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シルクセンター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シルクセンター
シルクセンター 地図
情報
設計者 坂倉準三建築研究所
施工 鹿島建設株式会社
建築主 株式会社シルクホテル
財団法人シルクセンター国際貿易観光会館
管理運営 一般財団法人シルクセンター国際貿易観光会館
構造形式 SRC造
敷地面積 5,703.9 m²
延床面積 24,878 m²
階数 地上10階[1]、地下2階、塔屋2階。中1階・中2階あり[2]
竣工 1959年2月1日
所在地 231-0023
横浜市中区山下町1番地
座標 北緯35度26分50秒 東経139度38分42.4秒 / 北緯35.44722度 東経139.645111度 / 35.44722; 139.645111座標: 北緯35度26分50秒 東経139度38分42.4秒 / 北緯35.44722度 東経139.645111度 / 35.44722; 139.645111
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シルクセンター: Silk Center)は、神奈川県横浜市中区山下町横浜港大さん橋入口近くにある、横浜港における生糸産業および貿易の振興ならびに観光事業の発展を目的とした施設である。

概要

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開港当初イギリスの貿易商社ジャーディン・マセソン商会(怡和洋行)のオフィスがあり、英一番館と呼ばれた由緒ある地に、当時の神奈川県知事内山岩太郎の発案により横浜開港100周年を記念して1959年(昭和34年)にオープンした[2][注釈 1]。正式名称をシルクセンター国際貿易観光会館(略称KKK)という。コンペにより設計を担当した建築家坂倉準三ル・コルビュジエの弟子で強い影響を受けており、コルビュジエの建築を彷彿とさせる外観で、横浜港を見渡せる。

横浜市の所有地に神奈川県が建設した関係から、代々副知事が経営陣に参加した。

低層階と高層階に分かれており、高層階は低層階から突き出たような形になっている。開館当初より高層階にはシルクホテルがあり、横浜港を代表するホテルとして世界にも知られたが、ホテルニュージャパン火災を受けて消防法改正に伴い、営業を断念した[注釈 2]

その中でも、シルクセンターの高層階(旧シルクホテル施設の6階から10階まで)については15年間空き家の状態だったが、1998年より「SOHO YOKOHAMA INCUBATION CENTER(再生・運営管理SOHO-INC)」という創業・ベンチャー企業向けのインキュベート施設として再生され横浜港の発展に貢献している。再生に当たりSOHO-INCに対し、経済産業省、神奈川県、横浜市、NTT、ドコモ、アップルコンピュータジャパン等の支援協力があった。

その後、2009年10月に、低層階を管理する財団法人シルクセンター国際貿易観光会館が「旧シルクホテル」から所有権の譲渡を受けた等に伴い、2010年4月1日から、「SOHO YOKOHAMA INCUBATION CENTER」は「横浜シルクセンターSOHO」に継承され、新たに横浜シルクセンターSOHO事務局が管理運営を行うことになった。

低層階には2・3階にシルク博物館があり、船会社、港湾会社等のオフィスや、郵便局、神奈川県観光協会観光案内所等が入居している。当初は横浜生絲取引所[注釈 3]も4階に入居していた[2]

1972年、日中国交正常化に伴い日本が中華民国台湾)と断交するまで、402号室に在横浜中華民国総領事館が入居していた[3]

道路をはさみ横浜開港資料館山下公園、波止場会館があり、日本大通り神奈川県庁舎横浜税関横浜スタジアムもほど近く、開港当初からの横浜港と一体化した横浜市の中心地にある。

交通情報

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神奈川県横浜市中区山下町1番地

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし全館オープンに先駆けて、前年12月にテナント入居部分のみオープンしている。
  2. ^ スプリンクラーを備えておらず、工事費用の2億円を投資しても回収のめどが立たなかったため。
  3. ^ 1998年に前橋乾繭取引所と合併し横浜商品取引所となるが、2006年に東京穀物商品取引所に統合された。

出典

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関連項目

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外部リンク

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