クロアチア公国
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クロアチア公国 Kneževina Hrvatska Ducatus Chroatorum | |||||||||||
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7世紀[1]–925年ごろa | |||||||||||
バルカン半島周辺の地図。ピンク色の箇所がクロアチア公国。 | |||||||||||
首都 |
恒久的な首都は無し[2] ニン クリス ビジャチ ソリン クニン | ||||||||||
共通語 | 古代クロアチア語、ラテン語 | ||||||||||
宗教 |
Slavic paganism キリスト教 | ||||||||||
住民の呼称 | クロアチア人 | ||||||||||
統治体制 | 公国 | ||||||||||
公 | |||||||||||
• 7世紀初頭 | ポルガ (最初のアルコーン) | ||||||||||
ボルナ (知られている最初の公) | |||||||||||
トミスラヴ (最後の公) | |||||||||||
時代 | 中世 | ||||||||||
• 確立 | 7世紀[1] | ||||||||||
• フランク人支配下 | 790年代 | ||||||||||
• 教皇の認可 | 879年7月7日 | ||||||||||
• 王国に昇格 | 925年ごろa | ||||||||||
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現在 |
クロアチア ボスニア・ヘルツェゴヴィナ | ||||||||||
クロアチア公国 (クロアチアこうこく、クロアチア語: Knezevina Hrvatska、ギリシア語: Χρωβατία) は、現在のダルマチア地方周辺のクロアチア人が8世紀ごろに建国した国家。
現在のイストリア半島を除くクロアチアとセルビアの、一部地域を領有していた。925年にはクロアチア王国となる。周囲を東ローマ帝国とフランク王国という大国に囲まれていたこともあり、その二国の争いに巻き込まれることも多かった。フランク王国による属国化により、カトリックも受容した。
クロアチア公国は、その終焉まで恒久的な首都が存在しない。
名称
[編集]852年、時の公(クネズ)であったトルピミル1世の称号が、それまでの「ダルマチア・リブルニア公」から「クロアチア公」に改称された。国名の由来はこれに求めることができる。
歴史
[編集]前史
[編集]当時のダルマチアを支配していたアヴァール人がサモ王国に敗れた。6世紀前半にヘラクレイオス1世はダルマチアへの移住を認め、クロアチア人はダルマチアに定住を開始した。
属国
[編集]788年に、フランク王国の君主であったカール大帝はイストリアを征服した。この影響で隣接するパンノニア公国はフランク王国の支配に下ったが、依然としてフランク軍はクロアチアを支配下に置くことを企んでいた。
脚注
[編集]- ^ During the reign of Heraclius ((在位: 610年 - 641年) ). De Administrando Imperio chapter 30.
- ^ Neven Budak - Prva stoljeća Hrvatske, Zagreb, 1994., page 13
- ^ Van Antwerp Fine, John (1991). The Early Medieval Balkans. University of Michigan Press. p. 264. ISBN 0472081497
参考文献
[編集]- Rudolf Horvat, Povijest Hrvatske I. (od najstarijeg doba do g. 1657.), Zagreb 1924.
- Nada Klaić, Povijest Hrvata u ranom srednjem vijeku, Zagreb 1975.
- Neven Budak - Prva stoljeća Hrvatske, Zagreb, 1994.
- Goldstein, Ivo (May 1985). “Ponovno o Srbima u Hrvatskoj u 9. stoljeću” (クロアチア語). Historijski zbornik (Savez povijesnih društava Hrvatske, Faculty of Philosophy, Zagreb) XXXVII (1). オリジナルの2013-10-02時点におけるアーカイブ。 2012年7月27日閲覧。.
- Thomas the Archdeacon: Historia Salonitanorum Atque Spalatinorum Pontificum
- Severin Binius: Concilia generalia et provincialia, quotquot reperiri potuerunt. Item Epistolae decretales et Romanorum pontificum vitae, 1606
外部リンク
[編集]- Croatia — an independent principality (Richard C. Frucht: Eastern Europe, Edition 2005 /Santa Barbara, California, USA/)
- Duke Branimir put the Principality of Croatia "permanently beneath the wing of the Roman Church and Western Christian civilization (879)" (Richard Barrie Dobson: Encyclopedia of the Middle Ages, Edition 2000 /Cambridge, England, UK/)