伊臣忠一
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伊臣 忠一(いおみ ちゅういち、天保9年4月18日(1838年5月11日) - 明治40年(1907年)4月8日)は、元宇和島藩藩士で、明治時代の官僚・実業家。安田財閥に婿入りした安田善三郎の実父。
生涯
[編集]天保9年4月18日(1838年5月11日)、宇和島藩士米田汎延の次男として伊予国(現愛媛県)に生まれる[1]。1841年家督相続[1]。1863年、第一次長州征討に藩士として従軍[1]。後、海外貿易について学ぶため、イギリスやドイツの商船に乗りヨーロッパ・中国各地を数年周遊[1]。帰国後、姓を伊臣に改める[1]。維新後は大蔵省に出仕し、1882年に辞職[2]。また、明治2年(1869年)に愛知県権典事に任命されている[1]。後、実業界へ移り、雨宮敬次郎と特に親交をもつ[1]。晩年、第三国立銀行協議役、房総鉄道会社・根室銀行取締役などを務めた[1]。1907年4月8日、浅草の自邸で死亡[1]。
家族
[編集]次男の伊臣真 (1877年生、日本大学卒)は、水戸鉄道株式会社社長、東京火災海上運送保険会社・根室銀行などの取締役を務めた[1][3]。また、安田財閥を築いた安田善次郎の二女てる(暉子)の夫となった安田善三郎(旧名・伊臣貞太郎)は長男であり、オノ・ヨーコはその孫。その子ショーン・レノンは伊臣の玄孫にあたる。