エマニュエル・ベアール
エマニュエル・ベアール Emmanuelle Béart | |||||||||||||||||
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本名 | Emmanuelle Béhart-Hasson | ||||||||||||||||
生年月日 | 1963年8月14日(61歳) | ||||||||||||||||
出生地 | サントロペ近郊ガッサン | ||||||||||||||||
国籍 | フランス | ||||||||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||||||||
配偶者 |
ダニエル・オートゥイユ (1993年 - 1995年) ミカエル・コアン (2008年 -) | ||||||||||||||||
著名な家族 |
父:ギイ・ベアール(歌手) 母:ジュヌヴィエーヴ・ガレア(モデル・女優) | ||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||
『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』 『天使とデート』 『美しき諍い女』 『愛を弾く女』 『フランスの女』 『ミッション:インポッシブル』 『見出された時-「失われた時を求めて」より-』 『8人の女たち』 | |||||||||||||||||
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エマニュエル・ベアール(Emmanuelle Béart, 1963年8月14日 - )は、フランスの女優。
来歴
[編集]1963年8月14日にサントロペで生まれたとされるが、1965年という説もある[1]。父親は歌手であり詩人のギイ・ベアールで[2]、日本でも有名な歌『河は呼んでいる』で知られる。母親はイギリス生まれでモデル・女優だったジュヌヴィエーヴ・ガレア。自身はレバノン人、エジプト人、ユダヤ人、イタリア人、ギリシャ人の血を引く。ブロンドの髪、ブルーの目のイメージが強いが、本来の髪色はブルネットである。
1976年に映画『Demain les mômes』で女優としてデビュー。15歳でカナダに留学した折、ロバート・アルトマン監督と出会い、女優の道を勧められたことを機に、帰国した1982年から改めて本格的に演技の勉強を始める。1986年の『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』でセザール賞助演女優賞を受賞。翌1987年には『天使とデート』でハリウッドに進出した。1991年の『美しき諍い女』では4時間近い上映時間の多くをヌードで演じて話題になった。1995年には『フランスの女』でモスクワ国際映画祭女優賞を受賞。翌1996年には『ミッション:インポッシブル』で9年ぶりにハリウッド映画に出演した。1999年の『見出された時-「失われた時を求めて」より-』ではカブール・ロマンチック映画祭で女優賞を受賞。2002年の『8人の女たち』で共演したカトリーヌ・ドヌーヴやイザベル・ユペールらとともにベルリン国際映画祭芸術貢献賞やヨーロッパ映画賞女優賞を受賞した。
私生活
[編集]『優しく愛して』(1985年)や『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』(1986年)で共演した俳優のダニエル・オートゥイユと1993年に結婚し、同年に長女を出産するが、2年後の1995年に離婚。1996年には音楽プロデューサーとの間に長男をもうけた[3][4]。2008年8月に俳優のミカエル・コアンと結婚している[4]。
また、人権保護活動に熱心であり、1997年には移民の権利擁護のデモに参加して逮捕されたこともある。1996年から2006年までの10年間、ユニセフのフランス代表親善大使であった。
主な出演作品
[編集]公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
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1983 | 青い性 処女喪失 Premiers désirs |
ヘレン | 日本ではVHSスルー 別邦題『デビッド・ハミルトンの妖精たちのプレリュード/朝霧に香る甘い旋律』『妖精たちのプレリュード』『青い性』 |
1984 | Interdit アンテルディ/禁じられた愛 Un amour interdit |
コンスタンス | 日本ではVHSスルー |
1985 | 優しく愛して L'amour en douce |
サマンサ・ペイジ | |
1986 | 愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン Manon des sources |
マノン | セザール賞助演女優賞受賞 |
1987 | 天使とデート Date with an Angel |
エンジェル | |
1988 | エレベーターを降りて左 À gauche en sortant de l'ascenseur |
エヴァ | |
1989 | 無秩序な少女 Les enfants du désordre |
マリー | |
愛と欲望の果てに/ドレスの下のフランス革命 Les Jupons De La Revolution |
テレビ映画、日本ではVHSスルー | ||
1991 | 美しき諍い女 La Belle noiseuse |
マリアンヌ | |
深夜カフェのピエール J'embrasse pas |
イングリッド | ||
1992 | 愛を弾く女 Un coeur en hiver |
カミーユ | ヴェネツィア国際映画祭イタリア批評家賞受賞 |
1993 | 小悪魔とキッス Rupture(s) |
ルーシー | 日本ではVHS&LDスルー |
1994 | 愛の地獄 L'enfer |
ネリー | |
1995 | フランスの女 Une femme française |
ジャンヌ | モスクワ国際映画祭女優賞受賞 |
とまどい Nelly & Monsieur Arnaud |
ネリー | ||
1996 | ミッション:インポッシブル Mission: Impossible |
クレア・フェルプス | |
フェアリー・テイル Court Toujours: L'inconnu |
テレビ映画、日本ではVHSスルー | ||
1998 | ドン・ジュアン Don Juan |
エルヴィール | 日本ではVHS&DVDスルー |
1999 | 見出された時-「失われた時を求めて」より- Le temps retrouvé, d'après l'oeuvre de Marcel Proust |
ジルベルト | カブール・ロマンチック映画祭女優賞受賞 |
ブッシュ・ド・ノエル La bûche |
ソニア | ||
2000 | 感傷的な運命 Les destinées sentimentales |
ポーリン | 日本ではDVDスルー |
2001 | 彼女たちの時間 La Répétition |
ナタリー | |
2002 | デブラ・ウィンガーを探して Searching for Debra Winger |
ドキュメンタリー | |
8人の女たち 8 femmes |
ルイーズ | ベルリン国際映画祭芸術貢献賞受賞 ヨーロッパ映画賞女優賞受賞 | |
2003 | Mの物語 Histoire de Marie et Julien |
マリー | |
かげろう Strayed |
オディール | ||
恍惚 Nathalie... |
マルレーヌ | ||
2005 | 三銃士 妖婦ミレディの陰謀 D'Artagnan et les trois mousquetaires |
ミレディ・ウィンター | 日本ではDVDスルー |
恋は足手まとい Un fil à la patte |
リュセット・ゴーチエ | ||
美しき運命の傷痕 L'enfer |
ソフィ | ||
2006 | ボディクライム 誘惑する女 A Crime |
アリス・パーカー | 日本ではDVDスルー |
輝ける女たち Le Héros De La Famille |
レア | ||
2010 | 証人たち Les temoins |
日本ではDVDスルー | |
2008 | DISCO ディスコ Disco |
フランス | |
変態島 Vinyan |
ジャンヌ | 日本ではDVDスルー | |
2010 | Lovers Again/ラヴァーズ・アゲイン Ça commence par la fin |
ガブリエル | 日本ではDVDスルー |
2011 | 嫉妬 Bye Bye Blondie |
フランセス | 日本ではDVDスルー |
2014 | エマニュエル・ベアール 赤と黒の誘惑 My Mistress |
マギー | 日本ではDVDスルー |
2020 | 未亡人、回る春 L'etreinte |
日本ではDVDスルー | |
2022 | 午前4時にパリの夜は明ける Les passagers de la nuit |
ヴァンダ・ドルヴァル |
脚注
[編集]- ^ “BEART Emmanuelle”. Les gens du cinéma. 11 September 2010閲覧。
- ^ “Emmanuelle Beart Biography (1965–)”. Film Reference. 11 May 2009閲覧。
- ^ “Emmanuelle Beart”. Turner Classic Movies. 16 January 2010閲覧。
- ^ a b “Manon of the Spring”. SuperiorPics.com. 19 June 2010閲覧。