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シャティバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Xàtiva

  


 バレンシア州
 バレンシア県
コマルカ コステーラ
面積 76.56 km²
標高 115m
人口 29,070 人 (2017年)
人口密度 379.7 人/km²
Xàtivaの位置(スペイン内)
Xàtiva
Xàtiva
スペイン内シャティバの位置
Xàtivaの位置(バレンシア県内)
Xàtiva
Xàtiva
バレンシア県内シャティバの位置

北緯38度59分25秒 西経00度31分16秒 / 北緯38.99028度 西経0.52111度 / 38.99028; -0.52111座標: 北緯38度59分25秒 西経00度31分16秒 / 北緯38.99028度 西経0.52111度 / 38.99028; -0.52111

シャティバ[1](バレンシア語: Xàtiva: バレンシア語発音: [ˈʃativa], カタルーニャ語発音: [(æj)ˈʃætɪʋæ])またはハティバ(スペイン語: Játiva: [ˈxatiβa])は、スペインバレンシア州バレンシア県ムニシピ(基礎自治体)。公式名はバレンシア語名のXàtiva。

地理

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フカル川の支流であるアルバイダ川スペイン語版の右岸(南岸)にある[2]。シャティバの街は肥沃な平原の上に築かれており、穀物、果物、ワイン、オリーブオイル、コメの生産が盛んである[2]

交通

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道路交通としては、アルヘシラスからバルセロナまでスペインの地中海岸を通るA-7号線スペイン語版(地中海線)がシャティバを通っている。

自治体内には鉄道駅としてシャティバ駅スペイン語版がある。バレンシア都市圏では近郊鉄道のセルカニアス・バレンシアスペイン語版が運行されており、C-2線はモヘンテ/モイシェント英語版からシャティバを通ってバレンシア中心部に至る。シャティバ駅は地中海回廊線英語版(スペインの地中海沿岸を走る路線の総称)の一部となっている。バレンシアムルシアを結ぶ路線、バレンシアとアルバセテを結ぶ路線がシャティバ駅で分岐している[2]

人口

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シャティバの人口推移 1707-2015
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4]

気候

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シャティバ(1961-1990)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 29
(84)
30
(86)
39
(102)
39
(102)
41
(106)
42
(108)
47
(117)
47
(117)
44
(111)
36
(97)
34.6
(94.3)
30
(86)
47
(117)
平均最高気温 °C°F 16.7
(62.1)
18.1
(64.6)
20.5
(68.9)
22.8
(73)
27.0
(80.6)
31.2
(88.2)
35.0
(95)
34.5
(94.1)
31.8
(89.2)
20.5
(68.9)
16.9
(62.4)
30
(86)
25.1
(77.2)
日平均気温 °C°F 10.2
(50.4)
11.3
(52.3)
13
(55)
15.3
(59.5)
19.2
(66.6)
23.2
(73.8)
26.6
(79.9)
26.8
(80.2)
24.2
(75.6)
19
(66)
13.8
(56.8)
10.5
(50.9)
17.8
(64)
平均最低気温 °C°F 3.6
(38.5)
4.4
(39.9)
5.4
(41.7)
7.7
(45.9)
11.3
(52.3)
15.2
(59.4)
18.3
(64.9)
19.1
(66.4)
16.5
(61.7)
12
(54)
7.1
(44.8)
4.1
(39.4)
10.4
(50.7)
最低気温記録 °C°F −9
(16)
−8.2
(17.2)
−7
(19)
−2
(28)
3
(37)
8
(46)
10
(50)
10
(50)
5
(41)
0
(32)
−2
(28)
−9
(16)
−9
(16)
降水量 mm (inch) 68.4
(2.693)
44.2
(1.74)
59.8
(2.354)
53.8
(2.118)
49.5
(1.949)
25.7
(1.012)
6.3
(0.248)
14.1
(0.555)
58.5
(2.303)
120.9
(4.76)
107.9
(4.248)
84.3
(3.319)
693.4
(27.299)
出典:バレンシア州気象庁


歴史

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シャティバの勅許英語版(1252年)

ローマ時代のシャティバ(ラテン語: Saetabis)はリネン生地の産地として知られ、ラテン語詩人のオウィディウスガイウス・ウァレリウス・カトゥルスがシャティバに言及している。

西ゴート王国時代(483年-711年)にはカトリック教会の司教が管轄する地域(英語版)となった[2]。8世紀以降にはイスラーム教徒の下で繁栄を謳歌した[2]。12世紀にはイスラーム教徒によってシャティバ(アラビア語: شاطبة‎: Shāṭiba)にの生産技術がもたらされ、ヨーロッパにおける初期の紙生産英語版の中心地でもあった。12世紀のシャティバは学校・教育・学習サークルの存在で知られていた。

シャティバを描いた銅版画(1563年)

1242年にはキリスト教徒のアラゴン王ハイメ1世がこの地域を再征服(レコンキスタ)した。イスラームの学者アル・シャティビ英語版(????-1388)の姓はこの街の名称に由来し、彼はここに生きてここで死んだ[5]。15世紀から16世紀にかけてのボルジア家の人物の多くがシャティバに生まれている[2]。第209代ローマ教皇カリストゥス3世(在位1455年-1458年)と、第214代ローマ教皇アレクサンデル6世(在位1492年-1503年)はそれぞれシャティバ生まれのボルジア家の一員である[2]。17世紀に活躍したバロック画家ホセ・デ・リベーラもシャティバ出身である[2]

