アドリアノープル条約 (1713年)
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アドリアノープル条約(1713年) | |
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通称・略称 | エディルネ条約 |
署名 | 1713年6月24日 |
署名場所 | アドリアノープル |
締約国 | ロシア・ツァーリ国とオスマン帝国 |
主な内容 | 向こう25年間の和平を約束する |
関連条約 | プルト条約 |
アドリアノープル条約(アドリアノープルじょうやく、英語: Treaty of Adrianople)またはエディルネ条約(エディルネじょうやく、英語: Treaty of Edirne)は、1713年6月24日、ロシア・ツァーリ国とオスマン帝国の間で締結された条約。
条約は1710年から1711年までの露土戦争を終わらせたプルト条約を再確認した[1]。
概要
[編集]バルタジ・メフメト・パシャが署名したプルト条約は初めコンスタンティノープルの宮廷に受け入れられたが、1709年以来オスマン帝国に亡命していたスウェーデン王カール12世主導する主戦派は不満げであり、世論を逆転させてバルタジ・メフメト・パシャの解任をもたらした。
しかしスルタンのアフメト3世はロシアとの戦いを再開しなかった。やがて主戦派をうるさく感じたアフメト3世はカール12世をスウェーデンへ送り返し、ロシアとの和平の障礙がなくなったことで向こう25年間の和平を約束するアドリアノープル条約が締結された。
脚注
[編集]- ^ Treaty of Adrianople (1713), Conflict and Conquest in the Islamic World: A Historical Encyclopedia, Vol. I, ed. Alexander Mikaberidze, (ABC-CLIO, 2011), 33.
参考文献
[編集]- Советская военная Энциклопедия. Band 1. Воениздат, Москва 1976, S. 117, (Sovjet Military Encyclopedia).