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佐世保要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐世保要塞(させぼようさい)とは、佐世保軍港の防備のため設置された大日本帝国陸軍要塞である[1][2]

概要

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1891年(明治24年)から佐世保軍港の防禦計画の検討が始められた。1893年(明治26年)2月に防禦計画が決定されたが、日清戦争開戦のため工事が開始されたのは1897年になってからである。

砲台建設は、1897年(明治30年)9月、高後崎砲台・面高堡塁から開始され、1901年(明治34年)11月までに当初計画したすべての砲台が竣工した。

1934年(昭和9年)に江の島砲台が着工された。1936年(昭和11年)8月、長崎要塞に合併され、佐世保要塞司令部は廃庁した[1]

年譜

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  • 1897年(明治30年)9月 高後崎砲台・面高堡塁着工
    • 10月 石原岳堡塁着工
  • 1898年(明治31年)6月 小首堡塁着工
    • 11月 丸出山堡塁着工
    • 12月 高後崎砲台竣工
  • 1899年(明治32年)7月 牽牛崎堡塁着工
  • 1900年(明治33年)4月 前岳堡塁着工・佐世保要塞司令部設置
    • 6月1日 佐世保要塞司令部が東彼杵郡佐世保村に開庁[5]
    • 8月7日 佐世保要塞司令部が佐世保村字小佐世保の新築庁舎に移転[6]
    • 8月 面高堡塁竣工
    • 9月 小首堡塁竣工
  • 1901年(明治34年)9月 牽牛崎堡塁竣工
    • 11月 丸出山堡塁・前岳堡塁竣工
  • 1934年(昭和9年) 江の島砲台着工
  • 1936年(昭和11年) 江の島砲台竣工
    • 8月1日 長崎要塞に合併。

主要な施設

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  • 前岳堡塁 -「砲台山」と呼ばれた程の巨大さであった[7]相浦から上陸してくる敵を撃退する為に設けられた。
  • 牽牛崎堡塁
  • 丸出山堡塁 - 九十九島の眺めが美しい[8]
  • 小首堡塁
  • 高後崎砲台
  • 面高堡塁
  • 石原岳堡塁[8]
  • 江の島砲台

歴代司令官

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脚注

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  1. ^ a b “佐世保市の高橋さん、「長崎要塞」の謎解明”. 佐賀新聞 (佐賀新聞社). (2015年8月10日). http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/217469 
  2. ^ ながさき旅ネット. “佐世保要塞 丸出山観測所跡”. 長崎県観光連盟. 2017年8月23日閲覧。
  3. ^ “市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1889年4月1日
  4. ^ 『官報』第4912号、明治32年11月14日。
  5. ^ 『官報』第5074号、明治33年6月4日。
  6. ^ 『官報』第5135号、明治33年8月14日。
  7. ^ “前岳堡塁(まえだけほうるい)”.させぼばってん
  8. ^ a b 佐世保の要塞遺構めぐり”. デイリーポータルZ

参考文献

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  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。

外部リンク

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関連項目

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