上野勘助
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上野 勘助(うえの かんすけ、1866年7月13日(慶応2年6月2日)[1] – 1914年(大正3年)1月20日[2][3][4])は、明治から大正初期の農業経営者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡上岩出村[3](岩出町[4]を経て現岩出市)で、大庄屋を務める家に生まれた[5]。1887年(明治20年)慶應義塾別科を卒業し[2][3]、1898年(明治31年)東京法学院(現中央大学)を卒業した[2][4]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙で和歌山県第2区から自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[2][5][3][4]。
その後、北海道開拓を志し、幌向原野(現岩見沢市)に入植して農場を営んだ[2][5][3][4]。1910年(明治43年)と1913年(大正2年)に空知支庁管内から北海道会議員に選出された[2][5][3][4]。晩年に立憲同志会に入党した[5]。1913年12月から病となり[5]、1914年1月に札幌区立病院で死去した[3]。
脚註
[編集]参考文献
[編集]- 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。