37 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
脚注
編集- ^ 将棋世界(日本将棋連盟)2000年1月号付録
- ^ “増田裕司五段が六段に昇段(2009年9月11日付)|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年9月12日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ 2015.6.9棋聖戦一次予選・携帯中継
- ^ 「増田裕司五段が六段に昇段(2009年9月11日付)|将棋ニュース」『日本将棋連盟』2009年9月12日。
- ^ 「昇段・引退・休場棋士のお知らせ|将棋ニュース」『日本将棋連盟』2024年4月1日。
- ^ 「通算成績|成績・ランキング」『日本将棋連盟』。2024年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 通算成績(2024年3月31日対局分まで)[6]。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。