小川英雄 (野球)

高知県出身のプロ野球選手

小川 英雄(おがわ ひでお、1931年7月7日 - 没年不詳[1])は、高知県[1]出身のプロ野球選手

小川 英雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県
生年月日 (1931-07-07) 1931年7月7日
没年月日 没年不詳
身長
体重
173 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1951年
初出場 1951年
最終出場 1952年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴

経歴

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高知商業高校では吉井保年、広瀬誠次(四国銀行)とバッテリーを組み、1950年春の選抜に出場。決勝に進むが、韮山高のエース・東泉東二に抑えられ敗退、準優勝にとどまった。同年夏は南四国大会準決勝で鳴門高に逆転負け、甲子園出場を逸する。

高校同期の山本幸三とともに、1951年阪急ブレーブスへ入団。同年は9月に初の先発マスクを被るが、正捕手の山下健の壁は厚く1953年限りで退団。

1954年からは社会人野球四国鉄道管理局でプレー[1]。選手引退後は高知西高校で監督を務めた[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1951 阪急 8 9 9 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 .333 .333 .333 .667
1952 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:2年 9 9 9 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 -- 0 -- 0 0 0 .333 .333 .333 .667

背番号

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  • 4 (1951年 - 1952年)
  • 38 (1953年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、123ページ

関連項目

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外部リンク

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