オール野党
オール野党(オールやとう)とは、行政府の首長の所属政党(もしくは政治的位置)が議会の少数派であり、首長に反対する勢力が議会の多数を占めている状態のこと。一般的には日本の地方政府で表現される。
概要
[編集]首長の方針に反する勢力が議会の多数派であると、首長が提案する政策が議会で可決されにくくなり、議会運営がうまくいかない場合がある。また議会で首長不信任決議が可決されやすくなる。日本の地方政府は議会の中から行政府の首長を選出する間接選挙ではなく、地方有権者の中から行政府の首長を選出する直接選挙であるため、こういった現象が起こる可能性がある。
日本の国政では、大日本帝国憲法下では、内閣総理大臣など閣僚は天皇による任命であり、議会に制約されなかった。そのため、初期はオール野党状態がしばしば出現した。第2代首相の黒田清隆は、1889年(明治22年)2月12日、政府は「超然として政黨の外に立ち、至公至正の道に居らさる可らす」とするいわゆる超然主義を主張し、自ら議会内に与党を組織する気がなく、またオール野党となっても意に介さない態度を取った。しかし、政府予算の審議など、実務上超然主義は問題が多く、次第に議会を取り込む方向に転換していった。1947年(昭和22年)、日本国憲法が施行されると、首相は国会内の選挙で選ばれる為衆議院の多数派の合意がないと選出できないようになった。そのため、組閣において国会での多数派から任命されるようになり、首班指名選挙で支持した政党が野党に寝返るなど「少数与党」状態でのみこの状態が発生するレアケースとなった(羽田内閣が該当する)。
一方、地方とよばれる県政・市政において、議会の多数が保守系議員で占められることが多く、首長が革新政策を提言している場合にオール野党の構図になりやすい。また首長選挙で与野党相乗り候補が落選して他の候補が当選して首長に選出された場合もオール野党と呼ばれやすい。その他に、最近は議会への十分な説明を行わずに大胆な政策を推進しようする首長が議会と軋轢を起こした場合にもオール野党になることがある。
オール野党と言われた現象
[編集]※は日本共産党も野党である議会
- 橋本大二郎 高知県知事と高知県議会
- 青島幸男 東京都知事と東京都議会※ [注 1]
- 大田正 徳島県知事と徳島県議会
- 田中康夫 長野県知事と長野県議会※[注 2]
- 小池百合子 東京都知事と東京都議会※[注 3]
- 矢野裕 狛江市長と狛江市議会
- 吉田万三 足立区長と足立区議会
- 河村たかし 名古屋市長と名古屋市議会※[注 4]
- 長尾淳三 東大阪市長と東大阪市議会
- 仲川げん 奈良市長と奈良市議会※
- 山下真 生駒市長と生駒市議会※
- 山下真 奈良県知事と奈良県議会※
- 竹山修身 堺市長と堺市議会※[注 5]
- 西端勝樹 守口市長と守口市議会※
- 竹原信一 阿久根市長と阿久根市議会※。
注釈
[編集]- ^ 日本共産党は与党に与しなかったが、青島の政策には一定の肯定的な評価を与えていた。
- ^ 当初、日本共産党は田中に批判的だったが、1期目の知事不信任決議可決による出直し選以降は、事実上の与党となった。
- ^ 自民党都連と対立する中で2016年に当選した経緯もあり一部議員を除いて都議会各派と対立していたが、2017年都議選で知事支持政党である都民ファーストの会が都議会で第一党の議席を獲得し、一旦は議会構成は改善された。だが、その後都議選で都民ファーストの会と選挙協力をした公明党が連携を解消すると都民ファーストの会は少数与党となり、議会構成が再び悪化した。
- ^ 当初は一部議員を除いて市議会各会派を対立してたが、2011年市議選に自身が代表を務める減税日本が市議会で第一党の議席を獲得し、議会構成は改善された。ただ、減税日本は様々な混乱もあって所属議員数を減らして第一党から転落するなどし、議会構成が悪化している。
- ^ 橋下徹大阪府知事の応援を受けて2009年に当選した経緯から当初は市議会各会派と対立する完全なオール野党の状態であったが、2010年頃から橋下徹が推進する大阪都構想をめぐり橋下が創設した大阪維新の会との対立が深まる一方、逆に他の会派との関係が幾分改善され、再選を目指した2013年の市長選では、逆に大阪維新の会以外の政党から支援を受け再選し、オール野党体制ではなくなった。