教養小説
教養小説(きょうようしょうせつ、 ドイツ語: Bildungsroman)は、主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のこと。ドイツ語のBildungsroman(ビルドゥングスロマーン)の訳語で、自己形成小説[1]、成長小説とも訳される[2]。この概念はドイツの哲学者ヴィルヘルム・ディルタイが、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を中心に、それに類似した作品群を指す言葉として使用したことによって初めて知られ、以降は特にドイツの小説における一つの特質を表す言葉として知られるようになった。ただし、「イギリスの教養小説」などのように、類似した他国の小説に対しても用いられることがある。
発祥と歴史
「教養小説」の成立の背景には、ドイツ市民社会の成立と、啓蒙主義の浸透の過程でギリシア思想を摂取したことによって人間形成(パイデイア)の概念が広まったことがある。これによって絶えず「ビルドゥング」(自己形成)を念頭においたヴィーラントの『アーガトン』やゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』のような小説が生まれ、こうした傾向を跡付けるために「教養小説」という言葉が生まれたと考えられるのである[3]。
「教養小説」の言葉は長い間先述のディルタイがはじめて使用した言葉だと信じられてきたが、フリッツ・マルティーニの論文「教養小説、その言葉の歴史と理論」(1961年)によって、すでに19世紀初頭の文芸史家カール・モルゲンシュテルンがこの言葉を使用していたことが明らかになっている。モルゲンシュテルンは1820年に「教養小説の本質について」と「教養小説の歴史考」という二種の講演でこの概念について詳しく論じており、最初のほうの講演で「この種の小説は、何よりも素材によって、主人公の教養を、そのはじめからある程度の完成段階に至るまでの推移においてえがき、第二に、この小説はほかならぬそういう描写によって読者の教養を他のいかなる種類の小説よりもひろく促進するがゆえに、教養小説と呼ばれるのである」と定義している[4]。
その後、ディルタイは大著『シュライアーマッヒャーの生涯』(1870年)において、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』とそれに連なる類似した形式の作品群に対して、人間の生における様々な段階の形成(アウスビルドゥング)を示すものとして「教養小説」という語を用い、また後年の『体験と創作』(1905年)のヘルダーリンを扱った章でも「教養小説」の語を頻繁に用いこの語を有名にした。そうしてディルタイ以後、『ヴィルヘルム・マイスター』以前のドイツの作品にも遡行的に「教養小説」の性質が見出され、ヴィーラントの『アーガトン』、グリンメルスハウゼン『阿呆物語』、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルチヴァル』などにまで適用されるに至った[5]。
ゲーテ以後の代表的な教養小説としては、ノヴァーリスの『青い花』、ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』、シュティフターの『晩夏』、ケラーの『緑のハインリヒ』、トーマス・マン『魔の山』、ヘッセ『デミアン』などが挙げられる[6][7]。
類義語
「教養小説」の類義語として、「発展小説」(独: Entwicklungsroman)といった言葉が用いられることもある。「教養小説」との違いは曖昧で論者によって定義も異なるが、例えばゲーテ以前の教養小説を発展小説と読んで区別したり、あるいは「教養小説」よりも教養形成の過程を重視したものをそのように呼んだりする場合がある[8]。また、E.L.シュタールは典型的目標の有無で「教養小説」と「発展小説」を区別しており(明確な形成の目標を欠くものが後者)、さらに主要な人物がひとりないし複数の教師によって直接指導されることによって(つまり世界の多様な影響力を受けるのでなくして)成長する小説を「教育小説」(独: Erziehungsroman)と呼び、区別している[9]。
出典
参考文献
外部リンク
- 『教養小説』 - コトバンク
- 『ビルドゥングスロマン』 - コトバンク