コンテンツにスキップ

ジョン・ロックフェラー4世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェイ・ロックフェラー
Jay Rockefeller
生年月日 (1937-06-18) 1937年6月18日(87歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
出身校 ハーバード大学学士
国際基督教大学留学
イェール大学
現職 政治家
大学管理者
所属政党 共和党(1966年まで)
民主党(1966年以降)
配偶者 シャロン・パーシー・ロックフェラー
子女 ジョン・D・ロックフェラー5世
ヴァレリー・ロックフェラー
チャールズ・ロックフェラー
ジャスティン・ロックフェラー
宗教 プロテスタント
サイン
公式サイト [www.rockefeller.senate.gov ]

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
上院議員
選挙区 ウェストバージニア州
在任期間 1985年1月15日 - 2015年1月3日

ウェストバージニア州
29代目知事
在任期間 1977年1月17日 - 1985年1月14日
州務長官 アントニオ・ジェームズ・マンチン

アメリカ合衆国上院
通商科学交通委員会委員長
在任期間 2009年1月3日 - 2015年1月3日
上院議長 ディック・チェイニー
ジョー・バイデン

アメリカ合衆国上院
情報問題特別調査委員会委員長
在任期間 2007年1月3日 - 2009年1月3日
上院議長 ディック・チェイニー

アメリカ合衆国上院
退役軍人問題委員会委員長
在任期間 1993年1月3日 - 1995年1月3日
2001年1月3日 - 2001年1月20日
2001年6月6日 - 2003年1月3日
上院議長 アル・ゴア
ディック・チェイニー

その他の職歴
ウェストバージニア州
22代目州務長官

(1969年1月13日 - 1973年1月15日)
ウェストバージニア州
下院議員

(1967年1月 - 1968年1月)
テンプレートを表示

ジョン・デイヴィソン "ジェイ" ロックフェラー4世John Davison "Jay" Rockefeller IV, 1937年6月18日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。ロックフェラー家の一員であり、1977年から1985年までウェストバージニア州知事、1985年から2015年まではウェストバージニア州選出の連邦上院議員を務めた。

経歴

[編集]

1937年6月18日にニューヨーク州ニューヨークで誕生する。石油王ジョン・ロックフェラーの曾孫であり、ネルソン・ロックフェラー元副大統領は叔父である。直系の子孫だが、長年傍系の一族に追いやられていた。彼は1954年にフィリップス・エクセター・アカデミーを卒業し、ハーバード大学で東洋の歴史及び言語を学び1961年に卒業し、東京国際基督教大学で日本語を3年間学んだ。

大学卒業後はワシントンD.C.平和部隊で、最大の海外事業であるフィリピンでの計画の監督を務めた。

1976年にウェストバージニアの知事に選出され、1980年に再選された。1984年には連邦上院議員に選出され、1990年・1996年・2002年・2008年に再選される。上院では退役軍人委員会・情報特別委員会・商業科学交通委員会の委員長を務めた。2014年に実施された上院議員選挙には出馬せず、2015年1月に政界を引退した。

1967年にチャールズ・パーシー上院議員(在任期間:1967年 - 1985年、上院外交委員会委員長などを歴任)の娘シャロン・パーシーと結婚した。ジョン、ヴァレリ、チャールズ、ジャスティンの4人の子どもがいる。ロックフェラー一家はウェストバージニア州チャールストンに在住している。

2013年に旭日大綬章を受章した。

その他

[編集]

小沢一郎著『Blueprint for a New Japan 英文版 日本改造計画』(講談社インターナショナル、1994年7月)には、ジョン・ロックフェラー4世による序文がある。

エピソード

[編集]

国際基督教大学に留学中は数人の日本人と同居していたが、彼らが語ったエピソードは以下の通りである。

  • 外務大臣がロックフェラーに会うために訪ねてきた。
  • フランスの高級菓子店のカタログを見ていて「食べたい!」と思ったロックフェラーは、同居人に「僕の名義でこの店に手紙を出してくれ」といって手紙を書かせた。その同居人は半信半疑ながらも言われたとおりにしたら、数日後本当に大量の洋菓子が空輸されてきた。
  • 同居している日本人を誘って遊びに行こうとしたところ、便所掃除があるからと断られたが率先して手伝い時間を作ったりする素養も持ち合わせている。ロックフェラー家の習わしで、夏休みには必ず実家の牧場で家畜の世話から農作業などの下働きをして培われたものとのこと。
  • ロックフェラーが日本を発つ前日のお別れパーティーで同居していた日本人達が彼へプレゼントしたものは「喧嘩すること」だった。これはロックフェラーに男兄弟がいなかったので、喧嘩というものを一度してみたかったという話のため。後に本人もこれが最高の思い出だと語っている。

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]
公職
先代
ロバート・D・ベイリー・ジュニア
ウェストバージニア州州務長官
1968年 - 1972年
次代
エドガー・F・ハイスケル三世
先代
アーク・A・ムーア・ジュニア
ウェストバージニア州知事
1977年 - 1985年
次代
アーク・A・ムーア・ジュニア
先代
アラン・クランストン
上院退役軍人問題委員会委員長
1993年 - 1995年
次代
アラン・シンプソン
先代
アーレン・スペクター
上院退役軍人問題委員会委員長
2001年 - 2003年
次代
アーレン・スペクター
先代
パット・ロバーツ
上院情報問題特別調査委員会委員長
2007年 - 2009年
次代
ダイアン・ファインスタイン
先代
ダニエル・イノウエ
上院通商科学交通委員会委員長
2009年 - 2015年
次代
ジョン・スーン
アメリカ合衆国上院
先代
ジェニングス・ランドルフ
アメリカ合衆国の旗 ウェストバージニア州選出上院議員(第2部)
1985年 - 2015年
同職:ロバート・バードカート・グッドウィンジョー・マンチン
次代
シェリー・ムーア・カピトー