コンテンツにスキップ

アンドレア・ペトコビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレア・ペトコビッチ
Andrea Petkovic
アンドレア・ペトコビッチ
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国トゥズラ
居住地 ダルムシュタット
生年月日 (1987-09-09) 1987年9月9日(37歳)
身長 180cm
体重 69kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2006年
ツアー通算 6勝
シングルス 6勝
ダブルス 0勝
生涯獲得賞金 8,829,248 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2011)
全仏 ベスト4(2014)
全英 3回戦(2011・14・15)
全米 ベスト8(2011)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2017)
全仏 3回戦(2011・14)
全英 ベスト4(2014)
全米 2回戦(2009・11・16)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 9位(2011年10月10日)
ダブルス 46位(2014年7月14日)
2018年10月22日現在

アンドレア・ペトコビッチAndrea Petkovic, セルビア語: Андреа Петковић, 1987年9月9日 - )は、ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)・トゥズラ出身のドイツの女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス4勝を挙げている(ダブルス優勝はない)。身長180cm、体重69kg、右利き。バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス46位。

来歴

[編集]

トゥズラで生まれたペトコビッチは生後6カ月でドイツに移住。6歳からデビスカップユーゴスラビア代表であった父のゾラン[1]の手ほどきでテニスを始める。

2006年にプロに転向し、2007年全仏オープンで予選を勝ち上がり4大大会に初出場。1回戦でヤルミラ・ガイドソバに 4-6, 6-3, 6-3 で勝利して初戦を突破、2回戦でマリオン・バルトリに 6-0, 2-6, 3-6 の逆転で敗れている。ウィンブルドン高雄恵利加に敗れ予選で敗退したが、全米オープンでは本戦にストレートインを果たし初戦を突破した。

2008年全豪オープン1回戦のアンナ・チャクベタゼとの試合中に右膝を痛め第1セットの途中で棄権した[2]。靭帯を切る重傷で8カ月間の欠場となった。

2009年7月のバートガシュタイン大会で単複で初の決勝に進出。シングルスの決勝でイオアナ・ラルカ・オラルを 6–2, 6–3 で破りツアー初優勝を果たした。ダブルスは決勝で敗れ準優勝に終わっている。9月の東レ・パンパシフィック・オープンでは予選から勝ち上がり、2回戦でスベトラーナ・クズネツォワを 7-5, 4-6, 6-3 で破る殊勲を挙げた。

2010年6月のスヘルトーヘンボス大会で2度目の決勝進出を果たしたが、ジュスティーヌ・エナン(に 6–3, 3–6, 4–6 で敗れた。全米オープンでは1回戦で第17シードのナディア・ペトロワを 6-2, 4-6, 7-6(4) で破り4大大会初の4回戦に進出した。4回戦では第7シードのベラ・ズボナレワ\に 1–6, 2–6 で完敗している。

2011年開幕戦のブリスベン国際で3度目の決勝に進出。ペトラ・クビトバに 3–6, 1–6 で敗れて準優勝となる。全豪オープンでは3回戦でビーナス・ウィリアムズが途中棄権したことにより4回戦に進出。4回戦ではマリア・シャラポワを 6–2, 6–3 で破り初のベスト8に進出した。準々決勝では李娜に 2–6, 4–6 で敗れた。3月のマイアミ大会では4回戦で世界ランキング1位のキャロライン・ウォズニアッキを 7-5, 3-6, 6-3 で破り、ベスト4に進出。ストラスブール大会では決勝でマリオン・バルトリの途中棄権によりツアー2勝目を挙げた。全仏オープンでも全豪に続きベスト8に進出した。ウィンブルドンでは3回戦でクセーニャ・ペルバクに敗れたが、全米オープンでは、全豪・全仏に続きベスト8に進出した。準々決勝ではキャロライン・ウォズニアッキに 1-6, 6-7(5) で敗れた。10月の中国オープンでは決勝でアグニエシュカ・ラドワンスカに 5–7, 6–0, 4–6 で敗れたが大会後のランキングで自己最高の9位を記録している。

