三橋淳 (ラリー選手)
表示
三橋 淳(みつはし じゅん、1970年 7月2日 - )は、日本のレーシングドライバー。東京都出身。
略歴
[編集]1999年より本格的にライダーとして活動を始める[1]。2001年にホンダ・XR650Rでダカール・ラリーにデビューし、総合22位で完走した。2002年は総合12位でトッププライベーター賞を受賞[2]、2003年は16位だった[3]。
2004年に池町佳生とともに日産自動車の若手育成プログラムに加入し、日産・テラノでダカール・ラリーの市販車無改造クラスへ参戦した[4](結果はリタイア)。2005年はスーパープロダクションの日産・エクストレイルで総合11位フィニッシュ、2006年は日産・ピックアップで出走したがリタイアした[3]。
2007年からトヨタ車体の「チームランドクルーザー」のドライバーとなり、2007、2010、2011、2014、2015年に市販車クラスで優勝した[5]。
2015年大会ではクラス首位走行中に、監督から理由が明かされないまま首位を2号車(ニコラ・ジボン/三浦昂)に明け渡せという不可解なチームオーダーがあった。三橋は2号車のクルーとも相談の末に監督の独断であると判断し、オーダーを無視したことをSNSおよび自身のホームページにて表明[6]。この大会を最後にTLCを離脱した。
2016年は「順位は関係なく日本人を乗せたい」というKTMジャパンの支援を受けて、45歳にして13年ぶりに二輪でダカールに参戦。完走を果たした[7]。
現在はGRガレージ京都伏見と関係を持ち、アンバサダーやプロデューサーを務める[8][9]。またTOYOTA GAZOO Racingアンバサダーの脇阪寿一とは懇意で、イベントや企画によく登場する。
参戦歴
[編集]<2輪>
- 1991年 パレナスヘアースクランブル第1戦 総合優勝
- 1992年 SCORE BAJA1000 Class21(125cc以下) 2位
- 1994年 日高2デイズエンデューロ・4ストクラス 優勝 / サバイバル2デイズエンデューロ・4ストクラス 優勝
- 1995年 ネバダ・ラリー 総合優勝
- 1996年 日高2デイズエンデューロ・4ストクラス 優勝
- 1998年 日高2デイズエンデューロ・4ストクラス 優勝 / サバイバル2デイズエンデューロ・4ストクラス 優勝
- 1999年 SSER 総合優勝 / UAEデザートチャレンジ 総合19位
- 2000年 プランシュ高山オフロードエンデュランス 総合優勝 / SSER 総合優勝 / ラリーレイドモンゴル2000 総合優勝
- 2001年 パリ・ダカールラリー 総合21位
- 2002年 パリ・ダカールラリー 総合12位
- 2003年 パリ・ダカールラリー 総合16位
<4輪> [10]
- 2003年 ラリー・デ・ファラオン 総合9位 / AMVシャムロックラリー 総合3位
- 2004年 パリ・ダカールラリー リタイア / デザートエクスプレス 総合2位 / エスパーニャ・バハ 総合12位 / AMVシャムロックラリー 総合優勝
- 2005年 パリ・ダカールラリー 総合11位
- 2006年 イタリアンBAJA 完走 / パリ・ダカールラリー リタイア / UAEデザートチャレンジ 総合13位 クラス1位
- 2007年 パリ・ダカールラリー 総合25位 クラス優勝 / UAEデザートチャレンジ 総合7位 クラス2位
- 2008年 UAEデザートチャレンジ リタイヤ
- 2009年 ダカールラリー 総合31位 クラス4位
- 2010年 ダカールラリー 総合17位 クラス優勝 / ファラオ・ラリー 総合 3位 クラス優勝
- 2011年 ダカールラリー 総合12位 クラス優勝 / ファラオ・ラリー 総合13位 クラス 5位
- 2012年 ダカールラリー 総合25位 クラス2位 / ファラオ・ラリー 総合 5位 クラス優勝
脚注
[編集]- ^ 『MSC(モータスポーツコム)』 エキスパートストーリー 三橋淳プロフィール
- ^ プロフィール
- ^ a b 歴代の日本人出場者
- ^ 日産、2004年「パリダカ」体制発表、マクレーらが砂漠に挑戦!
- ^ 過去の戦績
- ^ お礼とご報告
- ^ 【世界一過酷なモータースポーツ競技】ダカールラリー15連覇!挑戦し続けるKTMの強さ
- ^ GRガレージ京都伏見スタッフブログ
- ^ 京都トヨタ 本部スタッフブログ
- ^ 『Jun38c.com』プロフィール
外部リンク
[編集]- 三橋淳 公式ウェブサイト『jun38c.com』
- Team Land Cruiserブログ
- 三橋淳 (@jun38c) - X(旧Twitter)