一宮房治郎
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一宮 房治郎(いちのみや ふさじろう、1884年(明治17年)9月12日 - 1948年(昭和23年)7月27日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]大分県速見郡豊岡町(現在の日出町)出身。1904年(明治37年)、東亜同文書院を卒業。北京で順天時報記者・大阪朝日新聞通信員を務めた後、奉天で盛京時報を創設し、主幹・主筆を務めた。その後は内地に戻り、大阪朝日新聞記者を務めた。
1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は7回を数えた。その間、高橋内閣で山本達雄農林大臣の秘書官[1]を、濱口内閣で内務参与官を、第1次近衛内閣で海軍政務次官を務めた。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『赤露より帰りて』(大谷日日新聞社、1925年)
- 『大東亜海戦論』(昭和刊行会、1943年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1943年。
- 中外商業新報編輯局『政治家群像』千倉書房、1932年。