1822年から1833年まで存在したシャティバ県

18世紀初頭のスペイン継承戦争中には、1707年4月25日のアルマンサの戦いでスペイン・フランス連合軍が勝利した後、5月8日から6月6日にはフェリペ5世の下で9,000人から11,000人のスペイン・フランス連合軍がシャティバ包囲英語版を行い、フェリペ5世はシャティバを焼き尽くして街の名称をサン・フェリペ(San Felipe)に改称するように命じた。この屈辱の歴史から、シャティバにあるラルモディ博物館ではフェリペ5世の肖像画が上下さかさまに展示されている[6]

1748年の地震では大きな被害を受け、サンタ・テクラ教会が崩壊したほか、シャティバ城は事実上放棄された。1776年にはマドリードとバレンシアを結ぶ新道(今日のA-7号線)の建設が始まり、この新道はシャティバの郊外を通過した。1787年には人口が12,655人にのぼるまでスペイン継承戦争の影響から立ち直っている。

スペイン立憲革命下の1822年にスペイン領土の行政区分(英語版)が行われた際、シャティバはシャティバ県英語版の県都となった[7]。今日のバレンシア州域にはバレンシア県カステリョン県アリカンテ県、シャティバ県の4県が置かれている。1823年には絶対君主制が復活し、1833年に現在の50県の基となる1833年スペイン地方行政区分再編が行われた。この行政区分でシャティバ県はふたつに分割されてバレンシア県とアリカンテ県に統合され、シャティバはバレンシア県の一部となった。

1930年代後半のスペイン内戦では共和派に忠実だった。1939年2月12日にはイタリア空軍によって主に鉄道駅が爆撃を受け、混雑するプラットフォームにいた女性や子どもなど、129人が死亡して200人以上が負傷した[8]。1940年代から1960年代には経済が失速し、自治体の人口自体はゆっくりと増加していたものの、農村部では人口の流出が起こった[9]

政治

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首長一覧(1979-)
任期 首長名 政党
1979–1983 Manuel Casesnoves Soldevila PSPV-PSOE
1983–1987 Miquel Calabuig i Adrià PSPV-PSOE
1987–1991 Miquel Calabuig i Adrià PSPV-PSOE
1991–1995 Miquel Calabuig i Adrià PSPV-PSOE
1995–1999 Alfonso Rus Terol PP
1999–2003 Alfonso Rus Terol PP
2003–2007 Alfonso Rus Terol PP
2007–2011 Alfonso Rus Terol PP
2011–2015 Alfonso Rus Terol PP
2015–2019 Roger Cerdà i Boluda PSPV-PSOE
2019–2023 n/d n/d
2023– n/d n/d

見どころ

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シャティバ城
コレヒアタ教会
シャティバのパノラマ写真

出身者

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ビセンテ・ボイシュの著書『Xátiva』の表紙

脚注

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  1. ^ バレンシア州自治体情報システム(CIVIS)
  2. ^ a b c d e f g h i j ブリタニカ百科事典 1911.
  3. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  4. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  5. ^ Muhammad Khalid Masud, Islamic Legal Philosophy: A Study of Abu Ishaq al-Shatibi's Life and Thought, McGill University 1977
  6. ^ XÀTIVA - Museo de l'Almodí アーカイブ 2007年5月27日 - ウェイバックマシン
  7. ^ (スペイン語) División provisional del territorio espyearl de 27 de Enero de 1822 アーカイブ 2009年12月14日 - ウェイバックマシン, スペイン国立研究協議会(CSIC)
  8. ^ El trágico bombardeo de Xàtiva”. 2012年5月31日閲覧。
  9. ^ Gran Enciclopedia Temática de la Comunidad Valenciana. Editorial Prensa Valenciana. (2009) 
  10. ^ a b Manuel Oliver. D. Rodrigo de Borja. Sus hijos y descendientes. http://www.cervantesvirtual.com/servlet/SirveObras/01349453133248178867680/p0000001.htm 
  11. ^ Enciclopedia general del mar. Ediciones Garriga SA. (1965) 
  12. ^ Diccionario biográfico del Trienio Liberal. El Museo Universal. (1991) 
  13. ^ Ricardo Navas Ruiz (1982). El Romanticismo espyearl (3 ed.). Cátedra 
  14. ^ Vicent Boix (Traducción de Rafael Pastor i Cantizano) (2008). L'Encobert de Valéncia I. Valencia. L'Oronella S.E.V., S.L. ISBN 978-84-96472-20-4 
  15. ^ Mainat, Joan Ramon (1982). Tretze que canten. Editorial Mediterránea 
  16. ^ Pomar, Jaume (1983l). Raimon. Ediciones Júcar 
  17. ^ Batista, Antoni (2005). Raimon. La construcció d´un cant / Raimon. La construcción de un canto. Ediciones La Magrana. RBA 

外部リンク

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