コンテンツにスキップ

モササウルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モササウルス
生息年代: 70–66 Ma
組み立てられたモササウルス・ホフマニ (M. hoffmannii)の骨格キャスト。マーストリヒト自然史博物館所蔵
地質時代
中生代後期白亜紀マーストリヒチアン
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 爬虫綱 Reptilia
亜綱 : 双弓亜綱 Diapsida
: 有鱗目 Squamata
: モササウルス科 Mosasauridae
亜科 : モササウルス亜科 Mosasaurinae
: モササウルス族 Mosasaurini
: モササウルス属 Mosasaurus
学名
Mosasaurus
Conybeare1822
シノニム

モササウルス学名: Mosasaurus)は、絶滅した水生有鱗目モササウルス科の属。約7,000 - 6,600万年前にあたる後期白亜紀頂点捕食者で、マーストリヒチアンの間に生息し、ヨーロッパ西部と北アメリカに分布した。日本ニュージーランドに生息した可能性もある。属名は「マース川のトカゲ」を意味するが、これは最初の標本がマース川の付近で発見されたことに由来する。

特徴

[編集]
モササウルスのサイズ推定図

モササウルスはモササウルス科の最後の属の1つで、最大の属の1つでもあった。大半のモササウルス科爬虫類と同様に、モササウルスの四肢はヒレ足へ進化し、前肢のヒレは後肢のヒレよりも大型であった。最大の種はモササウルス・ホフマニ[1]であり、近縁なティロサウルスハイノサウルスを上回る大きさを誇る。全長はかつて17.6メートルに達したとされたが、これは頭部:全長の比を1:10とする推測に基づくものであり、実際にはこの比は1:7ほどであったとされるようになった[2]。モササウルスは近縁な他のモササウルス科より頑強でもあり、下顎は頭骨に固く附随していた。体型は上下に深い樽型で、目は顕著に大きい。モササウルスは浅海に生息し大型魚類・ウミガメ・アンモナイト・海棲爬虫類・鳥類翼竜恐竜首長竜を捕食していたと専門家は考えている[3]

チャールズ・ナイト英語版によるティロサウルスの復元図(1899年)
カザフスタン郵便「先史時代の動物シリーズ」切手(1994年)
獣脚類を捕食するモササウルス・ホフマニの復元図(2018年)

化石には傷を負い、治癒した痕跡を持つものが少なくなく、闘争が絶えなかったことを示している[4]。頭骨はワニを思わせる形態で、頑丈では細長く伸び、後方に湾曲した多数の歯を持つ。また、先の丸い砕くのに適した歯を持つものもいた。これらの歯で獲物を捕らえ、砕き、切り刻んでいたとされる[4]

モササウルスの頭骨は短い円錐形の先端部に向かって細くなり、顎には巨大な円錐形の歯が並んだ。ヒレ状の前肢には5本、後肢には4本の指が存在した。尾は強靭で、サメ魚竜にも似た二股の尾ビレが存在したことが他のモササウルス科の化石から示唆されている。 現在の哺乳類と同じく肋骨が腹部にはなく胸を覆うだけになっていることが胎生を行なっていた証拠である。

また、19世紀から20世紀中は概ね四足が化したワニ様の姿形に復元されてきたが、上述された最新の研究などにより21世紀では、サメ類魚竜類鯨類と同様に平行進化した結果での収斂した姿に復元されるようになった。

発見の歴史

[編集]

第一の発見

[編集]
1764年に発見された最初の頭骨である標本 TM 7424

モササウルスは最初に命名されたモササウルス科の属である[5]。学術的に知られた最初の化石は、1764年にジェーン・バプティスト・ドローウィンが発見して1766年に記載したものであり、オランダマーストリヒト付近の丘である聖ピーター山の白亜産地から産出した頭骨断片である。ハールレムのテイラーズ博物館初代館長マーティン・ヴァン・マルムは1784年にこの標本を自館に持ち込み、1790年に記載を発表した。彼はこの標本をクジラの一種と考えた[6]。この標本は TM 7424 としてコレクションの一つとされている[7]

