三ッ林隆志
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三ッ林 隆志 みつばやし たかし | |
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生年月日 | 1953年7月5日 |
出生地 | 埼玉県北葛飾郡幸手町 |
没年月日 | 2010年8月2日(57歳没) |
死没地 | 埼玉県幸手市 |
出身校 | 埼玉医科大学大学院修了 |
前職 | 小児科医 |
所属政党 | 自由民主党(町村派) |
称号 | 医学博士 |
親族 |
祖父:三ッ林幸三(元衆議院議員、元幸手町長) 父:三ッ林弥太郎(元衆議院議員、元科学技術庁長官) 弟:三ッ林裕巳(衆議院議員) |
選挙区 | 埼玉14区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2000年6月25日 - 2009年7月21日 |
三ッ林 隆志(みつばやし たかし、1953年(昭和28年)7月5日 - 2010年(平成22年)8月2日[2])は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員。
小児科医師として地域医療にも携わった。議員職にあった際にも埼玉県幸手市に開業している現役医師であった(その後は病院長は夫人が務めた)。
略歴
[編集]埼玉県北葛飾郡幸手町(現・幸手市)出身。三ッ林弥太郎の二男[3]。
1972年(昭和47年)、埼玉県立不動岡高等学校卒業。1978年(昭和53年)、埼玉医科大学卒業。
1982年(昭和57年)、埼玉医科大学大学院修了。勤務医(埼玉医科大学病院、所沢市市民医療センター)。
1989年(平成元年)、埼玉県厚生連幸手総合病院勤務。1993年(平成 5年)、埼玉医科大学講師。
2000年(平成12年)、開業医(さって西クリニック)。自由民主党埼玉第14選挙区支部長就任。第42回衆議院議員総選挙にて初当選[2]。
2002年(平成14年)、埼玉医科大学理事就任。2003年(平成15年)、利根川治水同盟副会長。第43回衆議院議員総選挙にて2期目当選。
2005年(平成17年)、第44回衆議院議員総選挙にて3期目当選。2009年(平成21年)、第45回衆議院議員総選挙には公明党の推薦[4]を受けて出馬するも落選。
2010年(平成22年)8月2日、心筋梗塞のため死去する[2]。告別式は同月6日午前10時から埼玉県幸手市千塚の自宅で行われる[2]。
政策
[編集]家族
[編集]- 三ッ林家
- 祖父・幸三(1893年 - 1977年、幸手町長、埼玉県会議長、衆議院議員、農業)[3]
- 父・弥太郎(1918年 - 2003年、衆議院議員、科学技術庁長官)[3]
- 弟・裕巳[3](医師、衆議院議員、1955年 - )
所属していた団体・議員連盟
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院. “議員氏名の正確な表記”. 2024年3月27日閲覧。
- ^ a b c d “三ツ林隆志・元衆院議員が死去”. 日本経済新聞 (2010年8月2日). 2024年1月27日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第25版 下』み36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月13日閲覧。
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦 : 総選挙2009 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)[リンク切れ]
- ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 富田茂之 |
法務大臣政務官 2005年 - 2006年 |
次代 奥野信亮 |