伊澤平一
いさわ へいいち 伊澤 平一 | |
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生誕 |
1933年12月12日(90歳) 日本・宮城県仙台市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
職業 | 実業家 |
後任者 | 伊澤勝平(伊澤本家十代目) |
子供 |
長男:伊澤平蔵 二男:伊澤勝平 三男:伊澤治平 四男:伊澤亮平 五男:伊澤泰平 |
伊澤 平一(いさわ へいいち、1933年〈昭和8年〉12月12日 - )は、日本の実業家。美食家。勝山企業代表取締役を務めた。国際アイスホッケー連盟および日本アイスホッケー連盟オールドタイマー最年長プレイヤー(2019年に85歳3ヶ月の試合で現役引退)。
経歴
[編集]醸造家で七十七銀行頭取を務めた伊澤平勝(10代目)の長男として宮城県仙台市に生まれる。伊澤平馬は祖父、伊澤平左衛門は曽祖父に当たる。宮城県仙台第二高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校大学院政治科にて修士課程を修了(政治学修士)した。慶大時代にアイスホッケーを始める。 1959年(昭和34年)に三和銀行に入行し、1962年(昭和37年)から4年間ロンドン支店に勤務した。1966年(昭和41年)に同行を辞して、家業の勝山企業の代表取締役に就任する。1981年(昭和56年)に宮城県酒造組合会長となり、1986年(昭和61年)に宮城県は「純米酒の県宣言」をおこなう[1]。これは伊澤の会長在任中のことである[要出典]。
1992年(平成4年)にフランスのガストロノミー団体であるラ・シェーヌ・デェ・ロティスール協会東北支部を設立して支部長に就任[2](2014年に東北支部名誉会長[要出典])。その後、2000年(平成12年)国際観光日本レストラン協会副会⻑、2018年(平成30年)同顧問に就任するなど、飲食業界団体にも関わりを持つ。
2001年(平成13年)に在仙台フランス共和国名誉領事に任命された。
2022年(令和4年)6月11日、伊澤家の当主を引継ぐ名跡直授式が行われた。伊達家十八代当主である伊達泰宗が立会人代表となり、平一の後継者として伊澤本家10代目を次男の勝平(宮城調理製菓専門学校 校長)が継いだ。
スポーツとのかかわり
[編集]スポーツ分野では、1973年(昭和48年)に宮城県スケート連盟会長に就任。1978年(昭和53年)にアイスホッケーやフィギュアスケートの振興を目的に勝山スケーティングクラブを創設し、2001年(平成13年)には宮城県アイスホッケー連盟の名誉会長となる。また、1974年(昭和49年)から日本ボウリング場協会の理事も務めた。
アイスホッケー選手としては、60歳から83歳で引退するまでのオールドタイマー時代に公式戦通算540試合に出場し、1,109ゴール、463アシスト、合計1,572ポイントを達成。日本アイスホッケー連盟公式戦において、日本最年長アイスホッケー選手として記録されており、その功績を称え、日本アイスホッケー連盟からは2回の功労賞および国際アイスホッケー連盟からも国際アイスホッケー最年長選手として功労賞を受賞している。2023年7月8日に開催された日本アイスホッケー連盟設立50周年記念式典において、我が国のアイスホッケー競技の普及発展に特に功績のあった人物を表彰する「特別功労賞」を授与された。
伊澤が登場する作品
[編集]受章・受賞
[編集]- 紺綬褒章:1986年
- ローマ教皇庁聖シルベストル騎士団団長勲章:1991年
- 宮城県体育協会厚労賞:1995年
- 日本アイスホッケー連盟功労賞:2000年・2008年
- 日本ソムリエ協会名誉ソムリエ章:2001年
- 旭⽇⼩綬章:2004年
- 国際アイスホッケー連盟功労賞:2004年
- 国民体育大会功労賞:2005年
- 公益財団法人日本アイスホッケー連盟特別功労賞:2023年7月8日
脚注
[編集]- ^ “日本酒の県宮城!全国で唯一「純米酒の県宣言」をしている県|たのしいお酒.jp”. たのしいお酒.jp-おいしいお酒をもっとたのしく。. 2019年4月27日閲覧。
- ^ “La Chaine des Rotisseurs | 日本ラ・シェーヌ・デ・ロティスール協会 日本本部”. www.rotisseurs.jp. 2019年4月27日閲覧。
- ^ “美味しんぼ 16 | 雁屋 哲 花咲アキラ | 【試し読みあり】”. 小学館コミック. 2019年4月26日閲覧。
- ^ “美味しんぼ 75”. 小学館 (2000年5月30日). 2019年4月26日閲覧。