第二の標本が発見された時期には諸説あり、1770年[8]、1770年ごろ[9]、1780年ごろ[10]とするものがある。いずれにせよ、この頃に第二の部分的な頭骨が発掘されている。これは律修司祭テオドルス・ジョアネス・ゴディングが所有する土地で発見されており、彼は標本を丘の上の斜面に立つ自身のカントリーハウスに展示した。退役したドイツ軍医ヨハン・レオナルド・ホフマン(1710-1782)もまた、同じ断片を収集し、ドイツ人の医者兼博物学者ペトルス・カンパーとともに頭骨を組み立てた。ホフマンはこの動物をワニと推測したが、1786年にカンパーはこれに反対し、標本を未知の歯クジラと結論付けた[11]

不正確ではあるが、モササウルス発見の様子を描いたイラスト。ホフマンが左に見える

マーストリヒトは重要な要塞都市であり、1794年の末にフランス革命軍に占領された。地質学者バルテルミー・フォジャ・ド・サン=フォンは都市陥落2ヶ月後のマーストリヒトで生き延びており、芸術的・科学的に価値ある物をフランスへ輸送していた政治将校 Augustin-Lucie de Frécine (1751–1804) とともに、標本を持ってフランス騎兵と同行した。別荘から要塞へ標本が移動されたことを悟った Frécine は、最初に頭蓋骨の所在を突き止めて持ってきた者に上等のワインを瓶で600本与えることを打診し、すぐに数十人の兵士が頭骨を回収して報酬を受け取った[12]。1974年12月に標本は戦争の戦利品として略奪されてパリへ運ばれ、国の遺産に指定されて新しい国立自然史博物館のコレクションに加えられた。[いつ?]

1798年にバルテルミー・フォジャ・ド・サン=フォンHistoire naturelle de la montagne de Saint-Pierre de Maestricht [Tome 1] を発表し、ここに発見の道のりを綴った。彼によると、化石発見の折には通知するようホフマンは採石場の職員に金を支払っており、頭骨が1770年に発見された際に知らせを受けた彼は発掘の指揮を執ったという。後にゴディングが地主としての権利を主張し、法廷に圧力をかけてホフマンに勝訴し、所有権の放棄を彼に迫った。1795年にド・サン=フォンは標本を保護し、ゴディングに過失の補償を約束させた。しかしながら、ドイツ人の歴史学者ペギー・ロンペンはこの物語に一切の証拠がないと指摘しており、実際に他の情報源により実証が不可能である。ゴディングが本来の化石所有者であり、ホフマンは化石を手にしたことがなく、ド・サン=フォンが何かを支払ったこともおそらくなく、軍事力による化石の没収を正当化するためのカバーストーリーであると考えられている[13]

絶滅した爬虫類

[編集]
モササウルス・ホフマニのホロタイプ標本である、顎の断片

ド・サン=フォンは標本をワニのものと推測した。1798年にペトルス・カンパーの息子エイドリアン・ギレス・カンパーは、父親の記載論文を読むことで間接的に研究を再開した。彼はまず、これが巨大なオオトカゲ科の化石であるという結論を導き、1799年にジョルジュ・キュヴィエに賛同されるに至った[14]

1808年にキュヴィエはカンパーの結論を確定させた。化石は既に、動物種が絶滅へ向かう可能性についてのキュヴィエの最初の推論の一部に組み込まれていた。絶滅のアイデアは進化論の一つである彼の天変地異説に繋がることとなった。これに先立ち、かつて生息した動物に由来すると解釈された大半の化石爬虫類標本は、ワニ・魚類・鯨類・大型陸生哺乳類といった現存する動物と同様の形態として考えられた。しかしマーストリヒトの標本が現存するどの動物とも異なる大型動物であるとするキュヴィエの考えは、彼自身にも奇妙なものであった。彼は当時発展しつつあった比較解剖学における自身の技量を信じ、この考えを妥当とみなした。彼は既に巨大なバクやナマケモノの標本など、現代では絶滅して化石からしか知られていない大型動物を相手にしていた[5]

