三沢宗直
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛永20年(1643年) |
死没 | 元禄10年3月18日(1697年5月8日) |
改名 | 秀三→宗直 |
別名 | 又四郎、頼母、左京、信濃(通称) |
墓所 | 孝勝寺(宮城県仙台市宮城野区榴岡) |
主君 | 伊達綱宗→綱村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 三沢氏 |
父母 | 父:三沢清長、母:朽木宣綱の娘 |
兄弟 | 初子(伊達綱宗側室)、宗直 |
妻 | 正室:河野道円の娘 |
子 |
女(伊達村和室)、女(伊達村直室)、 女(伊達村興室)、村為、伊達村望 |
三沢 宗直(みざわ むねなお)は、仙台藩一門第十一席・前沢三沢家初代当主。第4代藩主・伊達綱村の母方の叔父にあたる。
生涯
[編集]寛永20年(1643年)、浪人三沢清長の子として生まれる。慶安4年(1651年)、父清長と死別する。
叔母紀伊が、仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の正室振姫の老女であった縁で、明暦元年(1656年)1月に姉の初子が、第3代藩主・伊達綱宗の側室となる。万治2年(1659年)3月8日に初子が亀千代(第4代藩主・綱村)を出産し、同年4月に姉の縁で綱宗に家臣として召し出された。
万治3年(1660年)、藩主綱宗が隠居し、亀千代(綱村)が藩主となる。寛文6年(1666年)、舅の河野道円が死罪となり、妻子共に仙台に差し下される。寛文7年(1667年)、加増を受けて禄高300石となる。延宝3年(1675年)11月、藩主の外戚として一門に列し、延宝4年(1676年)10月、桃生郡深谷小野邑に1000石の知行と、「宗」の諱字、雀紋を賜与された。
延宝9年(1681年)7月、1000石の加増を受け、胆沢郡前沢邑に移る。元禄7年(1694年)10月に1000石の加増を受け、知行3000石となる。
元禄6年(1693年)、専制政治を行う藩主綱村に対する一門の不満から、一門7家8名(石川宗恒、伊達宗氏、伊達宗元、伊達村隆、伊達宗親、白川宗広、三沢宗直、伊達村元)によって諫言書を提出した。
元禄10年(1697年)3月18日、死去。享年54。家督は嫡男の村為が相続した。
参考文献
[編集]- 『伊達世臣家譜』
- 『伊達騒動実録』
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