ヘーゼル・ブリアーズ
ヘーゼル・ブリアーズ Hazel Blears | |
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生年月日 | 1956年5月14日(68歳) |
出生地 | イギリス、サルフォード |
出身校 | ノッティンガム・トレント大学 |
所属政党 | 労働党 |
公式サイト | Hazel Blears MP |
選挙区 | サルフォード選挙区 |
在任期間 | 1997年5月1日 - 2015年3月30日 |
コミュニティーおよび地方自治大臣 | |
内閣 |
ブラウン内閣 ブラウン第1次改造内閣 ブラウン第2次改造内閣 |
在任期間 | 2007年6月28日 - 2009年6月5日 |
内閣 | 第3次ブレア改造内閣 |
在任期間 | 2006年5月5日 - 2007年6月27日 |
ヘーゼル・アン・ブリアーズ(英: Hazel Anne Blears、1956年5月14日 - )は、イギリスの政治家。労働党所属の庶民院議員。ゴードン・ブラウン政権でコミュニティーおよび地方自治大臣を務めた。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1956年、マンチェスター近郊のサルフォードで生まれる。トレント専門学校(現在のノッティンガム・トレント大学)で法学を専攻。後にチェスター法律学校を卒業する。
1987年の総選挙ではタットン選挙区から、1992年の総選挙ではベリー南選挙区から出馬するが落選。1997年の総選挙でサルフォード選挙区から出馬し、初当選を果たした。この選挙では、女性議員が大量に当選したことから、彼女達は“ブレア・ベイビー”と呼ばれた。
政界入り
[編集]初当選後、1998年までは保健大臣アラン・ミルバーンの下で、1999年の10ヶ月間は財務省主席担当官アンドルー・スミスの下で、議会担当秘書官として働いた。2001年の総選挙の際は、労働党のキャンペーンチームのメンバーとなり、後に副代表を務めた。
総選挙後は保健省政務次官としてブレア政権のメンバーとなる。2003年には労働党全国執行委員会のメンバーに。2005年総選挙後の6月7日には、枢密顧問官にも選ばれた。2006年の内閣改造に際しては、イアン・マカートニーの後任として労働党の幹事長に就任した。
2007年、トニー・ブレア党首とジョン・プレスコット副党首が辞任を表明すると、副党首選挙に立候補したが、最下位で敗れ、副党首にはハリエット・ハーマンが就任した。
ブレアの辞任後、ゴードン・ブラウンが新党首・首相に就任した。当初、ブリアーズは忠実なブレア派であったため入閣はないと見られていたが、コミュニティーおよび地方自治大臣に任命され閣僚入りした。
2009年6月、住宅の売却益にかかる税金を免れていた疑惑がスクープされ、この責任を取る形でマイケル・マーティン下院議長ら与野党議員20人と共に引責辞任を表明した。
政界引退
[編集]パーソナリティ
[編集]1989年10月21日、事務弁護士のマイケル・ハルサルと結婚しているが、2人の間に子供はいない。夫とともにバイクが趣味である。
エネルギッシュで活動的な性格から、マスコミからは「人間電池」「ミス・リトル・ハッピー」といったあだ名をつけられている。身長は147cmと小柄。
外部リンク
[編集]- Hazel for Deputy Official Deputy leadership campaign site
- Hazel Blears MP Official parliamentary site
- Home Office - Hazel Blears MP Official biography
- Communities Department profile
- Times May 2007 article
- New Statesman 2007 article
- Guardian Unlimited Politics - Ask Aristotle: Hazel Blears MP
- TheyWorkForYou.com - Hazel Blears MP
- 音声
- WPRadio Online interview on Women's Parliamentary Radio just before taking over role as Secretary of State for Communities and Local Government
公職 | ||
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先代 ルース・ケリー |
コミュニティーおよび地方自治大臣 2007 - 2009 |
次代 ジョン・デナム |
党職 | ||
先代 イアン・マカートニー |
労働党幹事長 2006 - 2007 |
次代 ハリエット・ハーマン |