コンテンツにスキップ

二葉かほる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふたば かほる(読みはかおる)
二葉 かほる
本名 鈴木 ふく
別名義 双葉 かほる
生年月日 (1871-11-19) 1871年11月19日
没年月日 (1948-01-22) 1948年1月22日(76歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区
職業 女優
ジャンル 映画
主な作品
『からくり娘』 / 『落第はしたけれど
有りがたうさん』 / 『
テンプレートを表示

二葉 かほる(ふたば かおる、1871年11月19日明治4年10月7日) - 1948年昭和23年)1月22日)は、日本女優。本名は鈴木 ふく

新派や芸者を経て松竹蒲田撮影所に入社し、数多くの映画に出演。栗島すみ子五月信子諸口十九ら蒲田のスター俳優の母親役や祖母役を多く演じ、老け役として活躍した。その後はフリーを経て大映専属となった。主な出演作品に『カラボタン』『』『無法松の一生』など。

来歴・人物

[編集]

1871年11月19日(明治4年10月7日)、東京府東京市神田区五軒町花屋敷(現在の東京都千代田区)に生まれる[1]。父の鈴木信之は象牙彫刻家であり、その関係から同じ象牙彫刻家の吉田宗斎と結婚するが、離婚して24歳の時に大阪の舞台に立ったあと各地を巡業する[1]。一時、宇都宮で芸者になったこともある。1916年(大正5年)、新派中野信近一座に加わって連鎖劇に出演する。その後、日活向島撮影所の女優募集に応じ、何本かの活動写真に出演した[1]

1923年(大正12年)、52歳で松竹蒲田撮影所に入社[2]島津保次郎監督『人肉の市』などに母親役で出演する。二葉の庶民的な母親像には独特の味わいと親しみがあり、鈴木歌子中川芳江葛城文子米津左喜子らとともに母親女優として活躍した[3]。同年9月1日に発生した関東大震災により下加茂で撮った『山中小唄』では梅村蓉子の母、蒲田へ戻ってからの『二人の母』では三村千代子演じる孫娘を母がわりに育てる祖母を演じ、1925年(大正14年)には飯田蝶子小林十九二らとともに準幹部に昇進する[4]。以後、蔦見丈夫監督『女難』の岩田祐吉の叔母、池田義信監督『恋妻』の栗島すみ子の母、牛原虚彦監督『征服者』の川田芳子の母、『受難華』の筑波雪子の母など、それぞれニュアンスの違った母を演じ分け、その一方で、大久保忠素監督の『二人の孤児』で悪婆、野村芳亭監督の『カラボタン』などで老妓を演じ、小津安二郎監督の『落第はしたけれど』では下宿のおかみさんを演じたりした[3]。時代劇にも多く出演し、野村監督『女殺油地獄』で諸口十九演じる主人公の母を演じたほか『黒駒の勝蔵』などに助演した。

1940年(昭和15年)、松竹を退いてフリーとなり、東宝の『』(山本嘉次郎監督)では高峰秀子演じるヒロインの祖母役を好演、日活の『宮本武蔵 一乗寺決闘』では妙秀尼を演じた。1942年(昭和17年)、大映京都撮影所に入社し、稲垣浩監督の『無法松の一生』で茶店の婆や役で出演。戦後も引き続き大映京都に在籍して、稲垣監督の『おかぐら兄弟』で茶店の老婆、松竹の『東京特急四列車』で霧立のぼるの母を演じ、東横映画の『金色夜叉』に出演中の1948年(昭和23年)1月2日、撮影所に顔を出して間もなく気分が悪くなり、診察を受けに行った病院で脳溢血で倒れ、駆けつけた家人に「私の役はもうすんだはずだが、もし迷感をかけるようなら申しわけがない。それが気がかりだ」と言った後に昏睡状態となり、20日後の1月22日に死去[3]。77歳没。

出演作品

[編集]

