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内藤用一郎

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内藤 用一郎(ないとう よういちろう、1900年明治33年〉6月25日 - 没年不明)は、日本実業家貸しビル[1]。内藤ビル取締役社長[1]修猷館同窓会副会長[2]、修猷館柔道倶楽部副会長[1]毎日新聞記者を経て、竹下登秘書をつとめた内藤武宣は三男。漫画家の影木栄貴や音楽家のDAIGO(内藤大湖)は孫。

生涯

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福岡県福岡市出身[1]1921年福岡県立中学修猷館卒業[1]。学生時代、柔道選手として活躍[1]1924年大林組入社[1]1934年、福岡支店主任庶務主任[1]1940年、京城支店総務部長[1]1943年、小倉区九州合同製器専務取締役就任[1]1944年、九州採炭新手鉱業所総務部長[1]

1946年、岩崎組取締役副社長就任[1]1949年、内藤建設創立取締役社長就任[1]1950年、県小学校父母教師会連合会結成、会長就任[1]1951年、日本父母と先生全国協議会理事[1]。同年県学校給食推進協議会会長[1]1966年、社名を内藤ビルに変更、取締役社長に引き続き就任[1]

人物

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宗教は真宗[1]

家族・親族

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内藤家

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福岡県福岡市大名[1]
  • 妻・らく[1]
1908年明治41年)生 -
1938年昭和13年)生 -
  • 四男[1]常光

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『日本綜合紳士録(西日本編)』発行所・新日本株式会社、日本秘密探偵局、発行人・南尚道、調査責任者・日本綜合探偵社、1971年、196頁。
  2. ^ 歴代役員名簿修猷館同窓会。2016年1月15日閲覧。
  3. ^ "DAIGO、三島由紀夫と親戚だった…9親等「やばいね」 加山雄三は19親等". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 11 February 2020. 2020年2月13日閲覧