モササウルス・ミズーリエンシスの頭骨

当時標本には学術的な名前は与えられず、マーストリヒト産地の大型動物化石(Grand Animal fossile des Carrières de Maëstricht) と呼称された。1822年にウィリアム・ダニエル・コニベアは、ホロタイプに指定された第二の頭骨 MNHNP AC9648 に基づき、マース川のラテン語表記を用いてモササウルスと命名した。種小名の hoffmanniギデオン・マンテルが1829年に付け加えたもので、タイプ標本の発見者と推測されるホフマンの名誉を称えたものである。hoffmanni というスペリングは代替となる綴りの hoffmannii よりも使用されているため、国際動物命名規約に基づいて保護されている[15]

1854年には、ドイツの生物学者ヘルマン・シュレーゲルがモササウルスが普通の四肢ではなくヒレ足を持っていたと推測した。

より近年の発見

[編集]

2015年4月18日(土)に、オランダの北ブラバント州 Rijkevoort 村の40歳アマチュア古生物学者ラース・バーテンが、彼の父ジョス・バーテンとともに、マーストリヒトの近くでモササウルス・ホフマニの化石を発見した。この化石はラースと命名され、マーストリヒト自然史博物館に所蔵されている[16]

分類と種

[編集]
モササウルス・ホフマニ
モササウルス・レモニエリの頭骨
モササウルス・ベアウゲイの骨格
モササウルス・ベアウゲイの復元
ミネソタ科学博物館のモササウルス・コノドン

モササウルス科は複数の亜科に分かれており、モササウルスはモササウルス亜科に属する。モササウルス亜科はさらにに細分でき、モササウルスはクリダステスリオドンモアナサウルスとともにモササウルス族に分類される。

本属が命名されたのが19世紀前半であるため、北アメリカとヨーロッパから産出した数多くの種がモササウルス族に割り当てられている。不完全な標本が多く含まれているものの、ヨーロッパの種は実際にはアメリカの種のシノニムであると多くの研究者は提唱しており、どの種をシノニムとしてどの種を独立種とするかについては見解が割れている。例を挙げると、アメリカから産出した巨大な種モササウルス・マキシマスは大半の研究者がモササウルス・ホフマニのジュニアシノニムとみなしているが、頭骨の特徴により両者を区別できると主張する研究者もいる[17][18]

一般的には5種が有効であるとされており、その5種とはモササウルス・ホフマニ(タイプ種)、モササウルス・コノドン、モササウルス・レモニエリ、モササウルス・ベアウゲイ、モササウルス・ミズーリエンシスである[17]。さらに日本から産出したモササウルス・ホベツエンシスとモササウルス・プリスマティクスの2種、ニュージーランドから産出したモササウルス・モコロアの1種も、2016年に Street と Caldwell が発表した太平洋におけるモササウルス亜科の分類学的再検討において有効と認められている[19]

以下のモササウルス類と近縁な分類群のクラドグラムは、D.V. Grigoriev(2013) に基づく[20]

