ワシントン・ナショナルズ (1886-1889年)
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ここでは1886年から1889年にかけて、アメリカ合衆国ワシントンD.C.を本拠地とし、ナショナルリーグに加盟していたワシントン・ナショナルズ(Washington Nationals)について記述する。
球団史
[編集]1884年に2つの「ナショナルズ」が解散した後、1886年に設立されナショナルリーグに加盟した。「セネターズ」や「ステイツメン」とも呼ばれていたようである。後にアメリカンリーグでアスレチックスを率い、アメリカ野球殿堂入りしたコニー・マックが選手時代に所属していた球団である。
1年目の1886年に28勝92敗という散々な結果に終わり、翌年投の中心としてボストン・レッドキャップス(現ブレーブス)で投げていたジム・ホイットニーを据えるが投手力の弱さを解消できなかった。打つ方ではポール・ハインズ、ダミー・ホイ、ビリー・オブライエンなどが攻撃の中心で、1887年にビリー・オブライエンがリーグ最多の19本塁打を放ち、翌1888年にはダミー・ホイがリーグ最多盗塁を記録するなどの活躍をしたが、チームはなかなか勝てなかった。結局ナショナルリーグに4シーズン参加し最下位が3度、勝率が4割を超えたことが一度もなく、4シーズンで延べ6人が監督をつとめるなど不安定な戦いぶりだった。1889年シーズンが終了した後、新たな野球リーグであるプレイヤーズ・リーグ創設の動きにあわせ、チームの主力選手が大量に移籍しチームは解散する。主力だった選手達は、翌1890年に「バッファロー・バイソンズ」を結成してプレイヤーズ・リーグでプレーした。
戦績
[編集]年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1886年 | NL | 125 | 28 | 92 | .233 | 8位 | マイク・スキャンロン ジョン・ギャフニー |
Swampdoodle Grounds |
1887年 | 126 | 46 | 76 | .377 | 7位 | ジョン・ギャフニー | ||
1888年 | 136 | 48 | 86 | .358 | 8位 | ウォルター・ヒューイット テッド・サリバン | ||
1889年 | 127 | 41 | 83 | .331 | 8位 | ジョン・モリル アーサー・アーウィン |
所属した主な選手
[編集]- ポール・ハインズ
- ダミー・ホイ:1888年にリーグ最多盗塁。
- ビリー・オブライエン:1887年に最多本塁打(19本)
- コニー・マック:後年監督としてアメリカ野球殿堂入り。
- ジム・ホイットニー:通算191勝204敗。
主な球団記録
[編集]- 通算安打:299(ポール・ハインズ)
- 通算本塁打:28(ビリー・オブライエン)
- 通算打点:139(ビリー・オブライエン)
- 通算盗塁:117(ダミー・ホイ)
- 通算防御率:3.15(ジム・ホイットニー)
- 通算勝利数:42(ジム・ホイットニー)