内子座
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内子座 | |
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情報 | |
用途 | 芝居小屋 |
建築主 | 大典記念株式会社 |
管理運営 | 大典記念株式会社→内山商工会→内子町 |
構造形式 | 木造 |
敷地面積 | 302坪 |
延床面積 | 1階177坪、3階65坪、計242坪 |
階数 | 地上2階 |
着工 | 1915年 |
竣工 | 1916年2月 |
開館開所 | 1916年2月 |
所在地 |
〒791-3301 愛媛県喜多郡内子町内子2102 |
座標 | 北緯33度33分5.2秒 東経132度39分0.7秒 / 北緯33.551444度 東経132.650194度座標: 北緯33度33分5.2秒 東経132度39分0.7秒 / 北緯33.551444度 東経132.650194度 |
文化財 | 国の重要文化財 |
指定・登録等日 | 2015年7月8日 |
備考 | 枡席、廻り舞台、奈落、すっぽん設備あり |
内子座(うちこざ)は、愛媛県喜多郡内子町の重要伝統的建造物群保存地区「八日市護国」の近くにある芝居小屋。1916年(大正5年)に大正天皇の即位を祝い、内子町の有志によって建設された。1982年に内子町指定有形文化財に指定。その後、1983年から1985年にかけて往時の姿に復元する工事が実施された。2015年に国の重要文化財に指定された[1][2]。
沿革
[編集]明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建された。農閑期に歌舞伎や文楽、後に映画や落語なども演じられた。その後昭和40年代にはホール的に活用されていたが、老朽化により取り壊されようとしていた。しかしながら、町並み保存地区に近接していることもあり、まちづくりの核として活用していくべきとの町民からの要望により復原された。文楽のほか、各種講演やまちづくりの会合等に活用されている。
年表
[編集]- 1915年(大正4年)2月 - 中田鹿太郎ほか17名の発起人により「大典記念株式会社内子座」設立
- 1915年(大正4年)8月 - 着工
- 1916年(大正5年)2月 - 落成式。
- 以後、歌舞伎や人形芝居、映画、演説会会場等として利用
- 1950年(昭和25年) - 一階桝席の座を撤去し椅子式に改造、映画館的色彩を強める。
- 1967年(昭和42年)3月 - 会社解散、内山商工会に所有が移る
- 1967年(昭和42年)5月 - 商工会館として使用するため、両桟敷及び二階桟敷撤去を含めた大改造。
- 以後、主に商工会館、映画・演劇会場としてホール的に使われる
- 1982年(昭和57年)9月 - 内山商工会から内子町に寄付
- 1982年(昭和57年)9月 - 内子町が有形文化財として指定
- 1983年(昭和58年)3月 - 内子地区旧市街地を中心に愛媛県指定文化の里「木蝋と白壁の町並み」となる。
- 1983年(昭和58年)10月 - 文化の里の一環として第一次内子座復元事業に着手
- 1985年(昭和60年)9月 - 復原事業完成
- 1985年(昭和60年)10月 - 町民の浄財と篤志家の寄付により内部設備を充実。こけら落しを行う。
- 1995年(平成7年)10月 - 第二期整備事業完成。奈落、迫の改修、照明・音響器具・設備の改修により、内子座文楽などの規模の大きな興行に対応可能となる。
- 2015年(平成27年)7月 - 国の重要文化財に指定。
改修
[編集]内子町では2020年から改修のための調査を実施した[3]。耐震補強のほか消火設備や空調設備の整備など大規模な保存修理工事を行うため、2024年(令和6年)9月2日から休館しており、2029年春の再オープンを目指している[4]。
施設概要
[編集]- 木造2階建て瓦葺き入母屋造り[3]
- 収容人員 650名
- 敷地 302坪
- 建築面積 1階177坪、3階65坪、計242坪
- 主要設備
脚注
[編集]- ^ 平成27年7月8日文部科学省告示第119号
- ^ 内子座 うちこざ
- ^ a b “内子座、改修で4年間閉館へ 23年秋ごろから”. 愛媛新聞. 2022年6月1日閲覧。
- ^ “内子座、次の100年へ 大規模保存修理で4年間休館 耐震補強や消火設備充実”. 愛媛新聞 (2024年9月1日). 2024年9月3日閲覧。
参考文献
[編集]- えひめ地域政策研究センター『えひめ温故紀行』2003年、p.160
- 『内子座』編集委員会『内子座 地域が支える町の劇場の100年』2016年
外部リンク
[編集]- 内子座 - 内子町公式
- 四国経済産業局による紹介
- 南予歴史文化道(四国歴史文化道)