映画

[編集]
  • 人肉の市(1923年、松竹キネマ) - 母
  • 天を仰いで(1923年、松竹キネマ)
  • 山中小唄(1923年、松竹キネマ)
  • 南の漁村(1923年、松竹キネマ)
  • 焔の行方(1923年、松竹キネマ)
  • 愚者なればこそ(1924年、松竹キネマ)
  • 嘘(1924年、松竹キネマ)
  • 踊りの夜(1924年、松竹キネマ)
  • 女殺油地獄(1924年、松竹キネマ)
  • 海潮音(1924年、松竹キネマ)
  • 島に咲く花(1924年、松竹キネマ)
  • 二人の母(1924年、松竹キネマ)
  • 帰らぬ父(1924年、松竹キネマ)
  • 小唄集 第一篇(1924年、松竹キネマ) - 浩の母
  • 小唄集 第三篇(1924年、松竹キネマ) - 春代の継母きく
  • 罪なき罪(1924年、松竹キネマ)
  • 異性の力(1925年、松竹キネマ)
  • 或る女の話(1925年、松竹キネマ)
  • その夜の罪(1925年、松竹キネマ)
  • 虎徹の斬れ味(1925年、松竹キネマ) - 女房お浜
  • 恋妻(1925年、松竹キネマ)
  • 寂しき路(1925年、松竹キネマ) - 長島の母
  • 恋の捕縛(1925年、松竹キネマ) - お里の母
  • 土に輝く(1926年、松竹キネマ) - 母
  • 黒駒の勝蔵(1926年、松竹キネマ)
  • 若き女の死(1926年、松竹キネマ)
  • 花井お梅(1926年、松竹キネマ)
  • 広瀬中佐(1926年、松竹キネマ) - 祖母まち子
  • カラボタン(1926年、松竹キネマ)
  • 三人の娘(1927年、松竹キネマ)
  • 九官鳥(1927年、松竹キネマ) - 養母おとよ
  • 艶魔(1927年、松竹キネマ) - 女房お秀
  • 父帰る(1927年、松竹キネマ) - 大風呂敷のおかま
  • すね者(1927年、松竹キネマ) - 女房おきし
  • からくり娘(1927年、松竹キネマ) - 母親
  • 春の雨(1927年、松竹キネマ) - おみよの母・お新
  • 白虎隊(1927年、松竹キネマ) - 母お石
  • 先生と其娘(1927年、松竹キネマ) - 母
  • 道呂久博士(1928年、松竹キネマ) - 患者山田さく
  • 晴れ行く空(1928年、松竹キネマ) - 小林おとく
  • 森の鍛冶屋(1929年、松竹キネマ) - 妻豊野
  • 春容恋達引(1929年、松竹キネマ) - 女将おきん
  • 村の王者(1929年、松竹キネマ) - 作造の母
  • 壱00,000,000円(1929年、松竹キネマ) - 狂女
  • 恋慕小唄(1929年、松竹キネマ) - 母・おとき
  • 彼と人生(1929年、松竹キネマ) - 切り下げのお婆さん
  • 時勢は移る(1930年、松竹キネマ) - 妻おあき
  • 落第はしたけれど(1930年、松竹キネマ) - 下宿のおばさん
  • 麗人(1930年、松竹キネマ) - お崎
  • 岐路に立ちて(1930年、松竹キネマ) - 母せき
  • 女は何処へ行く(1930年、松竹キネマ) - お美津の母
  • 若者よなぜ泣くか(1930年、松竹キネマ) - お沢
  • 餓鬼大将(1931年、松竹キネマ) - 母おせん
  • 昇給と花嫁(1931年、松竹キネマ)
  • 金色夜叉(1932年、松竹キネマ) - 下宿のおばさん
  • 村の凱歌(1932年、松竹キネマ)
  • 青春の夢いまいづこ(1932年、松竹キネマ) - 婆や
  • 春琴抄 お琴と佐助(1935年、松竹キネマ) - 鵙屋の女中
  • 有りがたうさん(1936年、松竹キネマ) - 母親
  • 家族会議(1936年、松竹キネマ) - 老婆
  • 君よ高らかに歌へ(1936年、松竹キネマ) - 婆さん
  • 男性対女性(1936年、松竹キネマ)
  • 人妻椿(1936年、松竹キネマ) - 草間の母とき子
  • 花嫁かるた(1937年、松竹キネマ) - その妻
  • 荒城の月(1937年、松竹キネマ) - 婆や
  • 花形選手(1937年、松竹) - 木賃宿の婆さん
  • 家庭日記(1938年、松竹) - 下宿のおばさん
  • 南風(1939年、松竹) - 菊子の母
  • 小島の母(1940年、東京発声) - 老婆
  • 笑ふ地球に朝がくる(1940年、南旺映画) - みね婆さん
  • 将軍(1941年、中野プロ) - 祖母
  • (1941年、東宝映画) - 祖母えい
  • 若い先生(1942年、東宝映画) - 下宿のおばさん
  • 宮本武蔵 一乗寺決闘(1942年、日活) - 妙秀尼
  • 三代の盃(1942年、大映
  • 無法松の一生(1943年、大映) - 茶店の老婆
  • お馬は七十七万石(1944年、大映) - 休之進の母
  • 小太刀を使ふ女(1944年、大映) - 老婆
  • 殴られたお殿様(1946年、大映) - おろく
  • 東京特急四列車(1946年、松竹) - 弓子の母親
  • おかぐら兄弟(1946年、大映) - 屋台店の老婆

脚注

[編集]
  1. ^ a b c キネマ旬報1980、p.583
  2. ^ 二葉かほる、新撰 芸能人物事典 明治~平成、コトバンク、2015年8月31日閲覧
  3. ^ a b c キネマ旬報1980、p.584
  4. ^ 『松竹九十年史』 、松竹、1985年、p.237

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]