モササウルス亜科

Dallasaurus turneri

Clidastes liodontus

Clidastes moorevillensis

Clidastes propython

"Prognathodon" kianda

グロビデンス

Globidens alabamaensis

Globidens dakotensis

"Prognathodon" overtoni

"Prognathodon" rapax

"Prognathodon" waiparaensis

プログナトドン

Prognathodon saturator

Prognathodon currii

Prognathodon solvayi

Prognathodon lutugini

モササウルス族

Plesiotylosaurus crassidens

Eremiasaurus heterodontus

Plotosaurus bennisoni

モササウルス

Mosasaurus conodon

Mosasaurus hoffmanni

Mosasaurus missouriensis

ジュニアシノニム、疑問名など

[編集]
  • M. copeanus Marsh, 1869 = Plioplatecarpus depressus
  • M. crassidens Marsh, 1870
  • M. dekayi Bronn, 1838 = M. hoffmanni[17]
  • M. flemingi Wiffen, 1990
  • M. gaudryi Dollo, 1889
  • M. gracilis Owen, 1850,[21][22]ルッセロサウルス類に位置付けられている[23]
  • M. hardenponti Dupont, 1892 (?疑問名)[24]
  • M. horridus Williston, 1895 = Mosasaurus missouriensis
  • M. iguanavus (Cope, 1868)
  • M. ivoensis Persson, 1963 = Taniwhasaurus? ivoensis
  • M. johnsoni (Mehl, 1930) = Amphekepubis johnsoni
  • M. lonzeensis Dollo, 1904
  • M. lundgreni (Schröder, 1885)
  • M. mangahouangae (Wiffen, 1980) = Moanasaurus mangahouangae
  • M. meirsii Marsh, 1869
  • M. neovidii von Meyer, 1845
  • M. scanicus (Schröder, 1885)

