ルイ・フェルディナン (フランス王太子)
ルイ・フェルディナン Louis Ferdinand | |
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フランスのドーファン | |
在位 | 1729年9月4日 - 1765年12月20日 |
出生 |
1729年9月4日 フランス王国 ヴェルサイユ宮殿 |
死去 |
1765年12月20日(36歳没) フランス王国 フォンテーヌブロー宮殿 |
埋葬 |
フランス王国 サン=ドニ大聖堂 |
配偶者 | マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボン |
マリー=ジョゼフ・ド・サクス | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブルボン家 |
父親 | ルイ15世 |
母親 | マリー・レクザンスカ |
ルイ・フェルディナン・ド・フランス(フランス語: Louis Ferdinand de France、1729年9月4日 - 1765年12月20日)は、フランス王ルイ15世と王妃マリー・レクザンスカの長男。誕生とともに王太子(ドーファン)に立てられたが、王位に就くことはなかった。
生涯
[編集]1745年にスペイン王フェリペ5世の娘で父の従妹に当たるマリー=テレーズ=ラファエルと結婚した[1]が、妃は翌1746年に病死し、残された一人娘マリー=テレーズも夭逝した。同年にフェリペ5世により金羊毛騎士団員に叙された[2]。
1747年にポーランド王アウグスト3世(兼ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世)の娘マリー=ジョゼフ・ド・サクスと再婚し、三男ベリー公ルイ・オーギュスト(ルイ16世)、四男プロヴァンス伯ルイ・スタニスラス(ルイ18世)、五男アルトワ伯シャルル・フィリップ(シャルル10世)ら5男3女をもうけた。
父ルイ15世とは異なり、敬虔で厳格な人物だった。ローマ教皇クレメンス13世とともにイエズス会の保護を行った。
1765年、父ルイ15世に先立って36歳で死去した。長男ブルゴーニュ公ルイ・ジョゼフ・グザヴィエと次男アキテーヌ公グザヴィエ・マリー・ジョゼフが既に夭逝していたため、三男ベリー公が代わって王太子に建てられ、1774年に王位を継承した。フランスとオーストリアの和平のための政略結婚である三男ルイ・オーギュストの妃にマリア・テレジアの末娘マリア・アントーニアを迎えることに反対して縁談を妨げていたが、自身と妃マリー=ジョゼフの死により縁談は進められることになる。
子女
[編集]最初の妃マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボンとの間には夭逝した1女をもうけた。
- マリー=テレーズ(1746年 - 1748年)
2番目の妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスとの間には5男3女をもうけた。
- マリー・ゼフィリーヌ(1750年 - 1755年)
- ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ(1751年 - 1761年) - ブルゴーニュ公
- グザヴィエ・マリー・ジョゼフ(1753年 - 1754年) - アキテーヌ公
- ルイ・オーギュスト(1754年 - 1793年) - ベリー公、フランス王ルイ16世
- ルイ・スタニスラス・グザヴィエ(1755年 - 1824年) - プロヴァンス伯、フランス王ルイ18世
- シャルル・フィリップ(1757年 - 1836年) アルトワ伯、フランス王シャルル10世
- マリー・アデライード・クロティルド・グザヴィエール(1759年 - 1802年) - サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世妃
- エリザベート・フィリッピーヌ・マリー・エレーヌ(1764年 - 1794年)
脚注
[編集]- ^ 1739年に姉ルイーズ・エリザベートがマリー=テレーズ=ラファエルの兄フェリペと結婚しており、フランス・スペイン両王家の二重結婚になっていた。
- ^ Nicolas-Louis Achaintre, Histoire généalogique et chronologique de la maison royale de Bourbon (Paris: Mansut, 1825), II, 149. ただしT. F. Boettgerは1739年に叙されたとした。
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