2012年全豪オープンは背中の故障により欠場。4月のフェドカップオーストラリア戦で3カ月ぶりに試合復帰したが、サマンサ・ストーサーに 4–6, 1–6 で敗れた。地元のポルシェ・テニス・グランプリに出場したが、2回戦のビクトリア・アザレンカ戦で右足首を捻って途中棄権した[3]。この怪我によりまたも長期離脱をよぎなくされ、全仏オープンウィンブルドンロンドン五輪を欠場した。全米オープンでは、1回戦でロミナ・オプランディに 2–6, 5–7 で敗れた。

2014年4月のファミリー・サークル・カップ決勝でヤナ・チェペロバを 7–5, 6–2 で破り3年ぶりのツアー3勝目を挙げた。2014年全仏オープンでは準々決勝でサラ・エラニを 6–2, 6–2 で破り初めて4大大会でベスト4に進出した[4]。準決勝ではシモナ・ハレプに 2–6, 6–7 で敗れたが、度重なる故障からの復活を印象付けた。

2016年8月のリオ五輪で初めてのオリンピックに出場したがシングルス、ダブルスともに初戦で敗退した。

WTAツアー決勝進出結果

[編集]

シングルス: 11回 (6勝5敗)

[編集]
大会グレード
グランドスラム (0–0)
WTAファイナルズ (0–0)
プレミア・マンダトリー (0–1)
プレミア5 (0-0)
トーナメント・チャンピオンズ (1-0)
プレミア (2–0)
インターナショナル (3–4)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2009年7月26日 オーストリアの旗 バートガシュタイン クレー ルーマニアの旗 イオアナ・ラルカ・オラル 6–2, 6–3
準優勝 1. 2010年6月19日 オランダの旗 スヘルトーヘンボス ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン 6–3, 3–6, 4–6
準優勝 2. 2011年1月8日 オーストラリアの旗 ブリスベン ハード チェコの旗 ペトラ・クビトバ 1–6, 3–6
優勝 2. 2011年5月21日 フランスの旗 ストラスブール クレー フランスの旗 マリオン・バルトリ 6–4, 1–0 途中棄権
準優勝 3. 2011年10月9日 中華人民共和国の旗 北京 ハード ポーランドの旗 アグニエシュカ・ラドワンスカ 5–7, 6–0, 4–6
準優勝 4. 2013年6月15日 ドイツの旗 ニュルンベルク クレー ルーマニアの旗 シモナ・ハレプ 3–6, 3–6
準優勝 5. 2013年8月4日 アメリカ合衆国の旗 ワシントンD.C. ハード スロバキアの旗 マグダレナ・リバリコバ 4–6, 6–7(2)
優勝 3. 2014年4月6日 アメリカ合衆国の旗 チャールストン クレー スロバキアの旗 ヤナ・チェペロバ 7–5, 6–2
優勝 4. 2014年7月13日 オーストリアの旗 バートガシュタイン クレー アメリカ合衆国の旗 シェルビー・ロジャース 6–3, 6–3
優勝 5. 2014年11月2日 ブルガリアの旗 ソフィア ハード (室内) イタリアの旗 フラビア・ペンネッタ 1–6, 6–4, 6-3
優勝 6. 2015年2月15日 ベルギーの旗 アントワープ ハード (室内) スペインの旗 カルラ・スアレス・ナバロ 不戦勝

ダブルス: 2回 (0勝2敗)

[編集]
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2009年7月26日 オーストリアの旗 バートガシュタイン ハード ドイツの旗 タチヤナ・マレック チェコの旗 アンドレア・フラバーチコバ
チェコの旗 ルーシー・ハラデツカ
2–6, 4–6
準優勝 2. 2016年1月9日 オーストラリアの旗 ブリスベン ハード ドイツの旗 アンゲリク・ケルバー スイスの旗 マルチナ・ヒンギス
インドの旗 サニア・ミルザ
5–7, 1–6

4大大会シングルス成績

[編集]
略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 通算成績
全豪オープン A 1R 2R 2R QF A A 1R 1R 1R 2R 2R 1R 8–10
全仏オープン 2R A LQ 2R QF A LQ SF 2R 2R 1R 3R 3R 18–9
ウィンブルドン LQ A LQ 1R 3R A 2R 3R 3R 2R 1R 2R 1R 9–9
全米オープン 2R A 1R 4R QF 1R 1R 3R 3R 2R 1R 1R 3R 15–12

: 2010年全米3回戦の不戦勝は通算成績に含まない

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]