細谷資氏
日本の海軍軍人
細谷 資氏(ほそや すけうじ、1858年2月12日(安政4年12月29日) - 1944年(昭和19年)1月2日)は、日本の海軍軍人。海兵5期。最終階級は海軍少将。仁川沖海戦開戦時における第三艦隊第七戦隊司令官(少将)[1]。海軍砲術学校砲術練習所長。
生誕 |
1858年2月12日 (安政4年12月29日) 江戸幕府 江戸 |
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死没 |
1944年1月2日(85歳没) 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1874年 - 1907年 |
最終階級 | 海軍少将 |
墓所 | 谷中墓地 |
生涯
編集1858年2月12日(安政4年12月29日)、幕臣の細谷資重の長男として武蔵国豊島郡江戸八代洲河岸(現在の中央区八重洲)で生まれる。
親族
編集妻のつやは松代藩士横田数馬の娘で、大審院長の横田秀雄と政治家の小松謙次郎は義兄にあたる。 息子の資彦(次男)、資芳(三男)は海軍軍人。
栄典・授章・授賞
編集- 位階
- 1886年(明治19年)7月8日 - 正七位[3]
- 1891年(明治24年)12月16日 - 従六位[4]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 従五位[5]
- 1903年(明治36年)4月20日 - 正五位[6]
- 勲章等
艦長を務めた艦艇
編集脚注
編集参考文献
編集- 平塚柾緒『日本海海戦: 写真が記録した日露戦争』学研パブリッシング、2009年。ISBN 9784059012474 。
- 『海軍兵学校出身者(生徒)』発行者:海軍兵学校出身者(生徒)名簿作成委員会、1987年10月20日 第三版(改訂版)Pg17
- 鈴木健二『在外武官物語』芙蓉書房、1979年3月20日 Pg203, Pg210
関連項目
編集外部リンク
編集- 大里浩秋 “宗方小太郎日記,明治34~35 年” 神奈川大学 人文学研究所報 No. 47
- 嶋田耕一 “明治天皇と東郷平八郎 – 日本海海戦前夜のエピソード –” 明治聖徳記念学会紀要(復刊第45号)平成20年11月