バディ・ロバーツ
バディ・ロバーツ | |
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ブライアン・ブレアーと対戦するロバーツ(1985年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
バディ・ロバーツ バディ "ジャック" ロバーツ デイル・バレンタイン デイル・ロバーツ バディ・スミス ザ・レベル |
本名 | Dale Hey |
ニックネーム | ハリウッド・ブロンド |
身長 | 178cm - 182cm |
体重 | 102kg - 110kg |
誕生日 | 1945年5月16日 |
死亡日 | 2012年11月29日(67歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 オクラホマ州 オクラホマ郡デル・シティ[1] |
デビュー | 1965年[1] |
バディ・ロバーツ(Buddy "Jack" Roberts、本名:Dale Hey、1945年6月16日 - 2012年11月29日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オクラホマ州デル・シティ出身[1]。
タッグの名手として知られ、1970年代はハリウッド・ブロンズ、1980年代はファビュラス・フリーバーズなど、プロレス史に残る名タッグチームの一員となって活躍した[2]。
来歴
[編集]カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーで育ち、10代の頃はボディビルディングやベンチプレスなどのスポーツで活動していた[2]。友人となったレッド・マクナルティ(後のイワン・コロフ)の紹介により、カルガリーのスタンピード・レスリングでの準備期間を経て、1965年にモントリオール地区にてデイル・ロバーツ(Dale Roberts)のリングネームでデビュー[2][3]。
その後アメリカに戻り、AWAを経て出身地オクラホマのNWAトライステート地区に参戦。ビル・ワットのアイデアで髪をブロンドに染めてバディ・ロバーツ(Buddy Roberts)と改名し、1970年よりジェリー・ブラウンとのハリウッド・ブロンズ(The Hollywood Blonds)で活動[4]。同年5月8日、トーナメントの決勝でワット&ダニー・ホッジを破りUSタッグ王座を獲得した[5]。
以後、サー・オリバー・フンパーディンクをマネージャーに、モントリオール、フロリダ、ロサンゼルス、ミッドアトランティック、テネシーなどの激戦区を転戦[4][6]。ロサンゼルスでは1975年1月24日にポークチョップ・キャッシュ&S・D・ジョーンズ、フロリダでは1976年9月7日にボブ・バックランド&スティーブ・カーン、ミッドアトランティックでは1977年1月17日にティム・ウッズ&ディノ・ブラボーなど、数々のチームを破り各地のタッグタイトルを奪取した[6]。
この間、日本には「ブロンド・ボンバーズ」のチーム名で1971年10月に国際プロレスに初来日。残留参戦した11月末開幕のシリーズではラッシャー木村&サンダー杉山のIWA世界タッグ王座に連続挑戦している[7]。1974年1月にも国際に来日し、木村&グレート草津の同タッグ王座に再挑戦した[8]。1975年8月1日にはロサンゼルスに遠征してきたアントニオ猪木&坂口征二の北米タッグ王座に挑戦。この試合はノーコンテストの判定が下され、タイトルは空位となる[9]。同月、雌雄を決するべく新日本プロレスに初参加[10]。9月22日の王座決定戦で坂口&ストロング小林を破ってチャンピオン・チームとなったが、10日後の10月2日に猪木&坂口に奪回された[9]。以降も新日本に度々来日し、1979年8月の最後の参戦では、8月31日に宮崎にて坂口&長州力の新王者チームに挑んでいる[11]。
1978年はデイル・バレンタイン(Dale Valentine)をリングネームにジョニー・バレンタインの「弟」を名乗り[2][3]、単身でテキサスの東部地区に登場。3月24日にはヒューストンでアル・マドリルを破りNWAテキサス・ヘビー級王座を獲得(2カ月後の5月28日にブルーザー・ブロディに奪取されている)[12]。サンアントニオではタリー・ブランチャードを相手にサウスウエスト・ヘビー級王座を争った[13]。
1979年にブラウンとのコンビを解消して、1980年より古巣NWAトライステートの後継団体MSWAに進出。ここでマイケル・ヘイズとテリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズ(The Fabulous Freebirds)と邂逅し、同年6月9日にゴディと組んでバック・ロブレイ&ジャンクヤード・ドッグからミッドサウス・タッグ王座を奪取[14]。その後、フリーバーズの3人目のメンバーとなり、若いヘイズとゴディを補佐するプレイング・マネージャーの役割を担った[2]。
以降、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたダラスのWCCWを中心に、AWAやUWFなどの主要団体で活躍。1984年8月には短期間ながらWWFにも出場した[15]。WWF離脱後の10月には全日本プロレスに来日している[16]。シングルでも、1986年1月6日にWCCWにてマーク・ヤングブラッドを、9月28日にはUWFにてテリー・テイラーをそれぞれ破り、各団体のTV王座を獲得した[17][18]。
1988年に引退し、フリーバーズも一旦解散。その後1990年、ヘイズとジミー・ガービンによる第2期フリーバーズのマネージャーとしてWCWに登場したことがある。1996年に喉頭癌を患うが克服(WWE.comにヘビースモーカーだった彼の嫌煙メッセージが載せられている)[19]。
晩年はシカゴに居住。2009年に入り、息子のバディ・ロバーツ・ジュニアがシカゴのインディー団体WCPWでデビューした[20][21]。
2012年11月29日、67歳で死去[22]。没後の2016年、ファビュラス・フリーバーズのメンバーとして、ヘイズ、ゴディ、ガービンと共にWWE殿堂に迎えられた[23]。
獲得タイトル
[編集]- NWA北米タッグ王座(日本版):1回(w / ジェリー・ブラウン)[9]
- グランプリ・レスリング
- GPWタッグ王座:1回(w / ジェリー・ブラウン)[24]
- NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / ジェリー・ブラウン)[25]
