ジャライ王国
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かつて存在したベトナムの国家 |
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文郎国 (前2879年 - 前258年) |
南越 (前207年 - 前111年) |
扶南 (1年 - 630年) |
チャンパ(占城) (192年 - 1832年) |
真臘 (550年 - 802年) |
シエンクワーン(盆蛮) (1369年 - 1478年) |
ジャライ王国 (15世紀 - 19世紀) |
マ王国 (15世紀 - 17世紀) |
アドハム王国 (18世紀 - 19世紀) |
セダン王国 (1888年 - 1890年) |
ジャライ王国(Ala Car P'tao Degar、ベトナム語:Tiểu quốc J'rai)はベトナムタイグエン(中部高原)にジャライ族やエデ族が建立した、一連の政権。ベトナムの史料では南蟠(ベトナム語:Nam Bàn / 南蟠、ナムバン)と呼ばれた。
ジャライ王国はもともとチャンパ(占城)の一部分であった。1471年にベトナムの黎聖宗がチャンパを滅ぼすと、チャンパの残存勢力は三カ国に分裂した。チャム族はパーンドゥランガ朝(賓童龍/Panduranga)に、エデ族はカウタラ朝(Kauthara/कौथर、華英/Hoa-anh、慶和/Khánh-hòa、古笪羅/Cổ-đát-la)に、そしてまたジャライ族は南蟠を建国し、これらはいずれもチャンパ連合的に構成した。黎聖宗は石碑山より西をチャンパの子孫に分け与え、南蟠国に封じた。
ジャライ王国は現在のジャライ省やコントゥム省・ダクラク省に位置した。その中でも二つの最大勢力は、北部に存在した水舎と火舎であった。ジャライ王国は19世紀に消滅した。