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かんししゃメシエ座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年11月22日 (火) 12:35; Kovayashi (会話 | 投稿記録) による版 (出典追加、本文加筆修正)(日時は個人設定で未設定ならUTC

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ヨハン・ボーデの星図に描かれた
かんししゃメシエ座(右)

かんししゃメシエ座(かんししゃメシエざ、監視者メシエ座、Custos Messium)[1]、または、見張り人メシエ座[2](みはりにんメシエざ)は、現在は使われていない星座の1つ。フランスでは Messier として知られていた[3]

フランス天文学者ジェローム・ラランドが、自国の著名なコメットハンターシャルル・メシエを称えて1775年に自作の天球儀に描写したのが最初である[3]1774年の彗星 (C/1774 P1 (Montaigne)) が最初に観測された領域である、現在のカシオペヤ座の北側の部分、きりん座ケフェウス座の間に設けられた[3]。この星座で最も明るい恒星は、現在のカシオペヤ座50番星であった[3]

イギリスの科学者トマス・ヤングは、1807年に刊行した著書『A Course of Lectures on Natural Philosophy and the Mechanical Arts』の星図中で、この星座の領域に「Vineyard Keeper」なる星座を新たに設定した[4]が、引き継ぐ者もなく廃れてしまった[3]

日本では、山本一清を始めとした天文同好会の編集により1928年(昭和3年)に新光社から刊行された『天文年鑑』第2号で「彗星番人メシエ」という訳名で紹介された[5]

脚注

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  1. ^ 原恵『星座の神話 - 星座史と星名の意味』(新装改訂版第4刷)恒星社厚生閣、2007年2月28日、274頁。ISBN 978-4-7699-0825-8 
  2. ^ 内海陽子「ミルキィウェイ:現存しない星座 -見張り人メシエ座-」『宇宙NOW』第42巻、西はりま天文台、1993年9月、11頁。 
  3. ^ a b c d e Ian, Ridpath. “Star Tales - Custos Messsium”. 2022年11月22日閲覧。
  4. ^ Young, Thomas (1807). A Course of Lectures on Natural Philosophy and the Mechanical Arts. p. 870. https://archive.org/details/lecturescourseof01younrich/page/n870/mode/1up 
  5. ^ 天文同好会 編『天文年鑑』2号、新光社、1928年6月、3-6頁。doi:10.11501/1138377https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1138377