出典

[編集]
  1. ^ Grigoriev, D.W. (2014). “Giant Mosasaurus hoffmanni (Squamata, Mosasauridae) from the Late Cretaceous (Maastrichtian) of Penza, Russia”. Proceedings of the Zoological Institute RAS (Russia) 318 (2): 148–167. https://www.zin.ru/journals/trudyzin/doc/vol_318_2/TZ_318_2_Grigoriev.pdf 26 June 2016閲覧。. 
  2. ^ Fanti, Federico; Cau, Andrea; Negri, Alessandra (2014-05-01). “A giant mosasaur (Reptilia, Squamata) with an unusually twisted dentition from the Argille Scagliose Complex (late Campanian) of Northern Italy” (英語). Cretaceous Research 49: 91–104. doi:10.1016/j.cretres.2014.01.003. ISSN 0195-6671. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0195667114000068. 
  3. ^ 金子隆一『謎と不思議の生物史』北村雄一、本田成正、山本聖士、同文書院〈イラスト図解〉、1996年、207頁。ISBN 4-8103-7340-1 
  4. ^ a b ヘーゼル・リチャードソン、ディビッド・ノーマン(監修)『恐竜博物図鑑』出田興生(訳)、新樹社〈ネイチャー・ハンドブック〉、2005年、149頁。ISBN 4-7875-8534-7 
  5. ^ a b Evans, M. (2010). "The roles played by museums, collections and collectors in the early history of reptile palaeontology." Pp. 5-31 in Moody, R.T.J., Buffetaut, E., Naish, D. and Martill, D.M. (eds.) Dinosaurs and Other Extinct Saurians: A Historical Perspective. Geological Society Special Publication 343.
  6. ^ van Marum, M. (1790). "Beschrijving der beenderen van den kop van eenen visch, gevonden in den St Pietersberg bij Maastricht, en geplaatst in Teylers Museum" Verhandelingen Teylers Tweede Genootschap 9:383-389. This article was published after Petrus Camper published his 1786 account and Van Marum follows Camper in his findings.
  7. ^ Mulder, E.W.A. (2004). "Maastricht Cretaceous finds and Dutch pioneers in vertebrate palaeontology". In: Touret, J.L.R. & Visser, R.P.W. (eds). Dutch pioneers of the earth sciences, pp. 165-176. Royal Netherlands Academy of Arts and Sciences (KNAW), Amsterdam.
  8. ^ Faujas de Saint-Fond, B. (1798-9). Histoire naturelle de la montagne de Saint-Pierre de Maëstricht (digitized version on Service Commune de la Documentation, Université Louis Pasteur), part 1 text Archived 2012-05-09 at the Wayback Machine., part 2 plates Archived 2013-11-05 at the Wayback Machine.. page 59 Archived 2013-11-05 at the Wayback Machine.: start of the history of the head of the "crocodile", plate 4 Archived 2013-11-05 at the Wayback Machine. and plate 51 Archived 2013-11-05 at the Wayback Machine.: according to the text, both represent the skull that belonged to Godding, plate 5 Archived 2013-11-05 at the Wayback Machine.: the skull of Teylers Museum, plate 6 Archived 2013-11-05 at the Wayback Machine.: the lower jaw that would once have been in the possession of Petrus Camper, according to the legend drawn by Camper himself and now in the possession of his son.
  9. ^ Camper, P. (1786). "Conjectures relative to the petrifactions found in St. Peter’s Mountain near Maestricht", Philosophical Transactions 76(2): 443 (digitized version on Gallica).
  10. ^ Cuvier, G. (1808). "Sur le grand animal fossile des carrières de Maestricht", Annales du Muséum national d'histoire naturelle (Parijs) 12: 145-176 (digitized version on Biodiversity Heritage Library). p.148で1780年と言及されている。
  11. ^ Fragmentum Maxillae superioris, lateris dextri capitis Physeteris incogniti ex Monte St. Petri, Traj. [ectum] ad Mosam as Camper writes in "Conjectures relative to the petrifactions found in St. Peter’s Mountain near Maestricht", Philosophical Transactions 76: 443-456, on p. 456, in a legend to Tab XVI.
  12. ^ A Faujas de Saint-Fond later (1798)
  13. ^ Rompen, P. (1995). Mosasaurus hoffmanni: De lotgevallen van een type-exemplaar.
  14. ^ A.G. Camper, 1800, "Lettre de A.G. Camper à G. Cuvier sur les ossemens fossiles de la montagne de St. Pierre, à Maëstricht", Journal de Physique 51 (1800) p. 278-291.
  15. ^ ICZN Art. 33.3.1 plus example
  16. ^ Mosasaur fossil found by teen boy on display in Maastricht” (22 April 2015). 30 March 2019閲覧。
  17. ^ a b c Ikejiri, T.; Lucas, S. G. (2014). “Osteology and taxonomy of Mosasaurus conodon Cope 1881 from the Late Cretaceous of North America”. Netherlands Journal of Geosciences - Geologie en Mijnbouw 94: 39–54. doi:10.1017/njg.2014.28. 
  18. ^ Harrell, T. L.; Martin, J. E. (2014). “A mosasaur from the Maastrichtian Fox Hills Formation of the northern Western Interior Seaway of the United States and the synonymy of Mosasaurus maximus with Mosasaurus hoffmanni (Reptilia: Mosasauridae)”. Netherlands Journal of Geosciences - Geologie en Mijnbouw 94: 23–37. doi:10.1017/njg.2014.27. 
  19. ^ Street, H. P.; Caldwell, M. W. (2016). “Rediagnosis and redescription of Mosasaurus hoffmannii (Squamata: Mosasauridae) and an assessment of species assigned to the genus Mosasaurus”. Geological Magazine 154 (3): 521–557. doi:10.1017/S0016756816000236. 
  20. ^ Grigoriev, D. V. (2013). “Redescription of Prognathodon lutugini (Squamata, Mosasauridae)”. Proceedings of the Zoological Institute RAS 317 (3): 246–261. https://pdfs.semanticscholar.org/8d29/d2b082a3cc200f1e121d75de7dbd33d36989.pdf. 
  21. ^ Owen, R. in: Dixon, F. (1850). The geology and fossils of the Tertiary and Cretaceous formations of Sussex. London: Longman, Brown, Green and Longmans. pp. 380–384. https://www.biodiversitylibrary.org/page/14817187 
  22. ^ Owen, R. (1851). A monograph on the fossil Reptilia of the Cretaceous formations. Part I. London: The Palaeontographical Society. pp. 29–41. https://www.biodiversitylibrary.org/page/40608790 
  23. ^ Hallie P. Street & Michael W. Caldwell (2014). “Reassessment of Turonian mosasaur material from the 'Middle Chalk' (England, U.K.), and the status of Mosasaurus gracilis Owen, 1849.”. Journal of Vertebrate Paleontology 34 (5): 1072–1079. doi:10.1080/02724634.2014.846263. 
  24. ^ Bulletins de l'Académie royale des sciences, des lettres et des beaux-arts de Belgique” (1892年). 2019年10月21日閲覧。