- NWAアメリカス・タッグ王座:4回(w / ジェリー・ブラウン)[26]
- NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ジェリー・ブラウン)[27]
- サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
- SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:1回[13]
- SCWサウスウエストTV王座:2回
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回[12]
- NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):5回(w / マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ)[29]
- WCCW TV王座:1回[17]
- WCWA世界6人タッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ&アイスマン・パーソンズ)[29]
脚注
[編集]- ^ a b c “Buddy Roberts”. Wrestlingdata.com. 2014年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e “Buddy Roberts recalls the wild times as a Freebird and a Hollywood Blond”. SLAM! Sports. 2014年9月30日閲覧。
- ^ a b “Hall of Heroes Class of 2008: Buddy Roberts”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年2月22日閲覧。
- ^ a b “Missing Hollywood Blond Jerry Brown is found”. SLAM! Sports. 2010年2月22日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Tri-State]”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ a b “The Hollywood Blondes”. Online World of Wrestling. 2009年9月1日閲覧。
- ^ “IWE 1971 Big Winter Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ “IWE 1974 New Year Pioneer Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ a b c “NWA North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月8日閲覧。
- ^ “NJPW 1975 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ “NJPW 1979 Bloody Fight Series”. Puroresu.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ a b “NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月5日閲覧。
- ^ a b “SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月5日閲覧。
- ^ a b “Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月8日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Buddy Roberts in 1984”. Wrestlingdata.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Buddy Roberts in 1984”. Wrestlingdata.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ a b “World Class Television Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ a b “UWF World Television Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ “Catching up with Buddy Roberts”. WWE.com (May 16, 2007). 2009年9月1日閲覧。
- ^ “Buddy Roberts Jr.”. Cagematch.net. 2016年11月10日閲覧。
- ^ “Buddy Roberts Jr.”. Wrestlingdata.com. 2016年11月10日閲覧。
- ^ “Fabulous Freebird Buddy Roberts passes away”. WWE.com. 2012年11月30日閲覧。
- ^ a b “The Fabulous Freebirds to be inducted into the WWE Hall of Fame’s Class of 2016”. WWE.com. 2016年3月28日閲覧。
- ^ “Grand Prix Wrestling Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ “NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
- ^ a b “World 6-Man Tag Team Title [World Class]”. Wrestling-titles.com. 2013年8月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- バディ・ロバーツのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database