愛知中学校・高等学校
愛知中学校・高等学校(あいちちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛知県名古屋市千種区光が丘二丁目にある私立中学校・高等学校である。
愛知中学校・高等学校 | |
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北緯35度10分53.5秒 東経136度58分42.5秒 / 北緯35.181528度 東経136.978472度座標: 北緯35度10分53.5秒 東経136度58分42.5秒 / 北緯35.181528度 東経136.978472度 | |
過去の名称 |
曹洞宗専門支校 曹洞宗第三中学林 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人愛知学院 |
校訓 | 行学一体・報恩感謝 |
設立年月日 | 1876年(明治9年) |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
設置学科 |
普通科 (商業科は廃止) |
学校コード |
C123310000009 中学校) D123310000007 (高等学校) | (
高校コード | 23501G |
所在地 | 〒464-8520 |
外部リンク | 愛知高校・中学公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集1876年(明治9年)の設立以来長らく男子校であったが、中学校は2004年(平成16年)度、高校は2005年(平成17年)度入学生より男女共学となった。
沿革
編集- 1876年(明治9年) - 曹洞宗専門支校として開校。
- 1902年(明治35年) - 「曹洞宗第三中学林」と改称。
- 1921年(大正10年) - 千種区楠元町(現在の愛知学院大学楠元キャンパスの場所)に移転。
- 1925年(大正14年) - 「愛知中学校」と改称。
- 1925年(大正14年) - 新制中学校を開設。
- 1948年(昭和23年) - 新制高等学校及び新制定時制高等学校を開設。
- 1951年(昭和26年) - 多々良学園を独立し、法人名を愛知学院とする。
- 1967年(昭和42年) - 高等学校・中学校、現在地の千種区光が丘に移転。
- 1992年(平成4年)4月 - 中学校再開。
- 2004年(平成16年) - 中学校男女共学化。
- 2005年(平成17年) - 高等学校男女共学化。
進路
編集以前までのコースはI類、II類、III類で、それぞれ系列外の中学校からの入学生、I類又は極稀にIII類の成績優秀な志願者、系列校の愛知中学校からのエスカレーター式入学者であり、進学先は全生徒がほぼ大学だったが、II類、III類の生徒は系列校である愛知学院大学への進学者数が少なかった。I類の生徒はほぼ愛知学院へ進学する可能性はさほどない。
現在は、3ヶ年コースと6ヶ年コースがあり、3ヶ年は進学クラスと選抜クラス、6ヶ年は進学クラスと特進クラス、のように成績上位者が集められたクラスがある。また二年生進学時から、難関の医歯薬系大学への進学を目的とした医歯薬クラスが3ヶ年コースに設けられる。3ヶ年コースでは他にも、理系の国公立大・難関私立大への進学を目的とした理系選抜クラス、文系の国立大・難関私立大への進学を目的とした文系選抜クラスが設けられる。これらのクラスへは、主に1年次に選抜クラスに所属していた生徒が進級するが、2年生、3年生への進級時に、進学クラスの成績上位者も志願すれば転入できることがある。
なお、2024年度に国際教養コースが導入された。入学時に当コースを選択すると3年間でコース独自のカリキュラムや海外研修を通して主に英語力の強化と国際感覚の定着を図ることができる。
愛知中学校
編集愛知高校の敷地内には愛知中学校があり、中学校からの内部進学もある。2004年(平成16年)度から高校より一年早く共学となっている。2006年(平成18年)度からは完全共学となっている。
部活動
編集2024年(令和6年)現在、34の部活動・同好会がある[2]。
運動部
編集- アーチェリー部
- 合気道部
- 剣道部
- 硬式テニス部
- 硬式野球部
- ゴルフ部
- サッカー部
- 水泳部
- 体操部
- 卓球部
- ダンス部
- 軟式野球部
- バスケットボール部
- ハンドボール部
- ラグビー部
- 陸上競技部
文化部
編集- 囲碁将棋部
- 英語研究部
- 演劇部
- 科学部
- 合唱部
- 家庭科研究部
- 茶華道部
- 写真部
- 宗教部
- 書道部
- 吹奏楽部
- パソコン部
- 美術部
- 文芸部
- 放送部
- 歴史文化研究部
同好会
編集- 陶芸同好会
- ボランティア同好会
著名な卒業生
編集- 大橋一郎(元プロ野球選手)
- 平岩嗣朗(元プロ野球選手)
- 金田高義(元プロ野球選手)
- 金田星雄(元プロ野球選手)
- 山本寛(元プロ野球選手)
- 中条博(元プロ野球選手)
- 杉浦享(元プロ野球選手・ヤクルトスワローズ)
- 金田留広(元プロ野球選手)
- 浜田一夫(元プロ野球選手)
- 彦野利勝(元プロ野球選手・中日ドラゴンズ)
- 関屋智義(元プロ野球選手)
- 祖父江大輔(プロ野球選手・中日ドラゴンズ)
- 坪内鋭雄(教育者・作家)
- 宇井伯寿(仏教学者・駒澤大学学長)
- 古田昴生(映画評論家)
- 堤幸彦(演出家、映画監督)
- 太田マサトシ(放送作家、構成作家)
- 三ツ矢雄二(声優)
- 春口廣(関東学院大学ラグビー部元監督)
- 長尾純一(ラグビー選手)
- 秋田豊(元サッカー選手・いわてグルージャ盛岡監督)
- 山村泰弘(サッカー選手・監督・FCマルヤス岡崎)
- 早坂良太(サッカー選手・北海道コンサドーレ札幌)
- 桑原克典(プロゴルファー)
- 宮地佑紀生(タレント)
- 佐野岳(俳優)
- 長江英和(俳優)
- 佳久創(俳優・元ラグビー選手)
- 舟木一夫 (歌手)
- 松尾陽介(元ザブングル)(元タレント)
- 小椋ケンイチ(おぐねぇー)(タレント)
- 酒巻清治(ハンドボール男子日本代表監督)
- 柳匠郎(ハンドボール選手・トヨタ紡織九州)
- 熊田裕通(衆議院議員)
- 黒神遊夜 (漫画家)
- 太田裕司 (メッドエース スタディスペース)
- NiziUニナ(2017年(平成29年)9月に転入後2018年(平成30年)に転校)
不祥事
編集愛知高校(愛知学院)事件
編集1979年(昭和54年)、ある教員が病気による視覚障害(弱視)を理由に差別され、教員から事務職へ配置転換された。さらに2003年(平成15年)3月、それを理由に解雇を通告された。これに関して、帰後の処遇と人格権侵害をめぐり当人側が550万円の損害賠償を求めた事件。第一審は原告が勝訴し、学院側に220万の損害賠償の支払いが命じられた。学院側はこれを控訴したが、2006年(平成18年)11月22日、名古屋高等裁判所での第二審においても控訴は棄却され、第一審の判決が支持された。
柔道事故
編集卒業生の男性が柔道部員だった2017年5月、練習中に頭などを強打し、後遺症を負ったのは顧問の男性教諭が安全配慮義務を怠ったためだとして、学園側を提訴した。2022年12月に上村考由裁判長は学園側に約320万円の損害賠償を命じた。また判決理由として、床に後頭部や背中などを打ったことが原因で頭痛や吐き気などの症状が出る「脳脊髄液漏出症」を発症したと認定された[3]。
甲子園出場実績
編集- 選抜高等学校野球大会(春のセンバツ大会)
- 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)