ガディ・エイゼンコット
ガディ・エイゼンコット גדי איזנקוט | |
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生年月日 | 1960年5月19日(64歳) |
出生地 | イスラエル・ティベリア |
出身校 |
テルアビブ大学 ハイファ大学 |
所属政党 | 国家団結 |
称号 | レジオン・オブ・メリット |
オブザーバー[1] | |
内閣 | 戦時内閣 |
在任期間 | 2023年10月12日 - 2024年6月9日 |
大統領 | イツハク・ヘルツォグ |
内閣 | 第6次ネタニヤフ内閣 |
在任期間 | 2023年10月12日 - |
大統領 | イツハク・ヘルツォグ |
ガディ・エイゼンコット גדי איזנקוט | |
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イスラエル国防軍参謀総長時代(2015年) | |
所属組織 | イスラエル国防軍 |
軍歴 | 1978年 - 2019年 |
最終階級 | ラヴ・アルーフ(中将) |
除隊後 | クネセト議員 |
ガディ・エイゼンコット(ヘブライ語: גדי איזנקוט、1960年5月19日 - )は、イスラエルの政治家、軍人。第21代イスラエル国防軍参謀総長(2015年2月16日[3] - 2019年1月15日[4])。非対象戦争におけるイスラエルへの攻撃拠点となっている地域の民間インフラの破壊を許容する「ダヒヤ・ドクトリン」の提唱者[5]。
2023年10月のイスラム原理主義勢力ハマースとの戦争に伴い組閣した戦時内閣でオブザーバーを務め[1]、第6次ネタニヤフ内閣では無任所大臣に就任した[2]。
経歴
[編集]1960年5月19日にイスラエル北部のティベリアで誕生し[6]、南部のエイラートで育った[7]。イスラエル国防軍に徴兵後、ゴラニ旅団に配属されて[8]、兵、分隊長、小隊長を務め、1985年からの南レバノン紛争では旅団作戦将校および対戦車中隊の指揮官として従軍した[7]。
1999年にはパレスチナの政治的暴力に対処するため、第366師団と第877師団の指揮を執った[9]。
2005年6月に参謀本部作戦局長に就任すると、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラへの抑止力として、拠点となっているベイルートのダヒヤ地区に対しての大規模攻撃のドクトリン策定を主導した。2006年7月のレバノン侵攻において、戦闘行為に対する批判で同年10月に北部軍司令官のウディ・アダム少将が辞任すると後任として北部軍司令官に就任し[10]、部隊訓練と指揮能力強化に尽力、ヒズボラとシリアからの脅威に対する作戦対応能力を確立した[11][12]。
2015年2月16日、国防軍参謀総長に就任[3]。IDFS2015国防戦略に基づく5年間の長期国防構想「ギデオン計画」の策定を主導し[13]、2016年12月にクネセトで承認された[14]。「ギデオン計画」には現役、予備役兵力削減のほか、予備役砲兵旅団、予備役軽歩兵旅団の削減、サイバー戦司令部の創設などが盛り込まれていた[14]。
エイゼンコットは2019年1月15日、参謀総長を退任。後任にはアヴィヴ・コハヴィ中将が就任した[4]。
2022年11月1日執行の第25回イスラエル議会総選挙に国家団結から出馬、投票の結果、国民統一連合は12議席を獲得し、当選を果たした[15]。
2023年10月7日のパレスチナのイスラム原理主義勢力ハマースによるイスラエル南部への攻撃後、首相ベンヤミン・ネタニヤフ、国防相ヨアヴ・ガラント、国家団結代表ベニー・ガンツの3名で構成される戦時内閣が組閣、エイゼンコットは戦略相ロン・ダーマーとともにオブザーバーとして参加した[1]。
2024年6月9日、国家団結党の党首ベニー・ガンツが戦時内閣から離脱することを発表したことに伴い、同党所属のガディ・エイゼンコットも離脱するとを発表した[16]。
栄典
[編集]第一次レバノン戦争従軍リボン | 第二次レバノン戦争従軍リボン | 境界防衛作戦従軍リボン | レジオン・オブ・メリット・コマンダー |
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “イスラエル、挙国一致内閣を組閣-ハマスとの戦争遂行で”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年10月11日) 2023年10月12日閲覧。
- ^ a b Sharon, Jeremy. “After days of indecision, Netanyahu, Gantz agree to establish emergency war government” (英語). The Times of Israel. 2023年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧。
- ^ a b “Gadi Eizenkot neuer Generalstabschef Israels” (ドイツ語). DiePresse.com (2015年2月16日). 2015年3月8日閲覧。
- ^ a b “Armeechef Eisenkot verabschiedet” (ドイツ語). Israelnetz (2019年1月14日). 2019年1月20日閲覧。
- ^ 'the threat to destroy civilian infrastructure of hostile regimes, as Israel did to the Dahiya neighborhood of Beirut, where Hizbollah was headquartered in 2006' Daniel Byman , A High Price: The Triumphs and Failures of Israeli Counterterrorism, Oxford University Press, 2011 p.364
- ^ “אם הרמטכ"ל הבא, גדי איזנקוט: "הייתי רוצה שיהיה רב; הוא צנוע"” (ヘブライ語). כיכר השבת (2014年11月30日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ a b “New IDF chief: Cool and calculated, will strike hard and fast - but only if he must” (英語). ynet news.net (2014年11月29日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ “Changing the rules in the Gaza Strip comes with a cost” (英語). The Jerusalem Post (2018年10月13日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ “A Conversation With a Satisfied Customer” (英語). Haaretz (2005年5月18日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ “Eisencott replaces Adam as OC Northern Command” (英語). The Jerusalem Post (2006年10月19日). 2023年11月23日閲覧。
- ^ “ANALYSIS IDF Plans to Use Disproportionate Force in Next War” (英語). Haaretz (2008年10月5日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ “Israel warns Hizbullah war would invite destruction” (英語). ynet news.net (2008年10月3日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ “The IDF that Eisenkot leaves behind is ready” (英語). The Jerusalem Post (2019年1月1日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ a b 池田明史「第8章 イスラエル新戦略構想とその含意 -「ギデオン計画」と「国防軍戦略」を手掛かりとして」『安全保障政策のリアリティ・チェック -新安保法制・ガイドラインと朝鮮半島・中東情勢- 中東情勢・新地域秩序』(PDF)(レポート)日本国際問題研究所、2019年、105-106頁 。2023年11月22日閲覧。
- ^ “תוצאות האמת של הבחירות לכנסת ה-25” (ヘブライ語). 2022年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月25日閲覧。
- ^ “イスラエル ガンツ前国防相が戦時内閣離脱を表明 ネタニヤフ政権に逆風か”. TBS NEWS DIG (2024年6月10日). 2024年6月9日閲覧。
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